古事記 下つ巻 現代語訳 五十五
古事記 下つ巻
置目老媼
書き下し文
然ある後に、其の御骨を持ち上りたまひき。故還り上り坐して、其の老媼を召し、其の見るを失はず、貞しく其の地を知れるを譽めて、名を賜ひ置目老媼と號く。仍りて宮の内に召し入れ、敦く廣く慈みたまふ。故其の老媼の住める屋は、宮の邊に近く作り、日毎に必ず召す。故鐸を大殿の戸に懸け、其の老媼を召さむと欲ほす時、必ず其の鐸を引き鳴したまふ。尓して御歌を作りたまふ。其の歌に曰りたまはく、浅茅原 小谷を過ぎて百伝ふ 鐸ゆらくも置目来らしも是に置目老媼白さく、「僕いたく耆老いぬ。本つ国に退らんと欲ふ」とまをす。故白せまる隨に退る時に、天皇見送り、歌ひ曰りたまはく、置目もや 淡海の置目明日よりは み山隠りて見えずかもあらむ
現代語訳
然ある後に、その御骨を持ち上(のぼ)りになられました。故、還(かえ)り上り坐(ま)して、その老媼(おみな)を召し、その見るを失わず、貞(ただ)しくその地を知るを譽めて、名を与え置目老嫗 (おきめのおみな)と號(なづ)けました。よって宮の内に召し入れ、敦(あつ)く廣く慈(めぐ)みになられました。故、その老媼の住める屋は、宮の辺の近くに作り、日毎(ひごと)に必ず召しました。故、鐸(ぬて)を大殿の戸に懸(か)け、その老媼を召そうと欲(おも)った時は、必ずその鐸を引き鳴しになられました。尓して、御歌を作りになられました。その歌に、仰せになられて、
浅茅原(あさじはら) 小谷(をだに)を過ぎて
百伝ふ(ももつたう) 鐸ゆらくも
置目来らしも
ここに、置目老媼が、申し上げることには、「僕、いたく耆老(お)いました。本つ国に退(まか)ろう欲(おも)います」と申しました。故、白(もう)せの隨に退る時に、天皇が見送り、歌いて、仰せになられて、
置目もや 淡海の置目
明日よりは み山隠りて
見えずかもあらむ
・鐸(ぬて)
鉄で作った大きな鈴
・浅茅原(あさじはら)
浅茅の生えた野原。荒れ果てた野原。あさじはら
・百伝ふ(ももつたう)
多くの地を伝って遠隔の地へ行くの意から遠隔地である「角鹿(つぬが)(=敦賀(つるが))」「度逢(わたらひ)」に、また、遠くへ行く駅馬が鈴をつけていたことから「鐸(ぬて)(=大鈴)」にかかる枕詞
現代語訳(ゆる~っと訳)
その後に、その御骨を近飛鳥宮に持って上りました。
こうして、宮に帰り上られてから、その老婆を宮にお召しになり、その遺体を見失わず、遺体が埋められた場所を正しく知っていたことを褒めて、名を与え、置目老嫗と名付けました。
よって、宮廷の敷地内に召し入れ、手厚く恵みを与えました。
そうして、その老婆の住まいは、宮のほとりの近くに作り、毎日、必ず呼び寄せました。
それで、鉄で作った大きな鈴を御殿の戸口に掛けて、その老婆を呼びたいと思った時は、必ずその鈴を引き鳴しました。
こうして、御歌を作りになられました。その歌に、歌っていう、
茅の生えた野原
小谷を過ぎて
(多くの地を伝って遠隔の地へ行く)
鈴を揺らし響かせれば
置目が来るだろう
ここに、置目老嫗が、
「私は、とても老いております。本国に退こうと思います」といいました。
そこで、申し出の通りに退く時に、天皇が見送り、歌っていう、
置目よ
近江の置目よ
明日からは
山に隠れて
見えなくなってしまうのか
続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。