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=電線の鳥blog=「今日もどっちつかず」

 一般的にどうなのか、みたいなことは、結局、重要なことではない~チップ・エクトン

レイバー・オブ・ラヴ~UB40

2006年05月09日 | ソングブック・ライブ
 音楽の話をわりとよくするので、
 「いつも部屋で流しているんでしょう?」と聞かれる。
 ところが、私は「ながら聴き」が出来ないので、
BGMとして、曲を流すことは原則としてしない。
 だから、音楽を摂取する最適な空間は、単独のドライブ中である。

 ただ、物事には例外があって、それはマットサイエンスやボクシング・フィットネスの時にブリティッシュ・
レゲエをかけること。
 静動どちらのエクササイズにも非常にマッチする。
 UB40とは、たしかイギリスの失業保険申請書の書式ナンバーで、それをバンド名にするだけあって、
基本的に硬派のバンド。
 数ヶ月前に「サイニング・オフ」を購入したが、陰鬱なアルバムで驚いたほどだ。
 というのは、永年愛聴している本作が、明るくて抜けの良い演奏だからで、レゲエの名曲を実に楽しそうにカバーしている。
 ボリュームをいっぱいに絞っても、針の下から(アナログ盤です)、♪ッツシャー ッツシャー ッツシャー… 
と心地よいリズムが漏れ聞こえてくる。
 「レイバー・オブ・ラヴ」とは、直訳すると「愛の労働」となるが「(見返りを求めない)好きでする仕事」という意味で、風俗とは関係がない。
 
 ところで、私はエクササイズ中、すぐにカウントが分らなくなってしまう。
 スクワットのような単純なものでもそうだから、これは一種の病気かも知れない。

町を見下ろす丘

2006年04月13日 | ソングブック・ライブ
 去る3月27日…。
 エレファントカシマシの最新アルバムが発売された。
 オリジナルアルバムとしては通算17作目になる。

 音については後回しにして、ジャケットに注目してみよう。
 ここでいう「町」とは東京であり、あなたや私の暮らすところだ。
 それを丘の上から一羽のカラスが見下ろしている。
 カラスは宮本君(宮本浩次)の歌詞にこれまでも時折登場している。
 寄生虫だけでなくカラスも好きなんだろうか。
 サードの頃に観たコマ劇場のライブでも「上野の山」を歌い終わったあと、「上野のカラスでした…」とか
意味不明のMCをかましていたっけ。
 彼らは元々、アートワークに凝るタイプのバンドではないんだけれど、これはイメージが膨らむジャケットで良いと思う。
 
 戯れに、これまでのアートワークと歌詞がタテ書きかヨコ書きかを列挙してみよう。
 
  1 「エレファントカシマシ」=ヨコ  
    ~メンバーの顔のアップ。
  2 「エレファントカシマシⅡ」=ヨコ 
    ~ベンチに座るメンバー(宮本君のみ起立)。
  3 「浮世の夢」=タテ
    ~夜の商店街をバックに立つメンバーのバストアップ。
  4 「生活」=タテ
    ~白地にロゴ一発。
  5 「エレファントカシマシ5」=タテ
    ~ラバーソウルっぽく歪んだ、メンバーの顔のアップ。
     なお、石君(石森敏行)は今では考えられないほど激太り、片や大将は失恋で激しぼみ。
  6 「奴隷天国」=タテ
    ~真っ赤なライトを浴びたメンバー。
  7 「東京の空」=ヨコ
    ~都庁をバックに道路標識に手を添えた宮本君を下から。若手指揮者のようだ。
  8 「ココロに花を」=ヨコ
    ~生い茂った植物の葉が一面。
  9 「明日に向かって走れ-月夜の歌-」=ヨコ
    ~真夜中、走る車もない片道3車線の道路。
  10 「愛と夢」=ヨコ
    ~ブルーバックに宮本君の横顔がシャドーで。
  11 「good morning」=ヨコ
    ~宇宙空間。宮本君の乗ったスポーツカーが閃光に向かうところを後ろから。
  12 「ライフ」=ヨコ
    ~胸に手を当てた宮本君と雲のコラージュ。
  13 「DEAD OR ALIVE」=ヨコ
    ~崖(だろうか)に稲妻。
  14 「俺の道」=タテ
    ~狼。
  15 「扉」=タテ
    ~半分が影になった宮本君の顔のアップ。
  16 「風」=ヨコ
    ~クレヨンかパステルで描かれたような白黒の抽象画。

