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リートリンの覚書

古事記 下つ巻 現代語訳 七 皇后の嫉妬


古事記 下つ巻 現代語訳 七


古事記 下つ巻

皇后の嫉妬


書き下し文


是に大后いたく恨み怒り、其の御船に載せたる御綱柏は、悉く海に投げ棄てたまふ。故其地に號けて御津前と謂ふ。宮に入り坐さずして、其の御船を引き避き、堀江に泝り、河の隨に、山代に上り幸でましき。此の時に歌ひ曰りたまはく、 
つぎねふや 山代河を
川上り 我が上れば
河の辺に 生い立てる
烏草樹を 烏草樹の樹
其が下に 生い立てる
葉広 ゆつ真椿
其が花の 照りいまし
其が葉の 広りいますは
我が君ろかも
山代より迴り、那良の山の口に到り坐して、歌ひ曰りたまはく、 

つぎねふや 山代河を
宮上り 我が上れば
あをによし 奈良を過ぎ
小楯 倭を過ぎ
我が 見が欲し国は
葛城 高宮
我家のあたり
かく歌ひて還りたまひ、暫し筒木の韓人、名は奴理能美が家に入り坐す。



現代語訳


ここに、大后(おほきさき)は、いたく恨(うら)み怒(いか)り、その御船に載せていた御綱柏(みつながしわ)を、悉く海に投げ棄てになられました。故、其地(そこ)に號(なづ)けて御津前(みつのさき)と謂います。宮に入らずに、その御船を引き避(よ)け、堀江を泝(さかのぼ)り、河の隨(まにま)に、山代(やましろ)に上(のぼ)り幸(い)きました。この時に、歌い、仰せになられて、 
つぎねふや 山代河(やましろがは)を
川上(かはのぼ)り 我が上れば
河の辺に 生い立てる
烏草樹(さしぶ)を 烏草樹の樹
其が下に 生い立てる
葉広 ゆつ真椿
其が花の 照りいまし
其が葉の 広りいますは
我が君ろかも
山代より迴(めぐ)り、那良(なら)の山の口に到り坐して、歌い、仰せになられて、 
つぎねふや 山代河を
宮上り 我が上れば
あをによし 奈良を過ぎ
小楯 倭を過ぎ
我が 見が欲し国は
葛城 高宮
我家のあたり
かく歌いて、還りました、暫(しま)し筒木(つつき)の韓人(からびと)の、名は奴理能美(ぬりのみ)の家に入り坐した。



・御津前(みつのさき)
大阪府大阪市中央区心斎橋筋の岬
・つぎねふや
山代にかかる枕詞
・烏草樹(さしぶ)
シャシャンボの古名。さしぶのき


現代語訳(ゆる~っと訳)


このことで、皇后は、とても恨み、怒って、その御船に載せていた宴会で使う御綱柏を、全て海に投げ棄てました。こういうわけで、その場所を名付けて御津前といいます。

皇后は宮に入らずに、その御船を引き返して、難波の堀江をさかのぼり、淀川の流れに沿って、山城に上って行きました。

この時に、歌って
 
つぎねふや
山城河を
さかのぼって
私が上って行くと
川の岸辺に
生い立てる
烏草樹よ
烏草樹の樹
その下に
生い立つ
葉の広い
清浄な椿
その花のように
照り輝いて
その葉のように
広がっているのは
我が大君のようです

山城より回って、奈良山の入り口に到着して、歌って、 

つぎねふや
山城川を
私を差し置いて宮に上り
私が上れば
あをによし
奈良を過ぎて
(小楯のような山の)
大和を過ぎ
私が
見たい国は
葛城の
高宮の
我家のあたり

このように歌って、帰って、しばし筒木の韓人の、名前は奴理能美の家に入りました。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。







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