=電線の鳥blog=「今日もどっちつかず」

 一般的にどうなのか、みたいなことは、結局、重要なことではない~チップ・エクトン

一行小咄~だったらヤんな!

2005年11月30日 | 暮す日々
 
 ★腰穿きをしたジーンズを、一生懸命引っ張り上げている若者を見た★
 
 …それだけなんだけど、ミョーに可笑しかったもんで。
 なお表題は、東けんじ(Wけんじの先に亡くなった方)風に、「ヤ」にアクセントを置いて
下さい。すいません古くて。

バブリング蹴球記~解説

2005年11月30日 | 文化・社会
 直前の投稿は、筒井康隆さんの読者なら誰でも知っているはずの「バブリング創世記」を模して書きました。
 常々「ブラジル出身のサッカー選手は似たような名前が多いな」と感じていたことから
思いついたもので、パロディというほどのものでもありません。
 ところが投稿してからウェブで調べたところ、この作品はどうやら新刊では入手しづらく
なっているようなので、ここで簡単に解説します。(カテゴリー不連続)
 といっても、私も古本屋で処分してしまっています。(本は売るものではありませんね。)
図書館に行く時間が無いので、かなりの部分を記憶に頼ります。後日、テキストが入手
出来たら追補の投稿をするかも知れません。
 ご了承下さい。

 この小説は、3つの要素で成り立っています。
  1 ジャズ・ボーカルの表現であるバブリング。
  2 聖書のパロディ。
  3 日本語の音としての快感原則の追求。

 1のジャズについては無知ですが、バブリングはスキャットによるインプロヴィゼーション(即興)で、ある言葉(意味は無くてもいい)から音韻的に想起される言葉(音)をリフレインしながら次々に展開させる表現手法と理解しています。
 本作ではたしか「ドンドン」→「ドンドコ」から始まっていた記憶があります。
 
 2は、たまたま手元に聖書がありました。
 「ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコはドンドコドンを生めリ…」と延々続く
書き方は、旧約の「創世記」にも類似の記述があるのですが、新約の「マタイ伝福音書」の冒頭に拠ります。
 引用します。
 「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。
  アブラハム、イサクを生み、イサク、ヤコブを生み、ヤコブ、ユダとその兄弟を生み、
 ユダ、タマルによりてパレスとザラとを生み…(略)…エッサイ、ダビデ王を生めリ。…」
 と、これまた延々とイエスが生れるまでが記されます。
 話がそれますが、クリスチャンでない人(私もそうですが)も「諸人こぞりて」という賛美歌はご存知でしょう。「♪主は来ませリ」というアレなんですけれど、この「~~り」という書き方って何となく面白い。
 「我、奇襲に成功せり」は真珠湾攻撃の電文でしたか、ですから聖書の専売特許ではありませんが、聖書の文語訳と結びついている印象があります。
 実際、聖書って可笑しいんですよ。
 凡例からしていきなり「引照に用ひたる各書の略書名は目次中に示せり。」ときます。
 別に凡例は口語で良さそうなものなのに、「~~り」で締めないといけない決まりでもあるのかなあ。威厳と格調を出したいにしてもやり過ぎです。
 もしかしたら筒井さんも、可笑しみを感じたかも知れません。
 余談が長くなりました。
 で、本作は聖書に平仄を合わせるように、最後は神だったか信仰だったかが誕生して
締めくくられます。
 ただ、これに余り深い意図を読み取る必要はないように思います。

 というのは「バブリング創世記」の眼目は3であると考えるからです。
 本作の初版は1978年、徳間書店から発行されています。高校からの帰宅途中、ふと
書店で立ち読みした私は、そのまま笑いが止まらなくなり、肩をビクビクさせながらも、最後まで読み続けずにはいられませんでした。
 脳の言語中枢に快感を感じる能力があることを、私はその時知ったのです。
 当時筒井さんは、これまた当時新進気鋭のジャズ・ピアニスト山下洋輔さん達と交流があったはずです。(こうした人脈の中に赤塚不二夫さん達もいて、そこにタモリが登場するわけですが、これらは後に知ったことです。)
 山下洋輔トリオは、曲のタイトルに無頓着で「あれ演ろう」「これ演ろう」で済ませていた
そうですが、他には「グガン」という曲があったりして、それは、
 ♪グガン グガン パトトン グガン タパトトン (そう聴こえる)
 と始まるから、という、いい加減なもので…。
 かように日本語は擬音・擬態の造語能力に優れています。
 「ひでぶ」「あべし」(北斗の拳)などは、一つの到達点と言えるかもしれません。
 筒井さんは、バブリングと聖書の結構を借りて、その能力を最大限快感方向に使う言語実験に成功し、被験者である私に絶大な効果をもたらしたというわけです。
 ですから、私の投稿のように「意味で落とす」部分は、各章の末尾と途中に散見されるくらいで、読者はとにかく音のリズムと発語の快感に身を委ねればいい。
 これこそ「声に出して読みたい」傑作と言えるでしょう。
 註:文中の聖書は1980年版「日本聖書協会」発行のものです。