 …そして今回である。歌詞はタテ書きだ。
 歌詞のタテヨコを記したのは、タテの時は内向き、ヨコの時は外向きという印象があるからだ。
 もちろん例外はあるが、原稿用紙とレターヘッドのような違いだ。
 原稿用紙型の極北が「遁世」であり「歴史」である。
 「歴史」なんて殆どありえない詞で、字面だけみたらロックの歌詞とは誰も思わないだろう。
 そして、周期的にタテ期とヨコ期がやってくる。

 さて…。
 「町を見下ろす丘」は実に誠実な内容の好アルバムである。
 自分を見つめなおした歌詞が多いけれど、それが鬱屈せず、放出回路がつながり始めている。
 リフの抜けも良い。
 また今回は歌うことに専念したというだけあって(「Bridge」誌のインタビューによる)歌唱も丁寧だ。
 タテからヨコへの移行期とみた。
 
 思うに宮本君という人は、メンバーに口やかましく色々言う割には、リーダー気質ではない。
 リーダーにしては、世話が焼け過ぎるのだ。バンドがなくちゃダメなのだろう。
 今作では、各パートのバランス、フレーズともに素晴らしい。
 次作は「奴隷天国」以来、久々に全員でジャケットを飾ってくれ。
 
 以下はただのつぶやき…。

 親愛なる宮本大先生よ…。
 凄くいいアルバムで、繰り返し聴いている。
 だが、これを傑作と呼ぶのは君にとってむしろ失礼だろう。
 もしかして不惑は節目とか気張って考えてるんじゃあないのか。
 相変わらず堅苦しい奴だ。
 別に何にも変んねーよ。
 いや…歳食った方が過激になれるはずなんだよ。
 もっともっと突き抜けていい。
 私は死ぬまで、キミ達と一緒に「地元のダンナ」として戦う覚悟なのだ。
 そう…「理想の朝」を迎えるために。

ゆうべ神様に車で家まで送って貰った

2006年04月04日 | ソングブック・ライブ
 聴いた事のない曲について想像してみる。

 音楽と活字が好きな人なら 雑誌のレビューを読みながらどんな曲かを思い描くのは結構日常的に
やっている行為だと思う。

 この曲は古いブルースらしい。
 U2のボノがインタビューで語っていた。
 「ボノのヤツはブルースを全然知らなかったんだよ。だから色々教えてやったんだ」
 これは別のインタビューでキースリチャーズが語っていたものだ。
 多分関連があるのだと思う。

 おそらく主人公は疲れ果てた(何に疲れているのだろう)中年の黒人男性だ。
 「神様」はイエローキャブか何かのタクシードライバーに姿を変えていたかも知れない。
 男が彼を神様だと知る理由は、曲の中では明かされない。
 会話もなく、ただ車中が肯定的な気配に満ち、それと悟るのだろう。
 それはつかの間で、家に帰ったところで、暖かい家庭が待っているわけでもない。

 いったい、どんな曲なのだろう。
 ボノの語った内容は忘れてしまったのに、何年経ってもタイトルだけが忘れられない。

 きっと、人にしてやれる親切なんて、せいぜい「家まで車で送ること」くらいなのだ。

人を元気付ける暗さ

2006年03月25日 | ソングブック・ライブ
 というのは渋谷陽一さんが「つげ義春日記」を評した言葉である。
 早川義夫さんのことを「ロック界のつげ義春」といったら安直だろうか。
 いや、安直なだけ、感じは掴めるかもしれない。
 「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」は1969年にリリースされたソロアルバムである。
 思えば、ジャックスを教えてくれたのも大学時代の友人S籐であったな。
 二人で先輩のアパートに泊まった時、ロックの名盤100みたいな雑誌があって(この手の企画は定期的に行われており、今も昔も1位は「サージェント・ペッパー…」である。)、相当上位に「ジャックスの世界」が入っていた。
 そして先輩とS籐は、それを当然のように思っていた様子であった。
 UAさんについて書いた中で(05年9月2日)、「自分の脱いだ靴下の臭いを嗅いでいるような詞とは
一万光年の隔たりがある」と書いた。
 早川さんの歌は、靴下を脱いで指の間ををゴシゴシして、「ねえ、臭いだろう。どうしてボク達はこんなに臭いんだろうね」と、真顔で指を突きつけてくる。
 これは不愉快な喩えだろうか。
 そうであっても臭いことを否定できる人はいない。

