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=電線の鳥blog=「今日もどっちつかず」

 一般的にどうなのか、みたいなことは、結局、重要なことではない~チップ・エクトン

悪魔よ我に続け

2006年03月10日 | ソングブック・ライブ
 3月8日、ジャック・ホワイトの喉がつぶれて延期になっていたホワイト・ストライプスのライブに接する
ことができた。場所はZEPP名古屋。

 期待に違わぬ、圧巻のパフォーマンスだった。

 開演前の場内には50年代60年代のロックやブルースが流される。
 どの曲もシンプルなんだけれど、これが中々いい。
 曲が切り替わる…。
 「Get behind me Satan」にノン・クレジットで入っている、ゴブリンが飛び跳ねているような曲(ホワイト・
ストライプス版「Wild honey pie」みたいだ)に合せて2人が登場。
 ジャックは赤いインナーに黒のロングコート、古ぼけたシルクハットも黒。
 メグは白いTシャツに赤のパンツ。
 彼らはデビュー以来、赤・白・黒のトリコロールで全てを統一している。
 観客に向けてポラロイドをカシャリ、写真を投げるジャック。
 単純な演出だが格好いい。(演出らしい演出はこれだけ)
 すぐに「Blue orchid」のリフがかき鳴らされ、2時間弱のギグが始まった。

 先にステージ配置を説明しておこう。
 下手手前に赤いドラムセット。メグは観客に対して半身の姿勢で構える。
 中央にマイクスタンド。奥にマリンバ。そこから時計回りに人形が飾られた台、オルガン、ピアノの順。
ホリゾントにリンゴのイラストが描かれたタペストリー。
 ちなみに私はメグの側で、舞台から7メートルくらいにいた。

 ギターの奏法について語る能力は私にはないが、ジャックのギターは高く評価されているらしい。
 非常にエモーショナルであって、それも喜怒哀楽の表層をなぞるようなものではなく、もっと名付けようのない根源的な情動を刺激してくる。
 指が動くとかいうこととは違う、コミュニュカティブな演奏である。アコースティックギターにアンプを繋いだだけなのに、放たれる音像は驚異的だ。
 喉の奥を震わせるような歌唱法も独特である。
 一方、メグのドラムは技術は全くない。
 アマチュアのバンドでメグよりも上手いドラマーなど掃いて捨てるほどいるはずだ。
 …が力強い。
 「演奏が上手い」ということと「人の心を動かす」ということは、勿論イコールではないわけだが、それを
こうして具体的に体験するのは感動的である。
 例えば「The nurse」における衝撃音の連打などは、到底譜面には再現できないだろう。
 何というか…二人がプレイする度に、新しく曲が生れ直すように生々しい演奏だ。
 
 選曲は近作2枚を中心としたもの。
 面白かったのは、オリビア・ニュートン・ジョンの「ジョリーン」のカバー。
 また「I just don't know what to do with myself」では、観客に歌わせた。
 大好きな曲なのでこれは嬉しかったんだ♪
 シメは「Seven nation's army」(これもアコギとボトルネック!)
 メグが、最前列のお客にスティックをそっと手渡したのが印象的なエンディング。

 ところで…。
 彼らは体型的に太めである。
 ジャックは途中からコートを脱いで「時計仕掛けのオレンジ」みたいなボディ・スーツ姿になったが、
わき腹とかプヨンと肉がついていた。
 メグがあごをやや突き出し、肘を引いてドラムをぶっ叩くたびに、ブラジャーをつけていない雌牛のような乳房はゆさゆさと揺れた。
 私は、どちらかというとロックバンドは痩せていないと…みたいな思いがある。
 それがこの晩に限っては、少し認識を改める気になった。
 
 あと…立ち見の体力は持ちましたが、頭の振りすぎか首筋が少し痛いです。

 付記:彼らの撮り下ろしライブが以下の予定で放映される(公式サイトより)。
 ・CS放送(フジテレビ721)が4月15日23時から。
 ・地上波フジテレビが4月下旬。
 興味のある方は、是非ともご覧いただきたい。

シップビルディング

2006年03月07日 | ソングブック・ライブ
 エルヴィス・コステロの、この曲の内容について私は勘違いをしていた。
 造船所が閉鎖され、零落していく町を描いていると思っていたのだ。
 今回、改めて歌詞を読んでみたら違った。
 実際の歌詞はこうである。(訳:金田逸子)

  価値のある贈り物だろうか
  新しいウィンターコートとクツは妻へ
  息子の誕生日には自転車を
  (略)
  それは町じゅうに広がった ただのウワサ
  船を造る結果として死ぬ人がいると言い出したやつは
  なぐり倒されたと 誰か言っていたみたい
 ※世界の望みと共に
  命を守るためにもぐるより
  真珠を取るためにもぐる方がいいのに
  それは町じゅうに広がった ただのウワサ
  電報か絵ハガキが送られ
  1週間以内に造船所は 再び開かれる
  (略)

  ・ 事故が起きて労働者が死んだが、隠蔽された?
  ・ 造船所では、原子力潜水艦を造っている? 

