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=電線の鳥blog=「今日もどっちつかず」

 一般的にどうなのか、みたいなことは、結局、重要なことではない~チップ・エクトン

日本一の極楽無責任なる男

2007年06月21日 | ソングブック・ライブ
 エレファントカシマシの「極楽大将生活賛歌」を初めて聴いたとき(随分前の話だ)、私はただちに
クレージーキャッツを想起した。
 どうして植木等はこれをカバーしないのかと思ったくらいだ君はどうだ。
 「東京の空」では、他に「男餓鬼道からっ風」がクレージーテイストを含有しているし、「この世は最高!」
なんぞもアレンジを変えればイケそうではないか。

 と、いうことで(どういうことだ?)「50周年記念ベスト~日本一の無責任大作戦」を聴いてみた。
 私如きが書くまでもなく、彼等は日本の大衆音楽に於けるひとつの到達点である。
 ナンセンスに仮託した哲学的な詞世界※1(青島幸男)、どこまでも突き抜けの良いサウンドデザイン※2
(萩原哲晶)、高い演奏力。
 そして植木等の歌声。
 発声のお手本のような力の抜け方、何より素晴らしくピッチの正確な歌唱である。
 実はすこぶる付きの楷書体ボーカルだからこそ、抜け抜けとした笑い(泣き)の味付けが生きるのだ。

 戯れに(もはや詮無き想像であるが)歌って貰いたかった曲を考えてみる。
 「上野の山」「無事なる男」なんかはどうだろう。
 いやまて…「ゴクロウサン」がある。
 植木等(正確には平均)の決めゼリフ後半と一致するだけでなく、ジャズにマッチする。

 ヘッド・アレンジしてみよう。
 「おかげ~さまだよ~ あんたのおかげで~
  心は晴れ晴れ~ 楽しい暮らしさ~
 ・ドラム ♪ッツツーチャッツツーチャッツツーチャッツツーチャッ
 ・ベース ♪ンボンボンボンボン ボンボンボンボン
 ・ホーン隊は ♪ッチャッチャアララ~ッチャッチャアララ~
 ・トロンボーン谷啓絡んで ンッパアイ~ンン ンッパアオオ~ン
  ふだんの暮らしにゃ関係ないが
  悪いヤツラは裏でニヤニヤ
  それを知ってて 手も付けられず!
  …コツコツ やる奴ァ ゴクロウサン 」
 ♪ピャアイアイアイイイイイイ~ン!…っと。
 う~む、なかなかご機嫌にスイングするではないか。※3

 これで良くお分りのように(分るわけないだろっ)宮本浩次がコンポーザーとしていかに幅広い才能を持って
いるかが証明されたところで腹が減ったよ昼飯にしよう。

 ※1 底抜けに明るい代表作において詞の根底にあるのは底なしのニヒリズムである。
    ニヒリストが政治家をやってはいけなかったのか…違うか。
    一方、たとえ「遁世」のような曲にあっても、エレファントカシマシにニヒリズムを読み取ることはできない。
 ※2 「ゴマスリ行進曲」で聴ける口笛は、口笛史上に残る絶品。
 ※3 原曲では、宮本君が血管千切れそうに歌っていることは申すまでもない。

アストラル・ウィークス~ヴァン・モリソン

2007年06月07日 | ソングブック・ライブ
 「アストラル・ウィークス」 (1968)
 
 評価の定まった名盤であるが、愛聴盤でもありケルト音楽つながりで…。
 以前にも書いたけれど、ヴァン・モリソンは私の最も好きなボーカリストである。
 
 アラン・パーカーの「ザ・コミットメンツ」は、マネージャーを主人公に据えたところに設定の妙があった。
 おのずとスター不在となって音楽が主役になっていた。
 ブクブクに肥え太ったボーカリストがいて、大食漢で食べ方が汚く、他のメンバーに顰蹙を買っている。
 しかし歌声はヴァン・モリソンばりのぶっ飛びもの…という。
 他にも女誑しのトランペッターとか、キャラクターもクセ者ぞろいで面白かったな。
 そして映画の舞台はダブリン。

 ヴァン・モリソンはベルファストの出身(北アイルランド)である。
 ゼムに加入した当初、サックスプレイヤーだったらしい。
 こんなに歌の上手い人なのに、信じられない話だ。
 私はシルキーボイスよりも少し声帯が傷ついたような声がいいと思うし、サウンドも荒れている方が好きだ。
 後頭部をカンナでシャカシャカ削られているみたいな感覚があると、さらに良く、心が落ち着く。
 ゼムはガレージサウンドの嚆矢といっていいのかも知れない。
 「ゼム・アゲイン」を最初に聴いたときの、声に圧倒される感じは今なお忘れ難い。

