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=電線の鳥blog=「今日もどっちつかず」

 一般的にどうなのか、みたいなことは、結局、重要なことではない~チップ・エクトン

STARTING OVER~エレファントカシマシ (初回版)

2008年02月07日 | ソングブック・ライブ
 STARTING OVER (初回盤)

 ボクが「遊ぼう」って言っても 寝ちゃうしさあ
   ボクが「ご本読んで」って言っても 寝ちゃうしさあ
      ボクが「お散歩に行こう」って言っても 寝ちゃうしさあ
   
   パパ ダメだなあ…

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 私は免許を取ったのが36歳と遅く97年の3月のことだったから、あれは98年か99年の元旦だったと
推定できる。
 だから、アルバムでいうと「明日に向かって走れ」の後か「愛と夢」の後か、いずれかだ。
 妻子の寝静まった大晦日の夜。
 無性にいたたまれなくなった私は、こそこそと部屋を抜け出した。
 そして、年下の義兄から譲り受けたブルーバードのCDチェンジャーに、エレファントカシマシのアルバムを
ファーストから順番にセットした。
 行き先は奥秩父の三峰神社で、そこに決めた理由は思い出せない。
 どの道を行ったかも思い出せない。
 私が住んでいたのは同じ埼玉県の富士見市であったから、片道100キロはあったろう。
 往路秩父神社に立ち寄った以外は休まず、三峰神社の休み処でコーヒーを飲んで帰ってきたら朝だった。

 生まれてこのかた、腹の中が煮えくり返る思いで生きてきた。
 今でもそうだ。
 「よく存れかし」
 つまるところ、宮本浩次君はそればかり歌ってきたと思う。
 まあ、異論はいろいろあるだろうけれど、とりあえず。
 「よく存れかし」
 なんて、彼の好きな擬古文でエレカシとの語呂もいいしさ。
 「よく存れかし」
 なんて思い、ありふれている。
 ありふれていて、いい。
 そうだ、エレファントカシマシは、当り前のありふれた事ばかりを腹の底から歌ってきた!

 小姑気質で口うるさく、客がトイレに立ったからってネチネチ根に持ち、インタビューでは決まって話をまとめて貰い、自分の歌にバンドを合せ、練習ばかりしていながらギターの音を外し、決めポーズはどこか間抜けて、
MCは時々意味不明なくせに。

 よくぞ20年。
 こんな男は他に存在しない。
 こんなバンドは他に存在しない。

 ディスクレビューはしない。どこかで読んでくれ。
 曲解説もなし。誰かに聞いてくれ。
 こ~んなブログ、宣伝になるもんかい。
 彼等を聴いたことのない、そこの貴方。
 テレビで観て、CMで聴いて、面白そうだと思ったら買ってみてください。

 どうぞ勝手に打ちのめされてください。
 
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 息子よ。
 「あっち行ってろよ。」なんて言って悪かった。
 いつか、ちゃんと謝るよ。
 大人になったら、歌でも聞かせてあげるよ。

 〔付記〕
 通常版はいずれ書きます。

笑顔の未来へ~エレファントカシマシ

2008年01月10日 | ソングブック・ライブ
 笑顔の未来へ

 ユニバーサル移籍後2枚目のマキシシングル。
 併せてニューアルバム「スターティング・オーバー」の発売も決定された。
 先に発表された「俺たちの明日」同様、コアなファンにとっては宮本色の薄い楽曲と受取られるかもしれない。
 非常に乱暴に表してしまうとJーPOP。
 ジャケット写真からしてあり得ない。
 
 駆け出したくなるようなリフの刻みから、走り高跳びの助走みたいに拍を微妙にずらして、歌が始まる。
 メロディは、曲のクライマックス、♪so sweet 泣いてるメモリィー(以降)に近づいては戻る。
 このように、曲の世界に少しずつ招き入れるかのようなリスナー・フレンドリーな構造は、かつてないものだ。
 そして、これは深読みかもしれないけれど、♪涙のテロリスト~の部分。
 「ロ」と「リ」は同じ音でもいいが、ここを少し上げ、「鉄錆びた高音」ともいうべき(ファンにとってはたまらない)彼の声のストロングポイントを強調しているように思われる。
 つまり、自分の声の持つ魅力をきちんと伝えようとしている。
 これも、かつてないもののように思われる。
 では、これまで聴く人のことを考えて作曲していなかったのか…というと、その可能性は大だ。
 だとしても、名曲がたくさん生まれた。
 それは、ひとえに彼、宮本浩次君が天才だからであるが、唯の天才で終わるタマじゃないだろ。