バブリング蹴球記~第1章「ブラジル」

2005年11月29日 | スポーツ
 ジーニョはジーコの父なり、ジーニョの子ジーコ、ジョルジとコージを生めり、ジョルジは
ジョルジーニョとロビーニョを生み、コージはアイハラコージとなりコージエンを書けり。
 ジョルジーニョ、ジョルとジョリとジョリジョリとジュリーを生み、ジュリーは歌手になれり。
 ジョリとジョリジョリはジレットをつくり、ベッカムと契約せり。
 ロビーニョはロナウドとリバウドを生み、リバウドはリバウンドを生み、なぜかロナウドは
太れり、リバウンドはロドマンとロベルトカルロスを生めり。
 ロナウドはウドスズキとロナウジーニョを生み、ロナウジーニョあまたのゴールを生めり。
 祝・バロンドール受賞 
 この稿、catorceさんと筒井康隆さんに捧ぐ。
 註:直後の解説記事も併せてお読み下さい。

骨まで愛して

2005年11月29日 | 暮す日々
 昨日は、仕事が少し長引いて、高村薫スペシャル「父が来た道」(TBS)を観ながらの夕食となる。余貴美子さん好演。こんな艶っぽい演技をする人とは知らなかった…新境地か。阿部寛さんよりも7~8歳上なんだけど違和感なし。
 そして食卓には、鶏の水炊きと2合徳利。幸せである。
 何を隠そう、鶏の水炊きは、好きな鍋料理ベスト1なのだ。
 鶏肉は専門店で買い求める。以前書いた牛豚肉の店とは違うところだ。但しここも、注文してから、その場でブツ切りにしてくれる。
 私は、肉よりもむしろ臓物系が好きな、食のスプラッタームービーみたいな人間だ。(映画は怖くて観られない。)旨みを出し切った骨髄やら軟骨やら噛み砕き、呑み込む。
 だから鶏って好きだ。
 質がいいのか新鮮なのか、白濁したスープは味付けが不要なほどにスッキリとしてコクがあり、お餅を入れて最後の一滴まで頂いた。
 ネコ科の肉食動物は、捕えた獲物の肝臓から食べ始めるという。肉しか食べないなんて勿体無い。丸ごと食っちまいなっ。

ボラギノールの法則

2005年11月28日 | 文化・社会
 NYヤンキースの松井秀喜選手は酒井美紀さん→戸田菜穂さんかあ。
 いずれも撫子タイプで統一感のある堅実な流れだ。
 戸田さんという人は、何かの加減でとんでもなく底意地が悪そうに見える時があるが、
役者としては良いことかも知れない。夫婦喧嘩が激しくなると広島弁で啖呵きったりして。
 さて…。
 こうした報道を見て「スポーツ選手はいいよなあ」と思っている若い男性諸君。
 運動はもちろん、株の才能も、お笑いの才能もない、そこのキミ。
 そんなキミにぴったりの彼女はCM界に存在する。
 あっ今、ムリめの美少女を想像したでしょ?
 たしかに「ツーウィーク・アキュビュー」の歴代CMガールはそりゃあポイント高いよ。私も、ツボを心得た人選に、常々感心しておるところだ。
 だが、キミには高嶺の花というもの。
 だから、裾野を狙うんじゃよ。クックック…とっておきの秘策を授けよう。
 私が日頃から提唱する法則に従っちゃいなさい。
 ズバリ 「痔の薬のCMに出てる子」を狙え!
 …説明しよう。
 そもそも考えてもみよ。うら若い乙女が痔の宣伝だぜ。起用する方も気を使う。
 ちょっとばかしキレイなだけの、高慢ちき女にはムリだ…勤まらぬ。
 かといって、余りにも「私、痔主ですっ。」て感じの子(どんな感じだよ?)もダメだ。視聴者にリアルな想像を起させ、深夜枠でしかオンエアできんだろう。
 痔の薬って、主婦向けに昼間CMやってるんだよ。
 そこで残るのは、顔はそこそこでも、清潔感があって自分を飾らず、
 「キミ、今度の仕事、痔の薬なんだけどいいかな?」
 と気楽に頼める雰囲気を持った、素直で性格の良い子に絞られてくる。
 こういう子は、自分自身が仕事を選ばないプロ意識の持ち主だから、夫の仕事にも理解があるはずだ。
 さらに夫婦喧嘩も、
 ・夫 「オマエなんか昔は痔主だったじゃねえか!」
 ・妻 「あれは宣伝でしょ!」
 ・夫 「嘘つけ、何なら調べてやるっ。」
 ・妻 「止しなさいよ、このどスケベッ。あっ何するのよっ…アアッン…」
 なわーんちって、あっと言う間に仲直り、微笑ましいもんだ。
 どうであろう諸君、私の法則の正しさがご理解いただけた事と思う。
 これを「ボラギノールの法則」と名付けることにした。
 法則が理解できたキミは、さっそく行動に移していただきたい。製薬会社に就職するのも、案外遠くて近い道かも知れぬ。
 いや、一度曇りなき目で周囲の女子を観察してみたまえ。
 「ボラギノールな子」は、必ずやキミの近くにも存在するはずだ。健闘を祈る。
 註:12月21日の投稿も併せてお読み下さい。