古事記 下つ巻 現代語訳 五十三
古事記 下つ巻
志毘臣の暗殺
書き下し文
明くる旦の時、意祁命・袁祁命 二柱 議り云りたまはく、「おほよそ朝廷の人等は、旦には朝廷に參赴き、晝は志毘が門に集ふ。また今は志毘必ず寢ねてあらむ。また其の門に人無けむ。故今に非ずは、謀るべきこと難けむ」とのりたまふ。すなわち軍を興し、志毘臣が家を圍み、殺したまふ。是に二柱の王子等、おのもおのも天の下を相讓りたまひき。意富祁命、其の弟袁祁命に讓り曰りたまはく、「針間の志自牟が家に住みし時に、汝命名を顯はさずあれば、更に天の下に臨む君に非ずあらまし。是れ既に汝命の功ぞ。故吾、兄にはあれども、猶汝命まづ天の下を治らしめせ」とのりたまひて、堅く讓りたまふ。故え辭びたまはずて、袁祁命、まづ天の下治らしめしき。
現代語訳
明くる旦(あした)の時、意祁命(おけのみこと)・袁祁命(をけのみこと)は、 二柱 議(はか)り、仰せになられて、「おほよそ朝廷(みかど)の人等は、旦(あした)には朝廷に參赴(まゐおもぶ)き、晝(ひる)は志毘が門に集う。また今は志毘が必ず寝ているだろう。またその門に人は無いだろう。故に、今ならば、謀るべきことは難しくないだろう」と仰られました。すなわち、軍(いくさ)を興(おこ)し、志毘臣が家を圍み、殺しました。
ここに二柱の王子等は、各々天の下を相讓りになられました。意富祁命(おほけのみこと)は、その弟・袁祁命に讓り、仰せになられて、「針間の志自牟の家に住んでいた時に、汝命が名を顯(あら)わさずにいたなら、更に天の下に臨む君にはなれなかっただろう。これ既に汝命の功だ。故に、吾は、兄ではあるが、なお汝命がまず天の下を治らしめせ」と仰せになられて、堅く讓りになられました。故えに、断ることができず、袁祁命が、まず天の下治らしめました。
現代語訳(ゆる~っと訳)
その明けた早朝に、意祁命と袁祁命は、 2人 話し合って、
「おほよそ朝廷の人たちは、早朝には朝廷に参勤し、昼には志毘の家に集まっている。
また今は、まだ志毘は必ず寝ているだろう。またその門に人はいないだろう。
だから、今ならば、志毘の暗殺を謀ることは難しくないだろう」といいました。
すぐに、軍を起こして、志毘臣の家を囲み、殺しました。
ここに、2人の王子たちは、それぞれ天下を譲り合いました。
兄・意富祁命は、その弟・袁祁命に皇位を讓り、
「播磨の志自牟の家に住んでいた時に、お前が名を明かさなかったら、
けっして天下を治める君主にはなれなかっただろう。これはすべてお前の功績だ。
だから、私は兄ではあるけれども、やはりお前がまず天下を統治するのだ」といい、強く譲りました。
こういうわけで、断ることができず、袁祁命が、まず天下を統治しました。
続きます。
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