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お寺探しの旅~自分が求めるお寺とは?~

我々一般人にとって本当に「いいお寺」とは?
色んな情報を集めて、色んな角度から、色んな視点で追求してみたい。

Greenランチさんへ

2011-06-20 14:42:50 | Weblog
過去にくださっていたコメントの数々。今拝見いたしました。

こんなにも待っていてくださったんですね。

本当にどうも有難うございます。どうしても御礼を伝えたくなりました。

Greenランチさんの深い優しさに、心から深く感謝いたします。

こんなコメントいただきました(町田勉強会)

2010-03-14 11:05:36 | Weblog
案内人がWebで日頃からお世話になっている方が「勉強会」一度見ておきたいというので、比較的住まいに近い先日の町田に来て下さった。

その方から、こんな勇気湧くコメントもらったので、掲載させていただくことに。

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■■です。


本日はお忙しいなか、お邪魔してしまいました。

老眼で目がよくないだろうに食い入るように見つめるテキスト。
終了後にすがるように問いかける人の列。
このセミナーはまさに消費者への「伝道」のようだと、改めて、その貴い社会
的価値を実感させて頂きました。
拝見させて頂き、改めて御礼申し上げます。

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情報提供の必要性を訴え続けてきたのだが、活動当初は、誰一人としてなかなか相手にしてもらえなかった。

けど、ひとり、またひとりと案内人の話を聴いて下さる方が増えてきて、今では、多くのかたの支えで我々は成り立っている。

あらためて感謝 

「戒名」について

2009-12-05 15:48:01 | Weblog
ブログにコメントいただいていたのに、今日まで気づかず、いれてくださった皆様には、大変失礼いたしました。

その中に「戒名」について華笑山さんが事細かく書いて下さったので、今日はそちらを掲載したいと思います。

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「戒名」もしくは「法名」とは、仏教徒としての名前というほどにすぎません。宗教学者の島田正己氏は「ライフステージによって名を変えていた日本人にとっての死者の名である」と言っておられます。私は故人の人格を表す墓碑銘であると理解していますが。

戒名の末尾につく「信士」・「居士」は、どのていど仏道に熱心だったかを示す言葉でした。「信士」は、信じている人、ということで仏教徒であることを示す一般名詞です。
そして出家修行者ではなく在家の信者であるにも関わらず、仏道に通じている人のことを「居士」と称しました。後世では「ちょっと世間を離れている尊敬すべき人」という気分を表す尊称となり、例えば夏目漱石が「漱石居士」と称されます。
ですが、現状では、それすらもランクの一部となっています。具体的には、お寺にいろいろと(とくに経済的に)貢献なさった方に対して「居士」号を授ける例が多いようです。

これは「院号」も同様で、もともと寺院に経済的な貢献ができる人は、古代は皇族・貴族であり、中世から近世では武家・豪商でした。皇族のうち「法皇」と呼ばれる人々は「○○院(例:後白河法皇=後白河院)」と称されます。その人が住んでいた建物を「○○院(例:光源氏の邸宅は六条院)」と称し、個人名の代わりに建物の名を使ったのです。
そういった社会的地位の高い人々の戒名が「院号居士」でして、まあ家柄を表すものと同等に扱われたといってもいいでしょう。これが、明治以降は戦死した人に「院号居士」をつけることが多くなり、さらに戦後は「格の高い戒名」が売買されるようになってしまいました。
しかし今はお寺を持たない方は俗名の方も増えました。自分でつけたり、石屋店がつけたり、
していますが、生前お寺との付き合いを大事にして予算はコレコレなのですが、院号をつけてくださいというと相談にのる寺もあります。

命の重み

2008-08-28 19:40:05 | Weblog
アフガニスタン東部で非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)スタッフの伊藤和也さん(31)が拉致殺害された事件は、言葉では尽くせない悲しみがこみ上げてくる。

本当に悲しい。

どんなにか怖かったろうか。
どんなにか痛かっただろうか。
どんなに苦しかっただろうか。

想像することさえもできない。

愛し、慈しみ、お育てになったご両親の腕に抱いていただけることを願ってやみません。

戦争は、さらなる憎しみしか生まない。

以前、ある住職が言っていた「なぜ、宗教で戦争がおきるのか」そんな言葉が頭をよぎる。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

お布施本来の意味

2008-08-16 10:06:04 | Weblog
北京オリンピックの真っ直中。
誰が金で、誰かが惜しくも敗れた。と熱弁奮うスタッフ(本人曰く、オリンピックに至るまでの本人の努力のストーリーを知っていると倍楽しめるらしい)もいれば、全く興味ないというものもおり、案内人はその間の中途半端な感覚でTV中継をみるのでした。

