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=電線の鳥blog=「今日もどっちつかず」

 一般的にどうなのか、みたいなことは、結局、重要なことではない~チップ・エクトン

「峠」を偲ぶ旅~東忠

2006年12月02日 | 小さな旅
 11月25日(3日目) 

 割烹「東忠」

 小千谷駅から信濃川(旭橋)を渡り終わって、
 すぐ左に折れ、およそ200メートル。
 駅からは歩いて15~20分ほどで着く。

 10分ほど遅れて着くと、可愛らしい女将が出迎えてくれ、庭に面した1階の部屋に通された。
 写真のとおり畳廊下で、右側が庭になっている。
 階上から、こどもの走り回る音と、嬌声がしきりに聞えてきた。
 「お食い初め」をしているのだそうだ。
 トイレを借りに館内を歩くと、廊下がとても狭いことに気付く。
 酔った侍が、刀を振り回さないための用心だろうか…などと勝手に想像してみる。

 ここは、慈眼寺の談判の際、休憩所として継之助が利用した。
 2階には、決裂して失意の内に昼食をとった部屋が残されている。
 そういう史蹟に寄りかからず、歴史ある京風の設えの中で、美味しい料理を食べさせてくれる。
 酒は「長者盛」を頼んだ。あやかりたい、蚊帳つりたい。
 震災の時は、壁に全部ヒビが入り、1年近く休業したが、柱は全く無事だったと仲居さんは言う。

 ところで、この界隈は、かつて花柳街だったところ。
 一度は、しっぽりと芸者遊びをして見たいものだのう。
 食事が終わりかけ、階上の物音がカラオケに変わる頃、「貧者盛」の身は考えた。

 「母上には内緒だぞっ」

 この店を奨めてくださったのは、他ならぬ黒豆さん。
 有難うございました。

  (買い物メモ)
 ・耳かきコレクターの姉に1本。
 ・「東忠」てぬぐいを2枚。

 なお、料理はで6353円(税・サ・室料込)。

「峠」を偲ぶ旅~小千谷へ

2006年12月01日 | 小さな旅
 11月25日(3日目)

 只見発  8:56→10:13 小出着
 (信越本線)
 小出発 11:16→11:39 小千谷着
 (上越線)

 最終日、出発の朝。
 ご覧の通りの良いお天気。

 写真が「ますや旅館」外観。
 
 それにしても、旅館の朝飯と言うのは、どうしてあんなに旨いのか。
 …今回、前夜に宴会がなかったせいかなあ。

「峠」を偲ぶ旅~ますや旅館

2006年12月01日 | 小さな旅
 11月24日から25日

 ますや旅館に投宿。
 只見駅から、徒歩5分足らず。

 只見は福島県の最西端に位置する、全国で2番目に広い町で、その93パーセントが山林だ。
 …と、宿の案内にあった。
 2番目に広い云々は、今もそうなのかは分らないが、ぶなの原生林や渓流が町の観光資源だ。
 「継之助を偲んで」派は、むしろ少数なのかも知れない。

 mixiで得た情報によると、旅館のご主人が継之助のファンだという。
 しかし、この日はご夫妻で所用に出ていて、にこやかに出迎えて下さったのは、ご母堂と妹さんの
助っ人コンビ。
 予約の再確認をしたときに、何となくご主人の応対が「あれえ?」という感じだったことを思い出す。
 その日留守にすることを忘れていたか、或いは予約を入れ忘れていたか。
 「本当は夫婦のプランなのを、融通をきかせて下さいましたよね?」
 「ああ、はい。その会話、覚えております。」
 朴訥な口調であった。

 お風呂に入ってから夕食。
 ここもプランで地酒「花泉」が付く(嬉しいのでいちいち書く)。
 メインは岩魚のお刺身と焼き物である。
 岩魚刺しは二度目だが、適度なコク味が酒に良く合う。
 写真中央が焼き物であるが、岩魚とは信じられない大きさだ。
 田子倉湖を回遊し、ワカサギを食べて育つので、渓流のものより大きくなるらしい。
 母は、頭の部分で、不気味に感じたのか、箸を付けなかった。
 取り替えてあげれば良かったか。
 ご飯は「桜飯」が出る。
 継之助の大好物で、大根の味噌漬けを混ぜたものだ(本来は炊き込む)。
 満足して部屋に戻り、人手が足りないのは分っているから、そうそうに布団を出して寝る。

