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リートリンの覚書

第十三代・成務天皇



第十三代・成務天皇
(せいむてんのう)


生没年 84~190(享年107歳)
在位年 131(48歳)~190(107歳)


別名


稚足彦天皇
(わかたらしひこのすめらみこと)

稚足彦尊
(わかたらしひこのみこと)

若帯日子天皇
(わかたらしひこのすめらみこと)




景行天皇




八坂入媛命(やさかいりひめ)


配偶者


不明




日本書紀では、
子に関する情報は記載されていません。


略歴(日本書紀の伝えより)


成務天皇は、景行天皇の第四子です。

母の皇后は
八坂入媛命といいます。
八坂入彦(やさかいりひこ)皇子の娘です。

景行天皇51年1月 
皇太子にとなりました。

景行天皇51年1月7日、
皇子稚足彦尊、武内宿禰は、
門の下に侍(さぶら)いて、
非常に備えて宴会の庭に来ませんでした。
天皇は理由を聞き、ことに寵愛しました。

8月4日、
稚足彦尊を皇太子に立てました。
この日、武内宿禰に命じて
棟梁之臣(とうりようのまえつきみ)としました。

景行天皇60年11月、
景行天皇が崩御しました。

成務天皇元年1月5日、
皇太子が即位しました。

成務天皇2年11月10日、
景行天皇を倭の国の
山辺道上(やまべのみちのほとり)の陵に
葬りました。

成務天皇3年1月7日、
武内宿禰(たけしうちのすくね)
大臣としました。

成務天皇4年2月1日、
詔をだしました。

成務天皇5年9月、
諸国に令して、
国、郡に造長(みやつこおき)を立て、
県、邑に稲置(いなき)を置きました。
山河を隔てて、
国、県を分け、東西南北の道を以て、
邑、里を定めました。
それで東西を日の縦とし、
南北を日の横とし、
山陽を影面(かげとも)といい、
山陰を背面(そとも)といいます。
こういうわけで、
百姓は安らかに居して、
天下は無事でした。

成務天皇48年3月1日
甥の足仲彦を皇太子に立てました。

成務天皇60年6月11日、
天皇が崩御しました。ときに年百七歳。


日本書紀




皇居


志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)





陵の名は
狭城盾列池後陵
(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)


主な神社


皇霊殿(東京都千代田区)


成務天皇・年表

84年景行天皇14年(0歳)


誕生


116年景行天皇51年(38歳)


1月7日
皇子稚足彦尊、
武内宿禰が非常に備えて宴会の庭に参加せず

8月4日
稚足彦尊を皇太子に立てる。


130年景行天皇60年(47歳)


11月 
景行天皇が崩御


131年成務天皇元年(48歳)


1月5日 
即位



132年成務天皇2年(49歳)


11月10日 
景行天皇を倭の国の
山辺道上(やまべのみちのほとり)の陵に葬る


133年成務天皇3年(50歳)


1月7日 
武内宿禰を大臣とする


134年成務天皇4年(51歳)


2月1日 
国郡に首長を任ずる詔を出す


135年成務天皇5年(52歳)


9月
前年の詔を実施。
国、郡に造長を立て、
県、邑に稲置(いなき)を置く。
山河をもって国境とする


178年成務天皇48年(95歳)


3月1日 
甥の足仲彦を皇太子に立てる


190年成務天皇60年(107歳)


6月11日 
崩御。
ときに年107歳。(『古事記』では95歳)


略歴・年表は、
日本書紀を参考に作りました。

新しい知識を得た場合
随時更新予定です。

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