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「良寛のスローライフ」を読んでいることは昨日お伝えしたが、今度は、その中でお布施についてこう印してあった。

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ひとくちに「布施」というが、布施はあくまで僧の側から頼まれなくても自発的になす徳行のこと。何かの報酬や見返りを期待しての「施し」ではない。この字義を調べてみた、山田孝道の『禅宗辞典』には「布施は普、施は捨なり。一切衆生を愛びんするが故に一切のものを普く(あまねく)施す」とある。明治24年に編成された『修証義』には「布施といふは貪(むらぼ)らざるなり」とある。これに対し、在家側からする施しは「喜捨」であり、絶対に「布施」と呼ぶべきではない。

 この、はっきりした語の使い分けがいつしかゆるみ、在家の側から寺の規定に従って支払う読経の代価を「お布施」と「お」をつけて寺が取り立てるものに変えてしまった。本来は「喜捨」であるのに、葬式と法事の際の僧侶に支払う出演料ででもあるかのように意味が転嫁したことを誰も疑わなくなってしまってから久しい。ここまで誤解が行き渡ってしまった仏教の退廃をみるのも、そら恐ろしいほどである。

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「喜捨」か・・・。これを我々凡人が理解するには、「教え」を理解しなければならないだろう。読経に対する代価という考え方の方が現代社会においては容易に受けとめることができるのかもしれない。

お布施本来の意味を伝えようとして、僧侶が「喜捨」ですよ。と言ったところで、実際には利害関係が生まれるので素直になれない凡人が意外と多いのかもしれない。

お墓の悩み:その1

2007-11-27 13:13:23 | Weblog
先日の11月23日、うちの岩村が京都のラジオ番組FM845に生出演。ついで、11月24日(土)には、葬儀・仏事の勉強会~失敗しない葬儀社選びのコツ~ということで第2回目の勉強会を無事に終えて帰ってきた。

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勉強会を終えると必ず相談の電話が入ってくるのだが、葬儀の相談というよりもお墓の相談やお寺に関する相談が多い。

お墓の相談の中でも、一番のトップは、お墓の移転問題。

田舎にお墓があって、それを近所に建て直したい。
そして、あらたにお寺とおつきあいするに当たって、何処に頼んだらいいのかわからない。

お寺のおつきあいについて尋ねると、

「格式の高すぎるお寺は、子どもたちのことも考えるとお金がかかって仕方ない。ラフにつきあえるお寺は何処にあるんでしょうか?直接お寺に、『お宅はいくらで読経してくれるの?ってきけないでしょ。』」

こんなことを言う方が4~5人いた。

この方たちには、こちらでも紹介できる旨は伝えるが、できるかぎりご自身の足でお寺探しの旅にでてもらうように促している。

自分や子孫がずっとお付き合いをするお寺。
魂のお付き合いだけに、納得のいくお寺に出会ってほしい。

お寺側にも、理解していただきたいのはお寺に訪問する方たちは、それなりの勇気を振り絞って訪問をしているということです。

一歩前に進むのは、本当に勇気が要ります。そんな気持ちを察していただけると非常に有り難いです。

葬儀業界の体質

2007-09-17 23:56:27 | Weblog
真夜中にこんばんは。

今日の練馬地区は、秋じみた残暑であっつ~い1日でした。

今日は、葬儀社に2社訪問する機会を得たんですけど、葬儀社ってほんと寒いくらいにクーラーがかかっていて、温度差のギャップにまたしても喉が痛くなってしまいました。

いったい、いつになったら風邪は治るのか・・・

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東京都内の区民葬に対応できる葬儀社と話をさせてもらった。

話を伺っていると、業界の裏側というのは本当に驚く世界があるものだ。消費者は、本当に慎重に葬儀社を選択する必要がある。

それにしても、葬儀業界とはこれだけネット社会になっているにも拘らず、いまだにアナログでメチャメチャ勝負をしている所が5割近くある。

費用的なものでいえば、コストダウンって簡単にできるはずなのに、ここは義理人情の世界なのでしょうかね、地元との付き合いをとても大事にしている傾向がある。

業者を個人商店でたのめば必然的に個々の値段も上がってくる。そこに、消費者がからんでくるわけだから流通ルートを考えるだけで、コストがかかるのも当たり前という感じで。

