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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第22景 「廣尾ふる川」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景
第22景 「廣尾ふる川」


画面に流れる川は古川です。その川に架けられている橋は「四之橋」(相模殿橋)。

左側に描かれている、二階屋の料理屋は、当時、江戸で知られた有名店「尾張屋」という鰻屋です。

そして遠景に広がる野原が「慶尾の原」です。広尾の原には、葭簀張(よしずばり)の茶屋が点在しています。
 

広尾の原


天保7年(1836年)の『江戸名所図会』の挿絵「広尾原(ひろをはら)を見ますと、すすきの生い茂った野の道を、馬に乗ったり引いたりする農夫たちと、野遊びを楽しむ男女の行き交う有様が、描かれています。

かつてはツクシがたくさん生えていたことから「土筆ケ原(つくしがはら)」と呼ばれていました。
 

古川



渋谷川・古川は、渋谷区内の宮益橋から天現寺橋間の2.6㎞を渋谷川、港区内の天現寺橋から河口間の4.4㎞を古川と呼んでいます。

また、本川(宮益橋)の上流域と支川は、すべて暗渠構造で下水道化されており、本川の稲荷橋の下流から開水路となり、JR浜松町付近で東京湾に注いでいます。
 

四之橋
(しのはし)




古川に架けられた橋で、土屋相模守下屋敷前に架けられていたことから、相模殿橋とも呼ばれていました。

現在の橋は、昭和6年に架橋され、昭和60年に架け替えられています。
 

 
描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。



四之橋のたもとで撮影させていただきました。

しかし、家に帰って勉強をしなおしてみると、

全く、逆方向から橋を撮影してしまいました。



最後に

今回もやらかしてしまいました。
作品とは真逆の方向からの写真撮影。きちんと下調べをしなければいけませんね。

作品は四之橋から現在の白金三丁目付近を望んだものでした。
こちらの映像は、四之橋から現在の白金三丁目付近を望んだものです。
こちらは、ネットより拝借。

しかし、おしゃれな街、白金や恵比寿が、江戸時代には、ツクシがたくさん生えていた原っぱだったとは、ちょっと驚きです。

そして、江戸時代には美しい流れだった古川。現在では、真上を首都高速2号目黒線が走り、薄暗く不気味な川へと変貌してしました。

利便を取り、様々美しいものを捨ててしまったのですね。ちょっとさみしい感じがします。





参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅
東京都建設局HP

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