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リートリンの覚書

古事記 下つ巻 現代語訳 四十六 金鉏の岡


古事記 下つ巻 現代語訳 四十六


古事記 下つ巻

金鉏の岡


書き下し文


 また天皇、丸邇之佐都紀臣の女、袁杼比賣を婚きに、春日に幸行でましし時に、媛女、道に逢ふ。幸行を見て、岡の邊に逃げ隱りつ。故御歌を作りたまふ。其の歌に曰りたまはく、 
嬢子の い隠る岡を
金鋤も 五百箇もがも
鋤き撥ぬるもの
故其の岡を號けて、金鋤岡と謂ふ。


現代語訳


 また天皇は、丸邇之佐都紀臣(わにのさつきのおみ)の女(むすめ)、袁杼比賣(おどひめ)を婚(ま)きに、春日にお幸行(い)でになられた時に、媛女(をとめ)と、道で逢いました。幸行(いでまし)を見て、岡の邊に逃げ隱(かく)れました。故、御歌を作りになられました。その歌に、仰せになられて、 
嬢子(をとめ)の い隠る岡を
金鉏(かなすき)も 五百箇(いほち)もがも
鋤(す)き撥(は)ぬるもの
故、その岡を號(なづ)けて、金鉏岡(かなすきのおか)と謂います。



・金鉏(かなすき)
鉄製の鋤。木製のものに対していう


現代語訳(ゆる~っと訳)


 また雄略天皇は、丸邇之佐都紀臣の娘で、袁杼比売と結婚するために、春日においでになられた時に、その乙女と道で出逢いました。

そして、その乙女は、天皇のお出ましを見て、岡の辺に逃げ隠れました。

そこで、天皇は御歌を作りになられました。

その歌に、歌っていう、
 
乙女が 隠れた岡を
鉄製の鋤が
500個あったなら
岡を鋤でならして見つけ出せるのになぁ

こういうわけで、その岡を名付けて、金鉏岡といいます。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。







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