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お寺探しの旅~自分が求めるお寺とは?~

我々一般人にとって本当に「いいお寺」とは?
色んな情報を集めて、色んな角度から、色んな視点で追求してみたい。

いつになったら

2011-06-20 14:29:13 | 雑談
父がこの世から旅立って、すでに8ヶ月たった。

このブログを開くと当時を思い出してしまってなかなか開く事ができなかった。

でも、時々ブログをよんでくだっていた方たちから励ましの声を頂く機会をいただくことがあった。

おかげさまで、各地域で活発に葬儀に関する勉強会をやらせていただいているが、その場所その場所で出会う方たちで、同じような境遇に出会う人たちにお目にかかかるたびに過去を振り返る。

先日も奈良で1人のおばあちゃんにお会いした。
今月の1日にご主人を亡くされたのだという。

四十九日までの七日参りをしなければならないのか?と相談された。
体力的にも精神的にも余裕がないのだそうだ。

細く痩せた肩を何度も何度もさすりながら、おばあちゃんと話をする。

「大丈夫だよ。大丈夫だよ。大丈夫。いつでも電話してね。」

大切な人を亡くしたとき、人はいつになったら立ち直れるのかな?

時々元気。時々悲しい。そんなことの繰り返しなんだろうね。


時が止まる

2011-02-03 21:37:50 | 雑談
皆様、すっかりご無沙汰しております。

新年も明けたというのに、正直案内人の心は時が止まっているような気がいたします。

仕事は、おかげさまで忙しくやらせていただいており、何かと広がりをみせております。

ブログをかけなかったのは、父のことを書きすぎて開くと情景が浮かび悲しくなるからです。

悲しんでばかりいられないのは、先日、母が交通事故に遭いました。結果的には、ことなきを得ましたが、連絡をもらったこちらは生きた心地がしませんでした。


大切な人に会えなくなる悲しみは多分当事者にしかわからないのだと思います。

お父さんに会いたいな・・・

孤独と向合う

2010-11-26 23:29:21 | 雑談
案内人は、父の葬儀が終ったその日に上京してきて先日の勤労感謝の日に初めて実家へ帰った。

それまで、母と姉とつまらないことで、もめて大泣きもした。
胸に物が詰まる思いで4週間ぶりに実家に帰った。

家に入るのが怖かった。

現実を受け入れるのが怖かった。。。

家に入り、父の骨を目の前にしたとき、一気に涙が溢れて止まらなかった。

「お父さん・・・。」

遺影の写真のお父さんは笑っていた。

これが、現実なのかとショックだった。

その日の晩は、骨を枕元に置いて抱きしめて寝た。
こんなに小さくなってしまったけど、重たいお父さん。

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仕事に戻れば泣く事も許されない。

誰にも悲しみを知られたくないというのも、ちんけなプライドなのかもしれない。

先日ある人にナイフで心を切り刻まれるようなことを言われた。

血だらけの心でも・・・。血を噴出しながら笑顔をつくる。

世の中にきっとこんな思いをしながら生きている人はたくさんいるのだろうな。


有難うございました

2010-10-30 14:39:47 | 雑談
父が旅立ってから、もうじき2週間が立とうとしてる。

2週間前の今頃は、まったく別れを予想していなかった自分だった。

先週の日曜日の真夜中と月曜の朝は、亡くなる直前の情景がフラッシュバックして何とも言えない心苦しさに襲われた。

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17日の日曜に帰るつもりだった。ところが、父の尿がでていないので、
「危険な状態だから、今晩から誰かつくように。」
との姉の指示で、私が病室に泊まることにしたのだった。

「お父さん、苦しい?苦しいよね。今晩は、悦子がずっとそばにいるから寂しくないよ。安心していいからね。」

身体全身で息をする父に呼びかける。

月曜は仕事で、新宿の事務所に朝9時に入る為には、朝4時に病院を出ないと間に合わない。そこで、携帯の目覚ましを4時にかけながら、独り言をつぶやく。

「この目覚ましに、気が付いたら大丈夫だと思って4時に帰るよ。もし、気が付かなかったら、お父さんが私に『いかないで。』というメッセージだと思うから、お父さんの思ったとおりに私を導いてね。」

父のできるだけ側に椅子を置き、手を握りながら枕元で苦しそうな顔をみては涙を流し、顔をベットに伏せるの繰り返し。ふとした瞬間にうたた寝をしてしまった。

はっと目が覚めたときは、携帯は4:02の表示。
2分過ぎてる・・・・

お父さん・・・。

・・・・いるよ、今日は会社に究極の我が儘を言って休ませてもらって一緒にいるよ。だから、安心してね。

そう思うやいなや、看護師が入ってきて、自動式(電気)血圧計を測ると、大きく首をかしげ2度ほど測り治した。今度は、手動式血圧計を持ってきて、また、「あれっ?」といいながらさらに首をかしげる。次に病室に入ってきたときには、例の心電図がでる測定器をガラガラと運んできた。

