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お寺探しの旅~自分が求めるお寺とは?~

我々一般人にとって本当に「いいお寺」とは?
色んな情報を集めて、色んな角度から、色んな視点で追求してみたい。

かわいそうな檀家さん

2008-01-13 16:43:11 | お寺のトラブル
みなさま、こんにちは。

案内人は、年末年始と暴飲暴食をしたおかげで、胃腸をこわし7日の夕方1度に太田胃散を2袋にパンシロンキャンディを2粒(それくらい痛かった)なめて、すっかり元気になったのですが、今思えば、その日を境に今日13日まで何の音沙汰もなく・・・

今日は人生始まって依頼、最大の苦しみを味わっている最中です。
これもまた「生きる」ということなのですね。トホホ・・・

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NPO法人ライフデザイン研究所には、葬儀業界の人たちからも、お寺のことで相談電話が入ることがある。

「お寺を探してほしい」


というご相談だった。なんでも、宇都宮市にお住まいの方からそちらの業者にご相談があったとのこと。

位牌を購入したときに、どちらかの僧侶に(誰に紹介してもらったのか定かでないそうだ)入魂してもらってしまったのだそうだ。

菩提寺があったのに・・・

このたび位牌を買い換えることになって、抜魂してもらいたいと菩提寺にお願いに上がったところ、住職に
「他の僧侶に入魂してもらったんだから、抜魂はよそでやってくれよ。」
の一点張りで、折り合ってくれない。その僧侶が何処にいるのもわからず途方にくれて、その業者に相談したのだそうだ。

ご相談者に変わって1件1件お寺に電話をして、お願いをしたものの、受け入れてくれるお寺を探すのに時間を要した。

結局、ご理解を示してくれるお寺が1件だけ見つかったので、連絡先をお伝えして相談を終えた。

不思議なのは、この菩提寺の住職は、抜魂は受けなかったわけだが、葬儀だったら受け入れたのだろうか?

もし、受け入れたとしたら、この矛盾が、お寺のファンをどんどん減らしていく原因のような気がする。
よそで、入魂した理由をきちんと聞いて差し上げたのだろうか?

住職との時間の折り合いがつかなかったのか?
布施の金額がよそで頼んだ方が安いと思ったからなのか?(抜魂を頼むのだからあまり考えられないけど・・・)
住職が怖いから話できなかったのか?

理由をきいてあげてから、本来の筋道をきちんと諭して差し上げるべきだったのでは?

会話もビジネスも一方通行では、いづれ終わりがくるであろうに。









お布施の金額

2007-01-08 19:14:33 | お寺のトラブル
こんばんは。

1月8日(月)成人式を迎えられた皆様、おめでとうございます。

練馬地区は、本日晴天に恵まれて、ラッキーDay。

練馬駅近辺を歩いていると、美しい晴れ着姿の女性が、なんともいえない初々しさで、チョコチョコと歩いていて、美しさとその歩き方のかわいらしさに、なんともいえないすがすがしさを感じた。

仕事柄、「この女性達が、いずれ親を見送る世代になったとき、どんな見送り方をするのだろう・・・。」「お布施とかって知っているのかな・・・」とすぐに考えてしまう。

お布施といえば、仏教とは縁が遠い一般人にとっては、なんとも不透明で、分りづらいものである。

言葉の意味や価値もわからないのに、お金を包むことが理解しがたいのである。
だから、葬儀でお布施を包むことは、僧侶が読経してくれた労働に対する対価でしかないのだ。

ご本尊様にお包みするといったところで、「はぁ?」と言った感じで、全く理解できない。だから、20万だの30万だの言われても「ぼったくり」という感覚でしかないのだろう。(葬儀社の社員ですら、そう思っている人がいる)

多分、価値観が見出せた方は、お布施を惜しみなく包むことができるのだろう。だから、お寺は、価値を感じてもらえるように、もっともっと努力が必要だと個人的には思う。そして、それが将来のお寺の存続につながると考えている。

 お布施に関することで、考えさせられる事件が年末にあった。

葬儀社の現場担当者から1本の電話を受けた。

「喪家は、生活保護を受けており、葬儀全体でギリギリの金額で依頼をうけています。お寺へお包みできるのは、3~5万円です。お受けいただけるお寺はありますでしょうか?」