 この作品はソロになってからのもので、米ローリング・ストーン誌が2004年に企画した「500 GREATEST ALBUM OF ALL TIME」中、19位にランクインしている。
 面識もない(但し一流の)ジャズ・ミュージシャンが集まったスタジオにアコースティック・ギター1本で現れた
ヴァン・モリソンは、何の説明もなしに曲を弾き始めたという。
 ジャム・セッションはたった3時間で終了した。
 夢幻のスキャットを織り交ぜた彼の歌唱は、永遠のようで儚く、自在でありながら構成的だ。
 彼のように歌えたらなあ…本当にそう思う。

〔付 記〕
 本作制作時ヴァン・モリソンが23歳だったというのも凄いが、コミットメンツのヴォーカルが16歳というに
至っては呆れる。映画を観た時はオッサンだと思ってたよ。
 いよいよ新譜がリリースされるホワイト・ストライプスはスコットランド系。
 …ケルトって深い。

宮本浩次ユーミンを歌う

2007年05月28日 | ソングブック・ライブ
 5月26日(土) 日比谷野外音楽堂

 私の席から通路を隔てた斜め右前方に、お友だちと来ている若い女性がいた。
 こんないでたちだ。
  ・シルバーの髪留めで押さえられた亜麻色の髪。
  ・赤いフチの眼鏡。
  ・ベルショルダーにコルセット風の白いブラウス。
  ・水玉模様をあしらったロングスカート。
  ・黒のハイソックス(素足は見えない)。
  ・白のショートブーツ。
  ・座席のスリットに立てかけられた日傘。
 このお嬢さんがノルことノルこと。
 両足は常に肩幅を保ち(合唱団の足幅)やや前傾姿勢。
 固く握った拳を、真っ白な左腕で鋭角に突き上げる、また突き上げる。
 口の動きからして、歌詞は全曲諳んじているに違いない。

 「詩的な曲を歌います。」

 大将が「翳りゆく部屋」を歌い始める。
 すると…。
 彼女は落雷に打たれたように動かなくなり、曲が終わるまで身じろぎもしなかったのだった。

 …いや、私も驚いた。
 その他、サポート(キーボード)が入ったり、宮本君のギターが多かったり、「珍奇男」「ファイティングマン」を
演らなかったり。
 いくつかの変化が見られるステージであった。
 ま、石君イジリだけは変らないのだが…。
 選曲も「夢のちまた」辺りから、じっくりと会場をあたためていき、どちらかというと渋めのミディアムナンバーが多かったように思う。
 つまり、余裕のある「引き」のステージング。
 異例のユーミンは、その象徴だろう。
 といっても、そこはエレファントカシマシであり「奴隷天国」も演る…と。
 
 まあ我々は、いつどの曲が出てきてもオッケーではあるのだが。

 ところで。
 彼等のコンサートは、何となく来ている人は少ない。
 それぞれの気合の入れ方というものがあり、先のお嬢さんも見ごたえがあったが初期の雰囲気を今に
継承する「直立不動系」のファンもいる。
 私の席は、まさにそういう男性二人に挟まれていた。
 最初は気付かずにノッていたのだが、両隣とも腕を前に組み拍手もしない。
 (初期の宮本君は、客が拍手をすると止めさせていたのである。)
 足でリズムを取ることもしない。
 おそろしや世間の風、次第に私も「軍紀」を守るようになってしまったのだった…。
 だから、Bブロック7列の21番から23番、そこだけ地味だったと思うが、許せ大将。

 ステージ左上空には「明日に向かって走れ」の裏ジャケットそのままに半月が浮かび。
 宮本君が「月の夜」を詠唱し…。
 野音はいいですな、エブリバディ。

チーフタンズ予習

2007年05月17日 | ソングブック・ライブ
 6月に、チーフタンズが来日する。
 ポスターを見て、半ば衝動的にチケット(6月9日の松本公演)を購入したので、彼らについては知識がない。
 で、いろいろと予習をしているところ。予習といっても、できるだけ先入観なく「音」に接したいので、CDは
買わずに周辺から攻める方針。