 先日の新春ライブ(大阪)にて。
  ♪俺はいつか臆病な道を選んであなたを悲しませたの?
 この部分で、私は泣いた。
 「臆病」とは、自らの美意識に逃げ込んでしまいがちな性向を指す。
 そうさ、ずっと悲しかったよ。君の歌が大勢の人に聴かれないなんて。
 思えばあれは、子を案ずる母の涙の如きもの…だったかも知れないな。
 
〔追 記〕
 アルバムリリースを挟んで3枚目には「今はここが真ん中さ」が来ると予想する。
 シンプルながら彫りの深いリフを持つ、ロックナンバーである。
 カードの切り方も正解、素直に売って行こうとするユニバーサルの姿勢もいい。

みんなの歌

2007年12月08日 | ソングブック・ライブ
 「俺たちの明日」をカラオケで歌ってみた。

 先日、職場の上司と同僚と私で食事をする機会があり、その流れでスナックに行ったのである。
 「俺たち…」を2度歌った。
 そして最後に「ファイティング・マン」を歌った。
 他の客にとっては「何のこっちゃ」だろうが、カラオケなんてそんなものだろう。

 広がりがあって説得的で、いい曲だと思う、歌ってごらん。
 かなり酔っていたので、歌えているか自信がなく、翌日同僚に尋ねてみると「○○さん(私のこと)自身の
言葉で歌われているようだった。」との由。
 エレファントカシマシの曲は、わずかな例外を除いて歌詞カードが要らない。
 言葉が明瞭に耳に入ってきて、そして残る。
 何の衒いもとってつけたようなところもなく、我がことのように歌うことができる。
 実は、デビュー当初からそのようであったのだが、当時私は「カルトバンドで終わるのではないか」と
考えていた。
 愚かであった。
 可笑しなことに、宮本君のルックスの良さにも気付かなかったし。
 (どんどん良くなっていると思う。)
 あまりに楽曲が衝撃的で(この言葉は滅多に使わないのだが)没入してしまって、よく分らなかった。
 周囲の客に注意を向ける余裕なんてなかった。
 
 あれからもう20年近く、一緒に歩いてきた。
 いつかきっとそうさ、いい風が頬をなでる日がくるだろう。

俺たちの明日~エレファントカシマシ

2007年11月22日 | ソングブック・ライブ
 「俺たちの明日」 

 シングルカットは本当に久しぶりと聞く。
 今日アマゾンから届いたばかりで(発売日は昨日)まだ2~3回聴いただけだが、とりあえずの感想を。

 これまでの歩みを総括し、再び歩き出そうとする、集大成的な曲になっているのではないかと思う。
 とりわけ言葉においては、熱心なファンならば、さりげない一言一言を掌(たなごころ)に載せて、あの曲この曲を脳裏に甦らせ、慈しむことができるに違いない。
 文字面だけを追えば「人生応援歌」と読まれかねない歌詞。
 それが、何故にこれほど澄み渡るのか。
 かつて忌野清志郎さんは、戯れに演歌から言葉を借りて「よそ者」という名曲を生み出してみせた。
 天才というほかはない。
 そして。
 「さあ、頑張ろうぜ!」と歌われて手垢じみること寸毫もなく。
 「おお、頑張ろうか!」と素直に受け止められるこの不思議。
 これが宮本君の曲と声が持つマジックであり謎なのだろう。

 「おはよう こんにちは」と定型的な挨拶でも、心に響く人とそうでない人がいる。
 それとおんなじ事なのか。
 或いは「くま」さんが書かれたように、
 「結局、宮本さんは私と同じ地上に立っていながらも、最も遠いお方…」
 (「断腸亭日象」2007年5月14日の記事参照)
 と、こういうことなのか。
 
 CDリリースを経て、ライブでのパフォーマンスはさらに充実するだろう。
 年明けのライブが待ち遠しい。

 困ったことがひとつ。
 抜けのいいメロディから「和田アキ子が歌っても良さそうだな」と…。
 そう思って以来、(この曲における)大将の声がそのように聞えてきて。
 …いや、決して歌って欲しいわけじゃないんだが。

宴の音楽 島の音楽 旅する音楽 

2007年07月11日 | ソングブック・ライブ
 ザ・チーフタンズ 「ワイド・ワールド・オーヴァー」

 解説(ジョー・ジャクソンとクレジットされているが、あのジョー・ジャクソンだろうか)によれば、リーダーの
パディ・モローニ(1938生れ)の若い頃、アイルランドの伝統音楽は衰退のどん底で、そんなものに取組んで
いる人間は嘲笑どころか差別の対象ですらあったという。
 ザ・チーフタンズには前身、というか母体となったバンド、キョールトリ・クーランがあって、その創始者は
ショーン・オ・リアダという作曲家である。
 彼はザ・チーフタンズの生みの親だがメンバーではなく60年代に亡くなっている。