聞くと、火葬だけということではなく、喪家はちゃんと、通夜・告別式・初七日・戒名までといっている。

そこで、思ったことは2つ。

①なぜ、葬儀社の担当者の方は、そんなにお金のない人に、通夜・告別式をすすめたんだろう。火葬だけとか方法があっただろうに・・・

②お金がなかったとしても、きちんとした儀式を故人のためにしてあげたい。というご喪家の気持ちは、とても大切で、これが仏教の存続につながる。

結局、ご喪家の気持ちを理解してくださったお寺の住職が快く向かってくれた。

ところが、葬儀が終った後、住職がすごい勢いで、こちらに電話をしてきた。

「私は、お布施の金額には、こだわりはもたないが、今回のやり方には、納得がいかないよ。」

というのだ。

よくよく話をきくと、普通、お布施は、喪家が僧侶へ手渡すものだが、現場担当者がお布施を自分へ渡してきた。その後、喪主が自分の所へよってきて、「お布施をもっと包みたかったんだけど、葬儀社さんが、こちらがやりますんで・・・といったので。四十九日やその後は、いくら位包んだらよかったんですか?」といった。葬儀社が自分の所の取り分を多くするために操作しているんじゃないのか?喪家は、もっと布施を包む意思があった。自分は、本当に困っている人には、お布施は、なかったとしても伺う心積もりでいるが、こんなやり方は、侮辱されているみたいで、我慢がならない。ということだった。

私は、本当の事実が知りたくて、担当者へ連絡を入れてみた。

すると、担当者からは、「喪家から頼まれたので、そういう段取りをした」という返答だった。

「今までにも、そちらのお寺へ何度かお願いしたことがあったが、こういうやり方は、実際のところなかったでしょう?それに、こちらの葬儀費用も、本来だったら、とてもできない金額で、無理をきいてやっているのですよ。」
といわれた。

結局、ご喪家は、葬儀社にもお寺へもいい顔をしていたのだった。

中立であることは、とても難しい。例えお寺好きであったとしても、感情に流されることなく、きちんとした判断をしなければならないのだ。

この件に関しては、住職にきちんと説明をして理解をしてもらうことで一件落着した。

これは、どこの葬儀社でも、8割がた思っていることだと思うが、檀家以外の葬儀を葬儀社が受注したものに関しては、お寺のことを単なる業者のひとつとしか思っていない。

悲しいけど、これは現実なのだ。

だからこそ、ニセ僧侶が現れ、ご喪家がトラブルに巻き込まれ、お寺に関する不信感でいっぱいになるのだ。

社会にとっては、僧侶の格好をしていれば、みんな僧侶にみえるのだ。

私は、菩提寺をもたない一般の人々に強く言いたい。

トラブルに巻き込まれないために、そして、遺された家族のためにも、葬儀社を選ぶのと同じくらい、いや、それ以上に、お寺は、生前から、自分自身が納得のいくお寺を選ぶ必要がある!!

そして、お寺の方々へも。

本当に、このままでいいのですか?
教えを説く前に、供養産業の波に飲み込まれてしまいますよ。

寺院情報案内センターは、「供養文化」を継承していくために、産業の波に逆行していきます。

そこに、本当の「心」があると信じて・・・








時間のルール

2006-12-18 19:40:00 | お寺のトラブル
みなさま、こんばんは。

ただ今、19:07。あ~、なんて時間が経つのは早いのだろう。ほんと、気がつけばって感じです。

朝、出勤したときに、うちの事務所のベランダから、真っ白に衣替えした富士山があまりにも美しくちょうどいい感じで見えていたので、今日のブログで、みなさんに教えて差し上げよう。っと思っていたのに・・・

もう、真っ暗です。

とほほ・・・残念。

最近、これと言って、ウキウキしたり、ゲラゲラ笑ったりということが、ほとんど無いので(おばちゃんになったからかな・・・)ちょっとした、さりげないことが、妙に得した気になって、ジミに楽しい。

そうだ、そうだ、最近は、忙しいだの、大変だの、眠いだの、風邪ひいてだるいだの、お腹すいただの、寒いだの、本当に、程度のレベルこそあれ、文句ばっかりいってるな・・・。

おまけに、自分の胸の中にしまっておけばいいものの、事務所の人間を捕まえて、あれやこれやと一通り愚痴をこぼす。(ああ、かわいそうに・・・)

