リートリンの覚書

麁服と繒服 1 繒服とは? 繒服の歴史


麁服と繒服


麁服(あらたえ)と繒服(にぎたえ)は、
新天皇が即位後、
初めて行う大嘗祭において
神に捧げられる衣です。


繒服(にぎたえ)


繒服は、
三河国(現・愛知県)より
養蚕作業と糸作りを三河で行い、

その糸を京都の機場に送り織り上げた
「絹の織物」です。

平安時代初期に編纂された「儀式帳」に
繒服が三河国(愛知県東部)より
調進する慣例になっていることが
記されています。


繒服(にぎたえ)の歴史


当初より大嘗祭で、
大麻と絹が一対で
悠紀殿・主基殿に安置されていたか、
といえばそうではありません。

粗く織った布を「あらたえ」、
細い糸で織った布を「にぎたえ」
と呼んでいた時代があり、

おそらく、
どちらも大麻で織られたもので、
忌部の一族が織っていたといいます。

持統天皇の時には、
大嘗祭の様式が整い、

そこに「繒服」という繒布が、
三河から調進されています。

さらに伊勢神宮の遷宮もはじまり、
そのころから三河の
「赤引糸」が調進され始めました。

平安時代になると、
天皇の御服衣として献上されていることが
今昔物語に記されています。

「麁服」は、
工程すべてが
阿波忌部氏のもとで行われますが、

「繒服」は異なります。

養蚕作業と糸作りは三河国で行い、

その糸を京都の機場に持ち込み、
布を織ります。

この作業は「延喜式」に書かれているので、
当初からこの形態だったことがうかがえます。

延喜式には、

「繒服」は、京都の北野斎場に建てられた「神服院」で神服を織る。そのため「神服部社(かんはとりいしゃ)」の神服使いを三河に派遣する」

と記載があります。

大嘗祭では悠紀殿・主基殿と必ず、
東西の産物を並べますので、

東の三河地方の絹、
西の阿波地方の麻
という位置づけがあったのかもしれません。


感想

昨年、
大嘗祭を調べた際、
初めて麁服・繒服を知りました。

大変気になったので
調べようと思ったのですが、

なかなかよい史料に出会えず、
諦めていたところ、

『麁服(あらたえ)と繪服(にぎたえ)
天皇即位の秘儀 践祚大嘗祭と二つの布』
(著)中谷 比佐子・安間 信裕 監修 門家 茂樹 
(出版)電波社
に出会えました。

大変素晴らしい本でした。
こちらを参考にさせていただき、
麁服・繒服をまとめていきたいと思います。

しばらくお付き合い
いただけたら嬉しいです。

本来なら、
麁服から調べるべきだとは思ったのですが、

大麻…

調べることに若干抵抗が…
と思ったところに、
伊勢谷友介が大麻で逮捕。

うーますます、
調べ辛い。

と言う訳で先に絹について調べ始めました。

でもね。
蚕…
虫苦手なんだよね。

なんで、あんな
ウニョウニョから
綺麗な糸が取れるのでしょうか…
謎。

明日からしばらく
シルクについて語っていきたいと思います。

今日は、これで。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


参考にさせていただいた本

・シルクのはなし 
小林勝利 鳥山國士

・絹の文化誌 
篠原昭 嶋崎昭典 白倫 編著

・皇后さまとご養蚕 
扶桑社

・麁服(あらたえ)と繪服(にぎたえ)
天皇即位の秘儀 践祚大嘗祭と二つの布
(著)中谷 比佐子・安間 信裕 監修 門家 茂樹



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