 私には、歌詞の読解力が弱くて読み取りが上手く出来ない。
 まして原詩で理解できるほどの英語力もない。
 だからプロテストソングと決め付けることはできない。
 それに、何についての歌かなんて、あんまり重要じゃないと思う。
 ただ、この曲にはメロディーと歌詞との調和がある。
 「静かな抵抗の意志」が伝わってくる曲だ。
 「パンチ・ザ・クロック(タイムカードを押せ)」(写真)は、全体としては、むしろ快活で、
「エブリデイ・アイ・ライト・ザ・ブック」などポップなラブソングが印象的なアルバムなのだが、
この曲が絶妙な陰影を作っている。
 とりわけ※以下3行の部分。
 きわめて繊細なメロディーを、コステロが嗄れた声で歌い、美しいトランペットがそれに響きあって、
心に深い印象を残す。

 …静かな夜、ひとりでかけることをお奨めします。

 付記:2月4日の投稿「アイランド」中、この曲について、ロバート・ワイアットをコステロがカバーした、
と書きましたが逆でした。
 お詫びして訂正致します。

瑞々しい翳り~ロイド・コール

2006年03月06日 | ソングブック・ライブ
 レナード・コーエンについて書いたときに(2004年5月20日)外国人男性で、
好きなヴォーカルを挙げたんだけど、ロイド・コールを忘れていた。
 それにしても全て白人だ。黒人は上手すぎて、私には分らないのかも知れない。
 コモーションズ時代のセカンドを長らく愛聴している(写真)。
 ソロになってからも地道に活動していることは知っていたけれど、情報も少ないし、
どうも売れないらしく、アマゾンでも入手しづらい。さらに、私はクレジットカードを持たないので、
マーケットプレイスを利用できないのも痛い。
 ロイド・コールは私と同い年でマンチェスターの生れである。
 マンチェスターといえばザ・スミスが想起される。彼らには、本当に夢中になった。
 モリッシー同様に詩人タイプのアーティストだが、モリッシーのような過激さはない。詞も情景が浮かぶ
書き方で分りやすい。
  ☆ ブランド・ニュー・フレンド
  ☆ ロスト・ウィークエンド
  ☆ パーフェクト・ブルー
 など、タイトルも短編小説のようだ。
 また、女性の視線に立った詞も書いている。
 胸と喉の中間で発生するタイプで、少し甘めのルー・リードといったらイメージしやすいだろうか。
レナード・コーエンの影響もあるだろう。
 「不安定さ」がかえって魅力につながっている声だ。
 北イングランドからグラスゴーのサウンドには、特有の瑞々しさがある。
 内省的な詞、ロイドの声質、伸びやかなギター、味付けとして使われるストリングスやアコーディオン、
これらが相俟った独特のビタースイートな世界は本当にツボ。
 是非ライブで接してみたいアーティストである。

 付記:セカンド「イージーピーセズ」中に「ジェイムス」という曲がある。
 どうしたわけか家族に疎んじられて、醜くいじけた男の子について、ロイドがつぶやくように歌っている。
おそらく、こうした詩世界の淵源はキンクス(レイ・デイヴィス)だろう。
 ブルース・スプリングスティーンもそうだが、こうした曲を聴くと、日本のポップミュージックで歌われる
世界が、いかに限定された範囲の狭いものかを感じざるを得ない。
 日本は表現において極めて不自由な社会で、悲惨なのは多くの人が与えられたものだけで満足し、
そのことに気がついていないことだ。

♪踊る 魚卵ドゥ

2006年02月13日 | ソングブック・ライブ
 以下は、21世紀を代表する傑作ブログ「鳴かぬなら私が鳴いちゃえホトトギス」のコメント欄で生まれた替え歌を、一応完成させたものである。
 黒豆さんは、魚卵フリークでもあるのだ。
 何でも彼女は、食べてから数時間後、歯のすき間から出現するプチプチが好きで、
「あっ♡今頃こいつぅ!」と思うのだそうだ。
 当初の詞ではそれを反映させたが、少々マニアックなので一般的な表現に改めた。
 原曲は1983年に発表されたヒット曲「ギャラン・ドゥ」
 歌手はもちろん西城秀樹さん。(原)作詞・作曲はもんたよしのりさんだ。
 
 ではどうぞ!
 
