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=電線の鳥blog=「今日もどっちつかず」

 一般的にどうなのか、みたいなことは、結局、重要なことではない~チップ・エクトン

等々力渓谷

2007年10月15日 | 小さな旅
 都市公園というよりもネイチャー系の不思議スポットとでも呼ぶ方が相応しい等々力渓谷であるが、
植生もなんだか不思議だ。

 シダの類はともかく、シュロのような木が生えているのはどういうわけか。
 まさか自生ではあるまい。
 バブル後に大量に余った観葉植物が捨てられて、そのいくつかが根付いたのであろうか。
 なわけはなかろうが、どこか歌舞伎町の雑居ビルみたいだ。
 ただ、橋のたもとの石段を下っただけで忽然と現れる、昼なお暗いこの異空間には似合っている。
 
 等々力不動尊を出て目黒通りを下ると、羨む気も失せる豪邸が並ぶ住宅地。
 等々力駅まで歩いて戻るのが億劫なら、小型の循環バスがお薦め。
 高級住宅地をバスで移動する独特の気分が面白い。210円。
 
 写真は撮りませんでした。
 「雰囲気もの」は写真ではどうにも伝わらない。

桜子

2007年07月21日 | 小さな旅
 山梨県北杜市にあるサントリー白州蒸留所は、酒好きにはなかなか見応えのある工場で、その仕込水が
「南アルプス天然水」として市販されている。サントリーは商売が上手い。
 蒸留所から国道20号を少し南下して、道の駅を右に折れると尾白川渓谷だ。
 天然水は甲斐駒ケ岳の伏流水で、風化した花崗岩で濾過されたもの。
 従って、河岸の砂は白くて水晶光を帯びており、素足を踏み入れると実に爽快だ。
 30代とおぼしきご夫婦が、大型のレトリバーを遊ばせていた。
 服装などを書くのは面倒なので「マスターカードの宣伝のような」と言っておく。
 犬の名は「桜子」という…たぶんプライスフル。
 「松子」「竹子」なら、うちの親戚にもいるんじゃがの…。
 あんまり水がキレイなので、おしぼり作って車に持ち帰る私…プライスレス。

チェリーと呼んでくだされ

2007年06月18日 | 小さな旅
 先日、お隣の山梨県でサクランボ狩りを初めて体験した。
 山梨県とサクランボは結びついていなかったが、最近とみに人気らしい。

 イチゴ狩りは一度やったことがある。
 愚かな私は、サクランボもイチゴ同様ハウスの中で腰の高さくらいのところに生っているかのようなイメージを抱いていた。
 そんなわけはなく、サクランボは桜の実であるからして木に実っているのだった。
 園内には主に「高砂」そして「佐藤錦」が植えられている。
 いやでも大相撲を連想せざるを得ない。
 この時は知らなかったが、他に「大将錦」「紅秀峰」とこれまた四股名のようだ。
 いいぞいいぞ(何がいいのか不明だが)。
 あ、「ナポレオン」ってのもある。外国人力士だな。
 「ポ」は漢字が当てづらいんだよ。「菩那春闘」にしなさい。
 でなきゃ私の自信作「梵受」か「玄和山」に改名するように…分ったね。
 しかるに…。
 山梨で最近売り出している改良種は「さおり」というらしい。
 「さおり」…むしろイチゴの品種名だろう、これは。
 屈強な関取衆の中にあって、いささかの異物感が否めない。

 まあしかし、サクランボ狩りはデートには良いのではないか、唐突だけど。
 「マー君、あそこの高いところにあるの、綾香あれが食べたい、取ってえ~」とかさ…。
 脚立を使うのは禁止だからね。

 「背が高いんだあ…。 あ~ん、マー君、食べさせてえ  」
 「チェリーって処女って意味なんだよ。君のチェリーはボクのものだよ。  」
 「いや…ン、マー君ったらァ … あふ こんなところで…  」 
  
