みなさま、こんばんは。
すっかりご無沙汰してしまいました。
先週の土曜日についに第三回目の葬儀・仏事の勉強会を開催することができた。
この日のことを、今度ゆっくりみなさんに、ご報告をしたいと思います。
::::::::::::::
「救急車1台お願いしたいのですが・・・
こちらの住所は、●●市○○・・・。
母が意識が薄く・・。
生年月日は・・・年齢は・・・。
私は実の娘で、ササキエツコです。」
最初の第1声以外は、救急隊員の質問に答えるべく、必死に冷静に応えなければ。と何度も心に言い聞かせながら、いつもの数倍冷静に的確にしかも手短に応えることに全力を注いだ。
その一方で、胸の奥底から湧き上がってくる「これからどうなるんだろう」という不安と母の笑顔と幼い頃からの思い出が一機に脳裏を駆け巡る。
その瞬間、声が震えるのが自分でもわかった。
「これから救急車が向かいますから、外に出てわかるように合図をしてください。」
電話を切り、すぐに階段を駆け上り、「お母さん、今すぐ救急車がくるからね。もう大丈夫だよ。」と声をかけ反応のない手をギュッと強く握って、また階段を一目散に駆け下りた。
家の門前で救急車の到着を願う気持ちで待つ。
遠くから聞きなれたサイレンの音が聞こえたとき、救われたような気がした。
救急隊員が到着して、小走りしながら、状態、状況を説明する。
「お母さんは、普段1人暮らしなんですか?なぜ、こういう状況になったのかわかりますか?」
質問をされるたびに、罪悪感を感じる。苦労かけて、ごめんね。
結局、住宅事情により、ストレッチャーでは、運び出す事が不可能で、応援を呼び、総勢7人の隊員が2階から救急車へ運び出してくれた。
私はといえば、母の保険証やら何やら入っていそうなバックをパッと握って首からぶらさげ、家中の戸締りに走り回った。家をとびだすと、いったい何処からこんなに人がでてきたの?っていうくらい見物客がでていて、驚いたが、
「救急車に一緒に乗ってもらえますか?」
の一言で、他の人の顔は全くみえなくなった。
*****
救急車に乗り込んだとき、ふと、ご相談者はこんな気持ちや状況を乗り越えて、私達の所に電話をかけてくるんだろうな。と思った。
果たして、自分に相談をしようとする精神的に考える余裕があるかどうか自身がない。
*****
救急車にのって、驚いたのは、救急車に乗り込んでから、受け入れ先の病院を探すことだった。あらかじめ、決まっているのかと思ってた(へぇ~)
自宅から車で7分くらいの距離の総合病院へ担ぎ込まれた。
担当の医師や看護士へ救急隊員に話したことと同じ事を伝える。新しい人に会うたびに同じ事を伝えなくてはならず、結局6回くらい、話した。
結果的に母は一命をとりとめ、完全看護付き添い状態で今を迎える。
こういう時、本当にたくさんの人にご迷惑をかけ、支えられている事を痛感させていただく。
救急隊員の方、病院関係者の方、親戚、母の友人・知人、そして、私の大切なスタッフの仲間。
心から感謝です。本当に本当にどうも有難う。
**********
時間がたって、少し落ち着いた今、ようやく相談できるような心境になってきた。「死」という言葉が近い存在になったとき、人はいろんな思いを経て相談電話をかけてきているのだろう。
ご相談者のために、相談員としてしなければならないことが少しずつ明確になってきたような気がする。
案内人として、今一度原点に戻ってみることにしよう・・・
すっかりご無沙汰してしまいました。
先週の土曜日についに第三回目の葬儀・仏事の勉強会を開催することができた。
この日のことを、今度ゆっくりみなさんに、ご報告をしたいと思います。
::::::::::::::
「救急車1台お願いしたいのですが・・・
こちらの住所は、●●市○○・・・。
母が意識が薄く・・。
生年月日は・・・年齢は・・・。
私は実の娘で、ササキエツコです。」
最初の第1声以外は、救急隊員の質問に答えるべく、必死に冷静に応えなければ。と何度も心に言い聞かせながら、いつもの数倍冷静に的確にしかも手短に応えることに全力を注いだ。
その一方で、胸の奥底から湧き上がってくる「これからどうなるんだろう」という不安と母の笑顔と幼い頃からの思い出が一機に脳裏を駆け巡る。
その瞬間、声が震えるのが自分でもわかった。
「これから救急車が向かいますから、外に出てわかるように合図をしてください。」
電話を切り、すぐに階段を駆け上り、「お母さん、今すぐ救急車がくるからね。もう大丈夫だよ。」と声をかけ反応のない手をギュッと強く握って、また階段を一目散に駆け下りた。
家の門前で救急車の到着を願う気持ちで待つ。
遠くから聞きなれたサイレンの音が聞こえたとき、救われたような気がした。
救急隊員が到着して、小走りしながら、状態、状況を説明する。
「お母さんは、普段1人暮らしなんですか?なぜ、こういう状況になったのかわかりますか?」
質問をされるたびに、罪悪感を感じる。苦労かけて、ごめんね。
結局、住宅事情により、ストレッチャーでは、運び出す事が不可能で、応援を呼び、総勢7人の隊員が2階から救急車へ運び出してくれた。
私はといえば、母の保険証やら何やら入っていそうなバックをパッと握って首からぶらさげ、家中の戸締りに走り回った。家をとびだすと、いったい何処からこんなに人がでてきたの?っていうくらい見物客がでていて、驚いたが、
「救急車に一緒に乗ってもらえますか?」
の一言で、他の人の顔は全くみえなくなった。
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救急車に乗り込んだとき、ふと、ご相談者はこんな気持ちや状況を乗り越えて、私達の所に電話をかけてくるんだろうな。と思った。
果たして、自分に相談をしようとする精神的に考える余裕があるかどうか自身がない。
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救急車にのって、驚いたのは、救急車に乗り込んでから、受け入れ先の病院を探すことだった。あらかじめ、決まっているのかと思ってた(へぇ~)
自宅から車で7分くらいの距離の総合病院へ担ぎ込まれた。
担当の医師や看護士へ救急隊員に話したことと同じ事を伝える。新しい人に会うたびに同じ事を伝えなくてはならず、結局6回くらい、話した。
結果的に母は一命をとりとめ、完全看護付き添い状態で今を迎える。
こういう時、本当にたくさんの人にご迷惑をかけ、支えられている事を痛感させていただく。
救急隊員の方、病院関係者の方、親戚、母の友人・知人、そして、私の大切なスタッフの仲間。
心から感謝です。本当に本当にどうも有難う。
**********
時間がたって、少し落ち着いた今、ようやく相談できるような心境になってきた。「死」という言葉が近い存在になったとき、人はいろんな思いを経て相談電話をかけてきているのだろう。
ご相談者のために、相談員としてしなければならないことが少しずつ明確になってきたような気がする。
案内人として、今一度原点に戻ってみることにしよう・・・