古事記 下つ巻 現代語訳 六
古事記 下つ巻
石之日賣命、御綱柏を採りに
書き下し文
此より後時に、大后豊樂したまはむと為て、御綱柏を採りに、木国に幸行でましし間に、天皇、八田若郎女を婚きたまふ。是に大后、御綱柏を御船に積み盈て還り幸でます時に、水取司に驅せ使はゆる、吉備国の兒嶋の郡の仕丁、是れ己が国に退るに、難波の大渡に、後れたる倉人女の船に遇ふ。語りて云はく、「天皇は、此日八田若郎女を婚きたまひて晝夜戲れ遊れます。もし大后は此の事を聞こし看さねかも、靜かに遊び幸行でます」といふ。尓して其の倉人女、此の語る言を聞き、御船に追い近づき、白す状具に仕丁の言の如し。
現代語訳
これより後時(のち)に、大后(おほきさき)は、豊樂(とよのあかり)しようと為(し)て、御綱柏(みつながしわ)を採りに、木国(きのくに)に幸行(い)でます間に、天皇は、八田若郎女(やたのわきいらつめ)と婚(ま)きになられました。ここに、大后は、御綱柏を御船に積み盈(み)て還り幸(い)でます時に、水取司(もいとりのつかさ)で使われていた、吉備国(きびのくに)の兒嶋(こしま)の郡(こおり)の仕丁(よろほ)が、これが己の国に退(まか)るとき、難波の大渡(おほわたり)で、後(おく)れたる倉人女(くらひとめ)の船に遇いました。語りて、いうことには、「天皇は、此日(このごろ)八田若郎女を婚きになられて、晝夜(ひるよる)となく戲遊(たはぶ)れています。もし、大后はこの事を聞いていらっしゃらないからか、靜かに遊んで幸行(い)らっしゃる」といいました。尓して、その倉人女は、この語る言を聞き、御船に追い近づき、白(もう)す状(さま)は、具(つぶさ)に仕丁の言の如しでした。
・豊樂(とよのあかり)
宴会。主として宮中で催される酒宴
・御綱柏(みつながしわ)
神に供物をするときや豊明の節会の時に、酒や飯を盛り入れる木の葉。葉の先が三つあるいは五つに裂けたものでカクレミノの葉ともいう。みつながしわ
・水取司(もいとりのつかさ)
水・粥・氷室などを司る役所。また、その職員
・仕丁(よろほ)
日本古代,中央官司の雑役にあてられた人民
・倉人女(くらひとめ)
皇后の蔵人として仕える女官
現代語訳(ゆる~っと訳)
この時より後、皇后は、新嘗祭の後に宮中で催される酒宴・豊明の節会をしようとして、酒や飯を盛り入れる木の葉・御綱柏を採りに、紀伊国に出かけた間に、天皇は、八田若郎女と結婚しました。
ちょうど、皇后が御綱柏を御船にいっぱいに積んで帰る時に、水取司で使われていた、吉備国の児島郡の仕丁が、任期を終えて自分の国に船で帰る途中、難波の大渡で、遅れてきた皇后の蔵人として仕える女官の船に遭いました。
そこで、仕丁が女官に語って、
「天皇は、近頃、八田若郎女と結婚なされて、夜昼となく、戯れています。もしや、皇后は、この事を聞いていないのでは、だから、静かにお出かけになっているのでしょう」といいました。
そして、その女官は、この仕丁の語る言葉を聞き、皇后の御船に追いつき近づいて、申し上げる様子は、仕丁の語る言葉の通りでした。
続きます。
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