 まずは、エッセイストの武部好伸さんのトークショーを聞きに行った。
 前半はケルト民族や文化の歴史、後半はケルト映画および映画に使われたチーフタンズの音楽を紹介。
 武部さんのお話は、品のいい大阪弁でユーモアがあり分りやすい。
 古代ケルト人は、紀元前450年から200年間、鉄器文化を武器にヨーロッパを席巻したが、その存在は
謎に包まれている。
 文字を持たなかったからだ。記録は彼らを滅ぼした側にしか残っておらず、そのひとつが、有名なカエサル
(シーザー)の「ガリア戦記」である。
 まあ、酒呑みで音楽好きで統制のとれた行動が取れない、という、私としては仲良くなれそうな人たちだ。
 一方で「霊魂は不滅」と信じているから命知らずで好戦的であり、この辺のバーバリズムは勘弁して欲しい
感じもする。
 また、多神教でもある。
 面白いのは、現在ケルト文化圏に属する国や地域の人々と古代ケルト人との間に、遺伝的つながりが
見出せないということ。
 ローマ帝国に追いやられた古代ケルト民族の末裔…というわけではないのだ。
 とかく「民族」というと、すぐに「血のつながり」=「宿命的」という捉え方をしがちであるが、ケルト民族は
文化受容型(特にゲール語)なのである。
 
 キューブリックの「バリー・リンドン」の1シーンが紹介されて(色っぽいシーンなんだけど)何となく「冗談映画」の気配を感じ、観てみようかと思う。
 ところで、武部さんは「ケルト映画紀行」(論創社)等の著作があるが、会場で販売はされなかった。
 大阪人なのに、欲のない方だ。

 〔追 記〕
 現在のケルト文化圏は、独立国では唯一アイルランド、他にスコットランド、ウェールズ、フランスの
ブルゴーニュ地方、スペインのガリシア地方など。
 アルフレッド・ウォリスが生涯を送ったコーンウォールもケルト文化圏。

ジェームス・ブラウン死去

2006年12月27日 | ソングブック・ライブ
 改めて「ライブ・アット・ジ・アポロ」を聴いてみた。
 (アポロシアターでのライブ音源は複数あるようだが、私の持っているのは1968年のもの)

 上司を送りがてらの車中で掛けていると、姉と同様「ガイキチのような歌だ。」という。
 同じフレーズの繰り返しでグングン畳み掛けていく部分では「飽きてきた。」
 そして曲が変っても、彼は全く気が付かなかった。
 この人は、かつて「あなたのメロディ」に採用されたこともあるくらいだから、決して音楽に対する
感受性が鈍いわけではないと思う。
 別に否定的に書いているのではなくて、どんな表現でも、楽しめるようになるまでには、多少の修練…
というか慣れが必要なのである。

 私は別に反論もせずに聴いていく…。
 バックバンドの選定に気を使い、罰金制度(タイミングがずれた奏者に科される)を導入していたというだけあって、極めて緊密なリズムだ。
 気付いたのは、ギターがフレーズを弾かないこと。
 ギターのボディをタップしたりといったパーカッシブな演奏ということではなくて、扱いそのものが
リズム隊なのである。
 ビートは16(だと思う)で、細かい刻みの上をホーン隊が裏拍でアタッキングする。
 私は、ささやかながら金管楽器の経験があるのだけれど、絶対に入りたくないバンドだ。
 めちゃくちゃ緊張しそうだよ。

 結果、オシッコをギリギリまで我慢して足踏みしているような、或いは前立腺マッサージによる
寸止めプレイのような、独特のノリが生まれるのだろう。
 …あ、後者については経験はないんですがね。
 怪物的な歌唱については改めて申すまでもない。
 バラードを聴くと、ロバート・プラントなど、殆ど彼の真似であることがよく分る。

 彼はかつて、尊敬するミュージシャンは誰かと聞かれて
 「バート・バカラックだ。あいつには本物のソウルがある。」と答えていた。
 ジェームス・ブラウンとバート・バカラック…!
 これが冗談なのか、それともジャンルを創始するような人は、耳が柔軟なのか、今だに分らない。
 ついでに書くと、あの髪型も良く分らないが。

 「ライブ・アット・ジ・アポロ」のオープニングMCは、こう結ばれてる。
 The hardest working man in show business, JAMES BROWN !
  (ショービズ界1の働き者、ジェームス・ブラウン!)
 
 私はこれを、とてもいいユーモアだと思っていたのだが、死の3日前にショーを行い、存命だったら
今週末にも舞台に立っていたはずだったというから、まさにその通りの人生を全うしたことになる。
 享年不詳(73歳、78歳など諸説あり)。
 ご冥福をお祈りします。