馬鹿じゃなければ、これがどういったことを意味するのか誰もが察知できた情景だったように思う。

慌てて姉に電話し状況を説明すると
「うそ、ああ、だめかも。その画面にでている数値を上から読み上げてみて。」

「ああ、だめだ。朝まで持たない。今すぐ、お母さんを病院に呼んで。私も始発(松本から)でそっちへ向かうから。ああ、お父さんの最期に会えない・・・。えっちゃん、お父さんの側にいてくれて有難う。とにかく、すぐにお母さんへ。」

そこからは、パニック状態だった。

どんどん血圧は、下がっていっちゃうし父は苦しそうだし。
わけわかんない。

「お父さん、おじいちゃんとおばあちゃんがお迎えに来てるの?もうじき、会えるんだね。きっと怖くないよ。いずれ私もお父さんの所に行くから。それまで、見守っててね。。。」

何とか姉には、死に目にあわせてやりたいの一新で、我を忘れて泣きながら手や足や胸を必死にマッサージし続けた。1時間もすると疲れて、ああ、ダメかも。と何度も思った。


心電図の線は一直線で、マッサージをすると少しだけピコと山を見せる。

今思えば、息をしているかしていないかわからなくなって、最後に3分に1度の割合くらいで、3度ほど口をつぐんだ。

最後の1回の後、ぴったり私の背後に看護師がついたので
「えっ、もしかして、死んじゃったんですか?心臓とまっちゃってるんですか?うそっ、やだ・・・」
そこからは号泣で、よく見るテレビの風景みたいに決まった動作のように主治医が瞳孔を確認してあっさり「ご臨終です。」といった。


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ここまでが、産まれて一番悲しく切ない時間だった。


葬儀は終わり、自分にできることは、すべてやったように思う。
いつか、時間がたったら、葬儀の写真は公開するつもり。

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これまでの長い間、心温まるお言葉をくだった方々、それぞれの形でサポートしてくださった方々、本当にどうも有難うございました。

皆さんのおかげで、この私は活かしていただいております。

心から感謝申し上げます。



お帰りなさい、お父さん

2010-10-18 20:43:03 | 雑談
今、父は待ちに待った自宅で、安らかに眠っています。

いつもと違うのは、とてつもなく冷たいこと。
朝は、あったかかったのに。

12時間たっても、まだ、信じられない。


ねぇ、お父さん、本当に死んじゃったの?

やだよ。やだよ。やだってば。

ううううううう・・・・・・・・・

もう、信じられないということばを何連発しただろうか。

泣きすぎて頭が痛い。目の奥がいたい。36時間なき続けても、まだ、なお泣ける。

葬儀は、大事だと思った。だって、まだ死んじゃったって、信じられないもの。儀式を通して改めて死んだんだと、きっと理解させられるんだね。

今晩は、一緒に、隣に寝ようね。顔と顔をくつけて寝ようね。
あっためてあげるよ。
いっぱい話しよう。



続く緊張

2010-10-13 23:30:48 | 雑談
父は、まだ頑張っている。

一昨日見舞いに行った後、酸素の管を鼻に通されたらしい。

そして、今日は、酸素吸入器が枕元に添えられたとの事。

父は、もうしゃべることも身体を動かすこともできない。

できることといえば、ぼんやりと眼を少しの間開くことと聴く事(耳はどうやら聞こえるらしい)。

見舞いには、姉と2人で行った。

「お父さん、わかる?由美と悦子だよ。」

と耳元で大きい声をあげると、ぼんやりしていた眼が少し大きく開いて

「ああ・・・」

と聞こえてきそうな表情を見せ、なんとも切ない顔をしてみせた。多分、娘達が会いにきたのをわかってくれたのだろう。

私は、もう一度生きてる父に会えるだろうか・・・?