 本作は、デビュー40年を記念したベスト盤。(今年の来日を記念した最新のベストもある。)
 ケルト系を除外して共演ミュージシャンの国籍もしくはルーツを収録順に書くと、アメリカ(複数)・カナダ
・スペイン・メキシコ・中国・日本・ジャマイカ。
 個人的には、「異種格闘技」の緊張感が漂う、ジョニ・ミッチェル(さすがの存在感)とのM5、ボブ・マーリーの泣けるような名曲を息子ジギーと演っているM20などが好きだ。
 (もちろんヴァン・モリソンやエルビス・コステロの嵌り具合は素晴らしいのだが)
 チーフタンズが、このような「異種格闘技」(解説では「折衷主義」)を続けてきた理由のひとつには、リアダの
遺志を受け継いだエヴァンジェリズムがあるようだ。
 一方で、現在のロック或いはポップスを「ブルースとカントリーウェスタンの私生児」と看做すとすれば、
カントリーの源流であるケルト音楽が、広汎な親和性を備えていることは必然でもある。
 或いは彼らは、かつてケルト音楽が旅した道を再び辿ったと言えるのかも知れない。
 
 まあ、そんな利いた風なことよりも、彼等のライブ(6月9日:まつもと市民芸術館)に接することができたのは本当に幸せであった。
 ほぼ定刻に、ゾロゾロッとした感じでメンバーが登場するとケヴィン・コネフのバウロンがドンドコ鳴り始め、
勿体つけずに「レーイシュの王様」が始まる。
 宴の始まりだ。
 独奏者と伴奏という形式ではなくて、ソロパートが次々に受け渡されていく。
 その中には、ダイナミックなタップも含まれて視覚的にも楽しいし、「アイリッシュの女」(バリー・リンドンの
テーマ)や、シャーン・ノース(ケルト独特の伴奏をつけない詠唱)など、しみじみ系もある。
 ひとつ思ったのは、この日のライブは「島」つながりだ…ということ。
 アイルランド⇔日本、西と東の最果ての島。
 奄美大島の島歌。鬼太鼓座の活動拠点であった佐渡島。
 お二人のゲストがまるでメンバーのように溶け込んでいたのはその所為か。
 そしてこういうまとめはどうかと思うが、彼らの音楽は途轍もなく高度で豊かな「宴会芸」なのだ。
 「おい○○○、いつものアレ演ってくれよ。」「おうさ。」みたいな…。
 和太鼓の林英哲さんが叩きまくっている時に「凄いな」という感じでメンバーが振り返る風情も好ましく…。
 来日したオリジナルメンバーは3人だけれど、演奏に加わった途端、全員がチーフタンズになる不思議。
 最後は、客も加わってのダンスで終幕。
 私も輪に入って…きっとその間は私もチーフタンズの一員であったわけだ。

 〔当日の出演者〕
 ○オリジナルメンバー
  ☆パディ・モローニ(イーリアン・パイプ、ティン・ホイッスル)
  ☆ケヴィン・コネフ(バウロン、ボーカル、打楽器)
  ☆マット・モロイ(フルート)
 ○サポートメンバー
  ☆トリーナ・マーシャル(アイリッシュ・ハープ)
  ☆ジョン・ピラツキ(フィドル、ダンス)
  ☆ネイサン・ピラツキ(ダンス)
  ☆ポーラ・ゴールディング(ダンス)
  ☆ボイド・マクニール(フィドル、ギター)
  ☆ライアン・マクニール(キーボード)
  ☆リアダン(女性5人組)
   ★ヴァレリー・ケイシー(フィドル、ボーカル)
   ★ディアドラ・チョーク(アコーディオン、ボーカル)
   ★エレイン・コーミカン(ティン・ホイッスル、ボーカル)
   ★シーレ・デンバー(アイリッシュ・ハープ、ボーカル)
   ★クレア・ドーラン(フィドル、ボーカル)
 ○ゲストメンバー
  ☆林英哲(和太鼓)
  ☆元ちとせ(ボーカル) 

 若々しくキュートな「リアダン」は9月、シャープでスケールの大きな演奏を聞かせてくれたトリーナ・マーシャルはピラツキ兄弟らとバンド「トレッド」として12月15日にもコンサートを行います。
 興味のある方は是非こちらを。