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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第99景 「両国花火」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景を訪ねて
第99景 「両国花火」


柳橋方面から両国橋を描いています。

広重の遺作の一つ江戸名所「両国納涼」は料亭内からの眺望を描いていて、視点が同じことから、柳橋にある万八楼の座敷から眺めた図と考えられます。

両国の花火を担当したのは、両国橋より上流(画面手前)が玉屋、下流は鍵屋です。

手前に提灯を五つ掲げた屋台船が描かれ、その周囲に屋台船が浮かんでいます。舳先(へさき)に行灯(あんどん)を置いているのは、飲食物を売る煮売船です。江戸時代の人はこうした船で涼を取るか、柳橋の料亭に行きました。

両国橋を歩いて涼をとる人も描かれています。
 

両国の花火の起源


毎年夏に開催されている隅田川花火大会は、隅田川の夏の風物詩として多くの人々に親しまれています。
その起源は古く、8代将軍・徳川吉宗の時代、享保18年(1733)5月28日に催された最初の両国川開きにまで溯ることができます。両国川開きは、当時の大飢饉や江戸に流行した疫病による死者供養と災厄除去を祈願して行われたものですが、この川開きの初日に花火が打ち上げられたのです。以後、両国の川開きと花火は、若干の断絶期を挟みながらも、昭和36年(1961)まで続けられた江戸・東京を代表する年中行事と言えます。
また、昭和53年(1978)には、隅田川花火大会と名前を変えて復活し、今日に至っています。
江戸時代、両国は納涼の名所となり、川開きは毎年大勢の人で賑わいました。その川開きに彩をそえたのが花火でした。両国の納涼風景や花火の様子は、多くの錦絵や「江戸名所図会」などをはじめとする地誌などにより紹介されました。
引用・墨田区HP



描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。






柳橋の上から撮影したのですが、若干両国橋の位置が違いますね。料亭のあった場所から撮影するべきでした。

花火の様子を撮影したかったのですが、私が訪れた年の花火大会はコロナ禍により中止でした。

残念です。

いつの日か撮影したいものです。



 

参考
Wikipedia
別冊太陽 広重「名所江戸百景」の旅 平凡社 監修 安村敏信

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