毎日、母に電話をして「今日の父」について教えてもらうのが、ここ最近の日課である。
この二日間、母は父に歌を歌ってあげているのだそうだ。一昨日は2時間、今日は1時間。
父は、ぱっちり目を開いて懐かしそうに楽しそうに聴いているのだと母は言う。

だけど楽しい時間は、だんだん短くなって、高熱にうなされながら眠り続けるらしい。

昨日、母が父に

「家に帰りたい?」

ときくと、

「うん」

としゃべれないはずなのに、大きく返事したのだという。

帰ろう。そうだ、帰ろう。おうちに帰ろうね。
病気と闘って頑張ってくれて有難うね。
あと、もう少しでお父さんの誕生日だよ。あと、6日で75歳。頑張れるかな?頑張ってほしいな。

受容

2010-10-06 09:48:32 | 雑談
昨晩、母から悲壮な声で電話が入った。

「お父さんに心電図がつけられたの。」

『どういうこと?』

「そういうことだよ。覚悟してね。いつでも帰ってこれるように荷造りしてしておいて。」

と言われた。

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本当なんだね。
本当にお別れが来るんだね。
寂しいよ。・・・お父さん。

あんなにうるさいと思っていたのに、声が聴けないことがこんなにも悲しいことだとは思ってもみなかったよ。




常識と非常識

2010-09-30 21:37:12 | 雑談
母の話によると、今日の父は一日目をボーっと空いていたとの事。そして、父が発した今日の一言はリハビリのときに「もうムリ、もういい。」


病院というところにときどき腹が立つのは、どう考えてもムリでしょう。ということでも、平気で言ったりやったりする。

先日は、昏睡状態で、ずっと眠っているのに
「デンドルミン(睡眠薬)をいつも一粒飲んでるんですけど、今日は飲みますか?」
という。

今日も、間もなく死ぬかもといって、ほぼ、動けない人間に
「元気になるためにリハビリ」
なんてありえないでしょ。

常識はずれたことなのに、ルールだからという。
問題意識を感じず、ただ、作業として業務にあたることに問題を感じたりする。

病院ってこういうところなのかしら。

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余談だが、今日は、お寺さんに驚かされた。
京都で葬儀社の担当者から慌てて連絡が入ってきた。
「お坊さんが、ご飯がないから初七日せずに帰るといってるんです。」
という。
通常、お膳料をお包みしたときは、食事の用意がないのが一般的だが、
「昼時に告別式にあたったのだから、食事を用意するのは当たり前の話でしょう。喪家だけたべて、自分の用意がないとは何事か。こんな失礼な話はないから、初七日しないで帰る。」
というのだ。
「ご飯が無いから帰る???」
こちらがお願いしたこととして、このままでは故人や遺族の皆さんが悲しみの真っ最中にあるのに、あまりにも気の毒であるため、なんとか初七日までやっていただきたい。ということをである。
このお坊さんの言っている事もわからないではないが、我々一般人が考える常識との差をものすごく感じた事件だった。

「そんな気持ちになれない」

2010-09-27 12:33:51 | 雑談
今日、たまたま過去のご相談者のアンケートを見ていたら、お父様が亡くなられた方のコメントが目に止まった。

彼女は、お父様が生きているのに「葬儀」を考えるなんて、「そんな気持ちになかなかなれなかった」と書いてらした。

うん、ほんと、そうだよね。

昨晩遅くと今朝早く病院へ行って、父の顔を見てきた。

呼びかけても、ほとんど反応はない。熱がでているのか、身体は熱く、点滴で腕が化膿したのか、包帯で片腕がぐるぐる巻きされて痛々しかった。

顔は、髭がのび痩せこけている。骸骨みたい・・・。

「あのね、お父さん、相談したいことがあるんだけど・・・」
過去に色んな人生の分岐点があって、父の言うことはちっとも聞かなかったけど、話すだけでちょっと安心したものである。
こんな風に悩んだとき、父ならなんて応えてくれるだろうか。声をもらえないことは、とても悲しい。


本当にお父さんは死んじゃうのかな。

余命宣告

2010-09-25 11:32:06 | 雑談
これまで、姉にはいつも父の「もしも宣告」にびびらされてきた。一方、主治医からは、かつて一度も宣告されたことはなかった。ところが、昨日病院から呼び出しがあり、とうとう余命宣告を確実に受けることとなった。


・病状は極めて深刻で、最期の時を迎えるまで自宅に帰ることはできないこと
・余命は、長くて本人の誕生日頃(10月19日~25日頃)であること


個人的には、できれば、最期は看取らせてもらいたいと言う希望があるため、現在入っている出張などの予定は、状況によってご相談させていただこうと考えている。

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母からの報告によると、案内人の誕生日に、あんなに感謝の気持ちを込めて御礼を伝えたが、熱にうなされていた父は、何一つ覚えていないというからがっかりである。

やっぱり、自己満足で終わった・・・。


明日は、また見舞いに行くつもり。しかたがない、もう一度チャレンジして伝えてこようと思う。