いつか、誰かに言われたことがあるのだけど、

時間は、1日24時間という誰もが平等に与えられているもの。

だから、相手に愚痴をこぼしたり、約束をした時間に遅れたりすることは、その相手の大切な時間を奪うことになるんだよ。

しまった・・・

そうかそうかと思いながらも、ついついまた、人の時間を奪ってしまった。

ごめんなさい。


じゃあ、こんなときは、どうなるのだろう。

16日の土曜日に通夜に向かっていただいたご住職から一本連絡をいただいた。

「道がものすごく、混んでいて、まったく進まないのです。」

『通夜の開始時間に間に合いますか?』

「ちょっと、わからないです。ギリギリまで努力してみます!!」

ああ、神様~。(こんなとき、仏様~。と思い浮かばなかった・・・すみません。)

ご住職は、すごく努力してくださっていた。お寺を2時間30分前にでて、(通常なら45分程度でつく距離)、こちらに連絡をしてくださって、すぐに読経には入れるようにと車の中で着替えてくださって・・・

本当にどうも有難うございます。

けど、結果15分遅れで通夜はスタートしたのだった。

そして、葬儀社から言われたことは、交通渋滞とは言え、喪家にはそれは関係ないこと。時間には、気をくばってもらいたい。

それも、一理ある。どんなにまわりで努力していても、ときどき理解してもらえないときがある。

喪家は15分時間を奪われた。渋滞がご住職の時間を奪った。私も、その後の葬儀社や担当者との連絡をとるのに、時間を奪われた。

渋滞に関しては、自分ではコントロールできないことだけに、ちょっと判断に難しい。

愚痴をこぼしたり、約束の時間に遅れたりするのは、自己中心に世界が回っているから。もっともっと、相手の時間のことも配慮したいものだ。そうすることが、結果として、自分の時間を大事にすることでもあるものね。

今日も、みなさんの大切な時間に、このブログを読んで下さって、どうも有難うございます 





お坊さんの資質

2006-12-15 14:57:23 | お寺のトラブル
仕事上、多くのお坊さんと話をさせてもらう機会が、ものすごく多い。人柄や人格は、やはりお坊さんも人間。それぞれ異なる。

話をしていると、「ああ、この方のお話をもっと聞いていたい。」という方もいれば、「本当にお坊さんとして大丈夫なの?」という人がいるのは事実。
でも、人柄や人格は、こちら側が、何かお願いをして変えてもらうというということは、難しい。というより、あれこれ言うこと事態、失礼だし、問題だと思う。
だが、作法や社会人としての常識ぐらいは、せめて守ってもらいたいな。と強く思うこの頃である。

先日、葬儀社に呼び出されて、クレームを言われた。うち、二つについては、宗教者(指導者)としての立場を守ろうとすると、ごく自然にでてくるのかもしれない発言、「なぜ、戒名をつけないといけないのか」ということを説明したい。ということや、喪家に「本尊をとりにきてくれ」との発言が、「喪家の気持ちも考えずに一方的にお寺の都合を押し付けている」と言われた。

後の、3つは、逆にこちらもあきれて悲しくなる位、たわいもないものだった。あまりにも、たわいもないことなので、その内容は、そのお坊さんの名誉のためにも控えておくことするが、「まさか、冗談でしょ、お坊さんが?」という礼儀作法についてのことだった。

葬儀社に大声で「一般の社会人だって、そんなことがタブーだって知っていますよ。」と一括。

人柄がどんなに良くても、お坊さんとしての振る舞いや礼儀に問題があると、それだけで、社会からは、「ダメ」というレッテルを貼られてしまう。

社会を代表して、お坊さん方にお願いしたいこと

①仏事に関するマナーは、必ず習得していてもらいたい
②着物の着こなし、爪の手入れ等、みだしなみには、注意してもらいたい
③軽率な発言は、控えてもらいたい


やっぱり、お坊さんの存在は、遠すぎても嫌だけど、少しカリスマ的でいてもらいたいという社会の希望がある。

いいお寺はたくさんあるし、素敵なお坊さんもたくさんいる。

社会にそのことを伝えたい!社会一般の人が、たまたまのご縁でお坊さんに出会ったとき、その人にとって、そのお坊さんの振る舞いが、お坊さん全体のイメージとなってしまことにもなりかねない。