    ♪くやしいけれど オマエに夢中 魚卵ドゥ 魚卵ドゥ~ゥ
     情熱の赤 艶やかな色 魚卵ドゥ 魚卵ドゥ~ゥ
     プチ プチ プチ 筋子 ハジケルその美味さ
     都会のヤツにはわからない 踊る 魚卵ドゥ 

  ♪魚卵食うなら 越後のスシ屋 魚卵ドゥ 魚卵ドゥ~ゥ
   サカナ買うなら 角上魚類 魚卵ドゥ 魚卵ドゥ~ゥ
   カニ イカ ウニもいい エビぞるその美味さ
   昇天するまで止まらない 罪な 魚卵ドゥ 

       ♪イクラ 数の子 アア 明太子 魚卵ドゥ 魚卵ドゥ~ゥ
        白いご飯に タラコを乗せりゃ 魚卵ドゥ 魚卵ドゥ~ゥ
        塩分採りすぎで 死んでも構わない
        カロリー地獄に落ちてゆく 燃える 魚卵ドゥ

 秀樹は感激してくれるだろうか…。 
 替え歌としての出来に関しては、読者諸賢のご指導ご鞭撻を待ちたい。
 あっそうそう、振付も募集しているのでよろしく。

 ところで…。
 曲中の角上魚類(かくじょうぎょるい)とは、新潟県長岡市に本社を持つ、鮮魚および鮮魚加工品の小売会社である。
 実は、アンチヘルシー志向の表現を改めたバージョンを作り、同社宛に「社歌にどうか、それが無理なら魚卵部のテーマソングに如何。」と、ご提案のメールを差上げたのだが、現在のところ、ご返信は頂けていない。
 なお、以前紹介した前川やくさんのサイトに、同曲の核心に迫る一大考察が展開されているので、興味のある方は下をクリックしてくれたまえ。

 ※この稿、スケトウダラ、サケ、ニシン、ボラ、シシャモの諸君に捧ぐ…。
  できたらコメントを頂けると嬉しいのだが。

  ギャランドゥとは何か

セクシー・セディ~ジョンの発明した声

2006年02月11日 | ソングブック・ライブ
 「僕は男性の弱々しい声が本当に好きでね…」~モリッシー

 「ザ・ビートルズ」(通称ホワイト・アルバム)は子どもの私には分りづらいアルバムで、良さが分り始めたのは、高校生くらいからだった。
 中学生の時、放送部に所属していた他のクラスの女の子から、ビートルズを学校放送で特集するので、レコードの提供と選曲を依頼されたことがある。どの学校にも一人や二人いる、マセて生意気で口が達者で、どこか帰国子女みたいな子だった。
 私は、その中に「イマジン」を入れておいたのだが…放送当日。
 サビの後、ジョンが「ふっふ~うう」と頼りなげなファルセットで歌うところで、教室に失笑が漏れた。私は机の下で拳を握り締めながら、自分が思い入れている曲でも、そうでない他人が聴くと可笑しく感じる、と言う悲しい現実を知った。

 ジョンは、寄る辺なく情けない声を確信的に使った最初のシンガーかも知れない。

 そして、その淵源はホワイトアルバム中の、いくつかの曲にある。
 この曲は、女性に向けて歌う形式を取っているが、自分の中で偶像が破壊される様子を歌っている。歌詞もシンプルで大変分りやすい。一部を拾い出してみよう。

 ♪セクシー・セディ なんてことをしたんだい
  君はみんなをだました

  セクシー・セディ 君はルールを破った
  臆面もなく これみよがしに

  セクシー・セディ そのうち報いを受けるよ
  どれだけ大物のつもりでいようと

  彼女の食卓につきたい一心で 僕らはすべてを捧げた
  彼女の笑顔ひとつですべてが明るくなった
  セクシー・セディ 偉大なる時代の寵児
  (内田久美子:訳)

 堀江貴文氏逮捕報道のバックに、この曲を流せば良かったんだよ、とか言いたくなるが、本稿のテーマはジョンの歌い方である。 
 糾弾するように叫ぶのではなく、悲鳴のように歌っているのだ。
 後半部分のリフレインなど、どうしようもないやり切れなさが伝わってくる。
 ビートルズ(特にジョージ)が一時期傾倒した、マハリシ・マヘシ・ヨギについての曲というのが通説だけれど、本当は自分自身を歌っているのではないか。
 また、「ヤー・ブルース」「アイム・ソー・タイアード」など、ひとつのメッセージをひたすら突きつける曲は、「ジョンの魂」「イマジン」の先触れであり、こうしたスタイルは「ヘルプ」辺りまで遡ることが出来る。
 そして、聴いている方が恥ずかしくなるほどの切迫した表現方法は、分野は違うけれど、プリンスなど多くのアーティストが継承しているような気もする。