日本列島に住み始めた人々
海面が現在よりも低く、大陸と地続きだった氷期の日本列島に、ナウマン象などの大型動物が大量に移動すると、これらの動物を追って人類もやってきました。現代人に直接つながるこの時代の人類を新人(しんじん)といいます。この新人は20万年前ほどに誕生し、長い間、打製石器を使っていました。
引用:中学生の歴史 帝国出版

氷期の終りと農耕の始まり
約1万年前に最後の氷期が終わり、地球が暖かくなると、寒い気候に適していた大型の動物が減っていきました。狩りや漁、採集だけでは食料がたりなくなった人類は、すばやい動物を狩るため弓矢を使うようになりました。また、野生の動物を飼いならして増やす牧畜を行うとともに、よく実になる野生の植物を栽培する農耕を始めました。このころは、石を磨いてつくった磨製石器(ませいせっき)や粘土を焼いた土器(どき)がつくられるようになりました(新石器時代)。
引用:中学生の歴史 帝国出版
(感想)
教科書を読んでいたら、
日本人のルーツが気になり、
調べてみました。
アフリカを出発した人々は、
何を考え新天地を求めて歩いたのか?
日本にたどり着いた人々、
我々の祖先は、
どのような方々だったのでしょうか?
想像が尽きません。
日本人のルーツを探る・ルーツを探る方法
1・出土した化石人骨で判断する方法
DNA判定が未発達だったころに
行われていた方法の一つです。
化石人骨の形態から判断する方法です。
2・遺石証拠
遺跡や出土した化石人骨などをもとに
推測する方法です。
3・DNAから判断する方法
DNAには2つのタイプがあります。
1つは、男性だけが持つY染色体のDNA。
それを分析することで
父系の道筋をたどることできます。
集団の類縁関係の研究にしばしば使われます。
2つめは、細胞の核の外にある
ミトコンドリアDNA。
ミトコンドリアDNAは、
母から子へと母系遺伝するため、
進化の道筋をたどりやすい特徴があります。
また、近年では技術の発達により
ゲノムDNA判断する方法も取られています。
日本人のルーツを化石人骨から推測する
化石を追っていくと、
十数万年前にエチオピア辺りにいた
ホモ・サピエンスの祖先は、
アフリカを出た後
ユーラシアの南海岸沿いを東に進み、
その後北に転じ、
少なくとも2万年前頃までには、
日本列島にたどり着いていたと推測されます。
ただし、石器など考古遺物からの推定では
もう少し古く、
4万年前頃には日本列島に
化石現生人類がいたと考えられます。
しかし、日本では、
土壌の成分や気候の影響もあり、
人骨が化石として残りにくく
断定することができません。
日本での最古の化石人骨は、
推定4万~3万6000年頃のもので、
沖縄県で発見されたものです。
遺石証拠から日本人のルーツをさぐる
現在、日本列島で発見されている
化石人骨はどれもホモ・サピエンスです。
原人や旧人の化石は
1つも見つかっていません。
3万8000年頃前以降に、
日本列島において遺跡の数が
爆発的に増加しました。
日本旧石器学会の集計によれば
全国には旧石器時代の遺跡が、
1万箇所以上あります。
これは世界有数のデータ量です。
これらの遺跡の年代が
3万8000年前以降に集中しています。
この頃ホモ・サピエンスが渡来した
可能性が高いと思われます。
渡来ルート
3万8000年前に出現した文化
(後期旧石器文化)は
その後1万6000年前頃に
縄文時代まで連綿と続いていき、
大きく途切れた様子は見られません。
3万8000~3万5000年前の段階では
石器作りの特徴に
大きな違いはありませんでした。
3万4000年頃になると
地方色が芽生えてきます。
3万8000年前現れた集団が
その後縄文人へと連続していった
可能性が高いと思われます。
・対馬ルート
3万8000~3万7000年前という
列島最古の遺跡は、
南九州と本州の中央部に存在します。
最初の渡来ルートは、
対馬ルートの可能性が高いと思われます。
・沖縄ルート
沖縄地方の旧石器文化は、
人骨の研究を示すとおり、
台湾経由で南方から伝わったと考えられます。
「石器に依存しない文化」でした。
・北海道ルート
北海道の人類出現は3ルートで最も遅く、
2万5000年前の石器文化は
北ルートと共通します。
やはりシベリアから南下した
祖先がいたと考えられます。
続く