どんなときでも「一期一会」を大事にしてもらいたい。

そんな風に思った今日の午後でした

寄付金を要求されたのですが・・・

2006-12-11 19:08:57 | お寺のトラブル
第一声が、「お寺に寄付金を要求されたのですが・・・」という言葉だった。

相手の方は、声から想像するに、60代位の男性。

電話の内容は、次のとおり。

菩提寺から、先日突然手紙がきて、「お寺の墓地の敷地が地盤沈下したから、その普及工事費用を檀家に負担してもらいたい。1件あたり25万円納めるように」との内容だったとのこと。

相談者は、寄付金を納めることは、やぶさかではないが、何処がどれ位沈下して、どんな工事をして、費用がどれ位かかったのか詳細を教えてもらいたい。とおっしゃっていた。そして、それを尋ねるのは、お寺に対して失礼なのか。ということを心配されていた。

25万円という金額は、一般のサラリーマンが1ヶ月、色んな人に頭を下げたり、色んな人から怒られたり、朝晩、満員の通勤電車に揺られて、残業しても手当てがつかなくて、そんな大変な思いをしてもらえるお金の金額である。

私、個人的には、そのお金には、いろんな思いがつまっているのだから、それくらい尋ねたとしても、問題ないとは思うし、むしろ、一方的に25万円納めて、という方が、今の時代乱暴な気がする。

その相談者に、伝えたことは、寄付金を納める心積もりがあることをお伝えして、その上で、お尋ねしてみたらどうだろうか。と答えた。住職によって、考え方が異なるので、教えてくださる方とそうでない方もいらっしゃると思うが、もし、理不尽なことを言われたりするようであれば、今後のお付合いは考えた方が無難かもしれない旨を伝えた。

相談者は、少し、すっきりしたように、ご住職とお話をしてみるといって、電話を切られた。

どうか、いい方向に話が進みますように。


それにしても、お金って、とても難しい。



新興宗教の葬儀

2006-12-09 22:26:14 | お寺のトラブル
今日の練馬は、この冬一番の寒さで、小雨の親分みないな雨が、風にのって、斜めに降っていた。

こんな時は、1歩も外にでたくない気持ちでいっぱいになる。

が、仕事は、そんな気持ちを尻目に容赦なく時間を奪い去っていく。

この仕事は、連絡が命だから、ひとつこじれると3つ4つ5つと平気でこじれてしまう。だから、何度も何度も繰り返し注意を払うことが何より大事。


今日は、新興宗教の信者だったという故人の戒名問題で、半日つぶれてしまった。

今までに一度も聞いたこともない新興宗教の名前だった。故人は、熱心な信者さんで、生前にそちらの宗教団体から戒名をもらってあったらしい。遺族は、その宗教とは何の関係もないけれど、故人が希望していたからできるだけ、その戒名を使って読経してもらいたい。という相談だった。

それにしても、何故、そちらの宗教の方がお越しにならないのですか?と尋ねると、故人以外、誰もよくその宗教についてわからないし、何処へ問い合わせていいのかわからない。そして、自分たちは、今後そことは付合いたくないので、一般のお寺さんに読経してもらいたいのだという。

ん~。

要するに、もらった戒名を祭壇のところの位牌に納めて、その名前で一般的な仏教のお寺さんに読経してもらいたい。ということ。

まず、無理。というか絶対無理。無理を承知で(喪家に納得してもらうためにも)たくさんあたったけど、やっぱり無理だった。

結果として、喪家に事情を話して、俗名で読経してもらうことで話は落ち着いた。

この喪家の葬儀の読経に向かってくださることになったお坊さんは、こう言ってくださった。

「みんながこっちを向いてくれるよう、仏教をしっかりと伝えてきますよ。」

ああ、そうか、こういう場面であったとしても布教をできるチャンスと考えることもできるのだな~。とつくづく感心してしまった。

個人の信仰だから、何も言えないけど、戒名をつけてくれた人さん!生前も亡くなったときも、ちゃんと面倒みてくれないと、信じた人がかわいそうではありませんか?