 
 っくっふっふ…。ふっはっはっ。ぶっひゃっひゃっひゃっひゃあ!
 大体どうしてこういう奴の名前は決まって「マー君」なんだよっ。
 誰か、8歳の子どもにも分るように説明してください。
 マー君は182cmの長身でさ、歯が真っ白でさ、口臭なんかなくて、笑顔が爽やかで、BMWに乗っていて、お父さんが資産家で、成績優秀スポーツ万能、会話もソツなくワインに詳しく、前戯は丁寧丈夫で長持ち3本勝負は無制限、右三左三に下四上六、慢慢快快慢快快、四十八手の裏表、アイヤ・ハラホロ、ウンジャラゲ。

 めめこめめこと よせみてみれば たらもばるさみ かにされす
 ド・モ・ホ・ルーン リンクル オー! リンクル オー! リンクル オー!
   
 料金とか味とか報告するつもりだったけどバカバカしくなった…各自勝手に調べて逝ってよーし


「峠」を偲ぶ旅~帰路車中にて

2006年12月03日 | 小さな旅
 11月25日(3日目)

 小千谷発 15:23→15:44 長岡着
 (上越線)
 長岡発  16:26→17:16 直江津着
 (信越本線、特急北越8号)
 直江津発 17:51→19:21 長野着
 (信越本線)
 長野県内某駅着

 平安の昔、地方に赴任する役人は、そこが越後だと喜び、信濃だと落胆したという。
 雪深くとも、海の幸が豊富で、美人が多く、気風も良かったのだろう。
 なんせ信濃人は蛋白源として虫を食うからな…蕎麦だってやせた土地の作物だ。
 
 長岡では、歴史シンポジウムが連続して開催されている。
 12月27日のテーマは継之助と明治維新だ。
 結局、継之助はどうすれば良かったか…それは分らない。
 長岡の人々は今でもそれを問うているのであり、だから彼はブランド化された偉人とはならず、
今もってリアルであり続けているのだ。
 旅する前は、大河ドラマで「峠」をやらないかな…と思ったりもしたが、むしろやらない方がいい。
 長岡には「継之助まんじゅう」も「虎三郎パイ」もなく、それでいいのだ。

 「峠」を偲ぶ旅の投稿は、これでおしまい。
 読んでいただいた方々…「ながながと、ありがたかったでや」

 ッツタッタターン タッタターン ンタッタターン
 ちびっ…ポリポリ…くいっ…ぷはあ
 「八海山」は旨いね。

「峠」を偲ぶ旅~慈眼寺

2006年12月03日 | 小さな旅
11月25日(3日目)

 「東忠」から歩いて10分足らず。
 船岡山慈眼寺は真言宗智山派、小千谷有数の古刹である。
 (写真は修復なった本堂)

 そして「会見の間」は、戊辰・北越戦争史最大の「たられば」の舞台であり、継之助の足跡のなかで、
当時のままに残されている、殆ど唯一の場所だ。
 ここは観光寺ではないので、見学には事前の了解が必要。
 私は前日旅館から電話をかけ、「特に法事もないので大丈夫です」と返事を頂いていた。

 「峠」の最初の方に、継之助が鈴木佐吉に学問の目的を語るところがある。

  「-吉原の帰りにさ」
  と、継之助はいった。タンボを歩いていると、肥桶をかついだ百姓がいきおいよくやってくる。
  こっちが通るというのに、道もよけない。会釈もしない。御府内の百姓は侍をおそれないからね。
とくに吉原界わいの百姓はそうさ。
  ぴしゃっと、汚物が、襟、袖、足もとにかかった。汚物だぜ。
  「どうするかね」

 という問いだ。
 返り討ちにすべきなのだが、現実には簡単ではない…と彼は説明し、人間行動しようとすれば様々な
矛盾にぶつかる、それを即断対処できるような原則を打ち立てるのが、おれの学問の道だ…という。
 肥桶の件は卑近な例えであるが、「峠」では、遊学中、銭湯における「山姥の芳」と「のぼり竜」との
喧嘩の仲裁、郡奉行となってからの山中村の評定など、形を変えて繰り返し登場するテーマだ。
 これらが、最大の矛盾である長岡藩の武装中立路線への巧みな伏線となっている。

 …そして、彼はここで敗れた。
 その後の戦争は、ある意味つけ足しであろう。