 自分で嗅いでるだけじゃだめなんだ。と私は思う。

 比較的世間に知られている「サルビアの花」は女々しい男の歌である。
 しかし、そこに不思議と自虐臭はない。
 余りにもむき出しな歌の数々には、詩情と同時に奇っ怪なユーモアがあって、私はこの作品を聴くと、
とても安らかな気持ちになれる。
 薄気味悪くてエロティックなアートワークも素晴らしく、一度見たら忘れられないだろう。

 次は「恥ずかしい僕の人生」(これでも十分凄いタイトルだが「チンコがちっさい、それでもいいか」という案もあったという)を聴いてみたい。

一度も頂点を極めなかったバンド

2006年03月24日 | ソングブック・ライブ
 すなわちローリングストーンズが来日している。
 当ブログのタイトルは彼らの曲に由来しているので、少し書いてみる。

 ミック・ジャガーの名を知ったのは小学生の時で、姉の中学校の卒業文集に同級生の誰かが、
「ミックは悪魔だ」と書いていたのを見たのが最初だ。(彼女は同級生の文を覚えていなかった。)
 それをキッカケにストーンズを聴き始めたかといえばそんなことはなく、音を聴いたのは、やはり20歳
前後だったと思う。
 初期の作品を集めたカセットテープである。
 始まりも終わりもはっきりしないような曲ばかりで、すぐには耳に入ってこなかった。
 「ワイルドホース」など美しいメロディを持つ曲もあるが、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」にしろ
「サティスファクション」にしろ、ヴォーカルだけを取り出してみると、何だかとりとめがない。
 それに私は、いわゆる「黒っぽい」というフィーリングが識別できない。
 だから、彼らの音楽的背景を感覚的に理解することができないのかも知れない。
 というか、彼らの音楽的側面が真面目に取り上げられたことってあるのだろうか。
 ブルースロック、ハードロック、ヘヴィメタル、グラム、プログレ、パンク…。
 様々な潮流があった中で、ストーンズは適当に付き合うそぶりはみせても、全てをやり過ごしてきた印象がある。
 よく言われるように常に2番手くらいにいて「頂点を極めたバンド」つまりビートルズやレッド・ツェッペリンのようなキャリアの起承転結がない。
 ストーンズを保守の親玉みたいに攻撃する若手のバンドも、先に消えてしまうし、そもそも彼らに何か
新しいことを期待するファンもいないだろう。
 政治的発言や活動に走ることもしない。
 聞こえてくるのはミックの女性問題とか、キース・リチャーズと喧嘩したとか、そんなことばかり。
 「ミックが勲章を貰って喜んだ」と、キースは本気で怒っていたが「あんなヤツだとは思わなかった」って、オマエらいったい何年付き合ってるんだよっ。

 真面目に取り上げられることを積極的に避けているんじゃないかなあ。
 特にミック。(キースは音楽については真面目に語るからね。)

 ところで…。
 ストーンズが親子揃って安心して楽しめる娯楽になったのは、いつ頃からなのだろう。
 ハル・アシュビーの撮った記録映画辺りから、イメージが変わってきたような気がする。アルバムでいうと「スティル・ライフ」の頃か。
 …それが悪いということではない。
 そんなことをいう資格は私にはない。
 「オルタモントの悲劇」だって活字でしか知らないのだし…。
 
 熱の入らない原稿だけど、私はストーンズを飽きずに聴いている。
 ただ、どこがいいのか、と聴かれても答えようがないのである。
 
 …つうことで、ストーンズって、ロック史上最大の謎かもしれないってえことで。
 ちなみにメンバーではチャーリー・ワッツが好きです。