けど、信仰する本人も、いざ、というときに、周りの人が困らないように、色んな意味で配慮をしてくれるといいのにな。

結局、故人を亡くした悲しみより、「この葬儀をなんとかしなくては」という、焦りでいっぱいになってしまう。

私は、このたび向かってくださる僧侶の方に、遺された方たちの心のフォローを深くお願いしたい。そして、良い方向に導いてくださいます様に。











葬儀に菩提寺がこれなかった時の事件

2006-12-02 12:34:12 | お寺のトラブル
おとといの晩、葬儀社からこんな連絡が入った。

「顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)のお寺を紹介してもらえますか?」

生憎、寺院情報案内センターでは、その宗派のご案内はしていなかったので、丁重に、その場で断った。

すると、夜8時頃、「この宗派のお寺が、ここの県では、みあたらないので、日蓮宗でどこかお寺を紹介してもらえませんか?ちなみに菩提寺が福島におありになって、後日そちらで本葬をする予定になっています。」


菩提寺の都合が悪くて葬儀にお越しいただけなかったのか、後日、埋葬は福島で行うのだから、そのときに供養してもらえばよいと喪家?菩提寺の住職?が思ったのか私にはわからない。

けれど、とにかく日蓮宗のお寺を探さなくてはならない。

私は、菩提寺の御住職が、後々「どこのお寺に読経してもらったのか。」と喪家がたずねられても、「それは、よかった。」といっていただけるお寺で、尚且つ、喪家の自宅から近いお寺を・・・と考え、日頃、何度か面識があり、「この御住職しかいない!!」と思って、わざわざこちら側の無理なお願いを聞いていただいて、その葬儀にお越しいただけることになった。


私は、満足感で一杯になった。これで、喪家も依頼された葬儀社の担当者にも満足してもらえる・・・

ところが、次の日の朝、事態は一変する。

依頼された葬儀社から連絡があり、ものすごい剣幕で『話をきいてますか?』といきなり言われた。

「???」突然の話に全く何が起きたのかわからない。

「何か、問題がございましたでしょうか?」

『今、喪家から、今日お願いしているお寺からいきなり、「お寺までご本尊とりにきて!」と一方的に言われて電話をきられたらしいんだけど、菩提寺があるのに、どうしてもいかないとだめなんですか?と連絡があったんだよ。喪主が親族にその件を話したら、ひどくみんな怒ってしまっていて、読経だけしてくれればいい。ということらしんだよ。われわれ(葬儀社)が代わりに取りにいったんじゃだめなの?』

ええっ!?今まで自分がご紹介をしていくなかで、こういった事例がなく、ただただ驚きとこの後の自分がしなければいならない対応がサーっと頭をよぎり、脂汗が額ににじんだ。

早速、お願いをしたお寺へ連絡を入れ、事情を話すと
「だって、自分の家の葬儀なんだから、自分でとりにきて当たり前でしょ。葬儀社のいいなりに全部ならなくったっていいんだよ。」

んん・・・御住職の言っていることは、確かにもっともなことだ・・・けど、喪家の主張も、わからないわけでもない。こんな時、喪家の菩提寺はなんと言うのだろうか・・・


結果として、喪家の主張を通さずをえない形になり、別のお寺が来てくれる事になったのだった。

無理を言ってお願いしたお寺には、申し訳が立たない気持ちで一杯になりながら、その葬儀の通夜に急遽、伺うことになった。

10名位の本当の密葬で、外からでは、葬儀をしている様子は全くわからなく、近所の人ですら「何かあったんですか?」と尋ねる位、わからない葬儀だった。

故人は93歳のおばあちゃまで、喪主も70代を過ぎているような様子で、悲しみを胸の奥底に収めているような感じをうけた。そして、その場にいる兄弟の方たちもみんな年配で、車の運転なんて、絶対無理な様子で、タクシーすら捕まりにくい場所・・・客観的に、ああ、これでは、お寺に、簡単に行ける状況と環境ではない。

ただ、単に本尊を取りに行きたくなかったわけじゃなく、そういった理由があったんだな。とひしひしと感じた。

このたび、俗名で葬儀をし、読経してくれたお寺に納めたお布施は20万円。その後、おそらく菩提寺では、戒名をつけ、再度葬儀をしなおすのだろうか・・・そして、一体いくらのお布施を納めるのか・・・

本当に葬儀は、喪家にとっては、精神的にも経済的にも、大打撃を受ける。もし、菩提寺がなんとかしてくれていたら、こんな目にあわなくて済んだのかもしれない。

菩提寺が菩提寺であることを主張をするからには、保険会社みたいに、いざ、というときに、徹底的にフォローするシステムが必要で、それが徹底されていると、もっとお寺に関する社会の意識が変わるのかもしれない。