 翌朝。
 帳場の方に下りていくと、ご母堂に「申し訳ない。布団延べなくて…」と、いきなり拝まれてしまった。
 「(客に布団を敷かせるなんて)こんな旅館、どこにもないでしょう。」と、さらに詫びが入り、
そこに真情がこもっている。
 失礼ながら、登山や釣り人対象の素朴な宿なのだから、はじめから期待していない。
 かえって、こちらが恐縮してしまう。

 …お世話になりました。
 宿泊費:8000円。

「峠」を偲ぶ旅~只見線

2006年12月01日 | 小さな旅
 ここで少し補足を…。

 前稿のタイムスケジュールでお分りの通り、
 会津塩沢で降りて、再び乗るまでの時間は70分。
 だから記念館の見学時間は、40分ほどだ。
 小さな記念館とはいえ、戦いの再現映像(10分)もあるし、休憩スペースには資料も揃っている。
 じっくり腰を落ち着けたい熱心なファンには、足りないはず。
 (私たちもギリギリになってしまい、あぜ道をショートカットして、ようやく間に合った。)
 そこで、構内の時刻表を掲載します(写真)。
 只見に前泊していれば、お弁当持ちで朝早く来て、ほぼ開館時間いっぱいまでいられる。
 (もちろん会津塩沢でも構わない。記念館近くに民宿があります。)

 なお、時期的なおすすめは紅葉の10月。
 「風っ子」という季節列車が走るからだ。
 トロッコ車両や、SLもあるので、時刻表をご確認のうえ、訪れてはどうだろう。

「峠」を偲ぶ旅~只見・河井継之助記念館

2006年11月30日 | 小さな旅
 11月24日(2日目)

 小出発   13:17→14:50 会津塩沢着
 会津塩沢発 16:00→16:13 只見着
 (只見線)

 ガトッゴトーン ガトッゴトーン ガトッゴトーン 
 ちびっ…ポリポリ…くいっ…ぷはあ
 「緑川」は旨いね。

 継之助、終焉の地、只見。
 記念館は只見から2駅先の会津塩沢駅から徒歩10分。
 上記の行程は、今夜宿泊する宿のご主人に教えられたもの。
 それまでは、只見にあると思っていた。 
 無人駅に降り立ち、ガイドブックの簡易地図を頼りに、そして途中、道を尋ねながら到着した。
 それほど周囲には何もないところだ。

 「峠」の最後、死期を悟った彼が、従者松蔵(役者の如き美男だったという)に、
 「松蔵、火を盛んにせよ」
 と命じるシーンがある。
 自分の死骸を燃やす火だ。
 そして短くねぎらう。
 「ながなが、ありがたかったでや」

 記念館には、その場所、村医・矢沢宗益宅の一部が移築・展示されている。
 
 母は、被弾し敗残した継之助らを暖かく迎え、拾い残された細骨で墓所を作った只見の人の心根に
感動したようだった。
 その墓所のある医王寺(無人寺のようだった)は記念館から、程近い。

 実際の臨終の場所は、滝湖の底に沈んでいる。
 白鷺が数羽、水辺に遊んでいた(写真) 

 以下は、エレファントカシマシ「昔の侍」から。
 日本のロックの名曲であるとともに、私の中の継之助像と分かちがたく結びついている。
 くだくだしい説明よりも手っ取り早いと思えば引く。
 (なお、彼は自刃したわけではない。)

 〔前略〕

 ♪戦う術を失う
  我らは いたずらにその身体
  秋風にさらしている
  秋風にさらしている

  冬支度済まぬ 寒き町と
  夢遠き我が姿
  ああ 重ねて消えた
  我が姿は重ねて消えた

  〔中略〕

  たなびく雲 沈み行く夕日よ
  ああ さよならさ
  滅びし日本の姿よ
  さよならさ
  我らが青き夢よ
  さよならさ
  我らが青き日々よ

  昔の侍は
  自ら命を絶つことで
  自らを生かす道を
  自ら知ってたという
  知ってたという

  さらば遠き我らが日々よ
  さらば友よ