あって、ないような葬儀費用はこうして決まっていくのだな。と実感した時間だった。

それにしても、葬儀社からすると寺院という所は怠慢で政治の世界のように派閥でしばられた所という意識が強い。

根本的に考え方は間違っているのだと思うが、時間的な対価でいえば、葬儀社に比べ僧侶は・・・という風に考えているらしい。

葬儀社が20万30万稼ぐのにどれだけの努力が必要なのか・・・そんなことをお話になっていた。

葬儀社がアナログで止まっている感じがしたのだから、これでいうとお寺の世界はなんと表現したら良いのだろう・・・

一歩前に進むには、お寺の世界の中ではきっと想像以上に難しいことなのだということだけは理解できたような気がする。

神道のまめ知識~その1~

2007-02-06 11:10:47 | Weblog
みなさま、こんにちは。

今日の練馬地区は、比較的、暖かく、風も無く、穏やかな陽気です。

気温が高くなると、空は、なんだか霞がかかってしまって、写真にはいまひとつ。

どっちもコンディションよくっていうのは、結構難しいかも・・・

最近、この1週間で、偶然かもしれないけど、神道についての質問や紹介依頼が続いている。

これって、かなり珍しい。

神道に関しては、仏教に比べ、割合的にかなり少ないので、新人の葬儀社担当者だと、ちょっと不安らしい。

通夜・告別式・初七日といったことも、言い方が、異なるし、お布施ともいわない。

ちなみに、仏教での儀式を神道であわせてみると、通夜祭、葬場祭、十日祭と言ったり、玉串料といったりする。


神道の葬儀では、一昔前まで2~3人で、笛や銅鑼つかっていたようだが、最近では、神職一人で行うことが多くなっているようだ。

お包みする金額としては、あまり、仏式で葬儀をしたときと、そう変わらない。

むしろ、ちょっと低いくらい・・・

ちょっと、勉強

位牌に相当するものは?

霊代(みたましろ)・霊璽(れいじ)

意味:祖霊の依り代で、仏教(仏事)で言う位牌にあたるもの。
鞘(さや)(霊代の外側の木で出来たカバー・蓋のようなもの)の内側の板に「○○命」などの霊号(れいごう)という名を書き、元通り鞘をかぶせた状態でお祀りする。
 一人一人お祀りする「一体型」、10名分まで1つにまとめる事の出来る「クリダシ型」の2種類がある。
あくまでも一体づつお祀りするのが作法だが、スペースに余裕がない場合などは古いものから1つにまとめるとよいとか。
 

仏壇に相当するものは?

祖霊社(それいしゃ)神徒壇(しんとだん)

意味:祖霊舎(それいしゃ)とは、神道(しんとう)の方がご先祖様をお祀りするための社(やしろ)。

神道の教えでは、「一人の人間は亡くなると『肉体を司る神』と『心を司る神』の2つの神様になる」と、考えられているそうだ。
『肉体を司る神』は奥津城(おくつき)と呼ばれるお墓に祀られ、『心を司る神』は子孫を見守る祖霊(それい)として家に残り、祖霊舎という社に祀られる。
祖霊は、その依り代(よりしろ)となる霊代(みたましろ)(=仏教でいう位牌にあたるもの)に移された後、祖霊舎の中に納められ、神棚で祀られる神々とは別の種類の神様として自分たちを守ってくださる存在となるとのこと。

まれに祖霊舎のことを、仏壇(=仏さまを祀る壇)との対比で「神徒壇(しんとだん)」と呼ぶことがあるが、正式名称は、「祖霊舎(それいしゃ)」だそうだ。


仏教も奥深いけど、神道も奥が深い。

比較したりすると、それぞれの良いところが改めて、発見できるかもしれない。







葬儀相談窓口

2007-01-17 19:12:28 | Weblog
みなさま、こんばんは。

本日の練馬地区は、午前中パラパラと降っていたが、午後には、止んでどんより曇り空。

すっかり、ブログを休んでしまって、すみません・・・

最近、忙しいからなのか、ただ単に歳を取ったからなのか、目の下のクマがひどくなり鏡を避けて通ってしまう。ところが、さっき、うっかりトイレの鏡を覗き込んでしまい、現実逃避したい気分でいっぱいである。

だいたい、こういう時は、昔、若かりし頃の自分の姿(一番の自画自賛のお気に入りの写真)を思い出すことにして、今を忘れようとする自分がいることに気がつくからちょっと、つらい(苦笑)

 寺院情報案内センターでは、独自に葬儀・仏事の相談窓口も開設しているが、企業が運営している葬儀相談窓口の寺院相談にも、協力をしている。

できるだけ、一般の人々が、安心のお寺とめぐり合ってもらいたいという願いから、このお話が来たときには、とても嬉しく引き受けることにした。

昨日は、以前、私が某会社の代表を勤めていた頃、縁あって少しの間働いたことのある方をお会いする機会があった。

彼は、現在、独自に葬儀相談窓口を開設していて、消費者の圧倒的な支持をうけている人である。

彼の話を聞いていると、相談者への細やかな心遣いが、ズンズンと胸を突き刺すように伝わってくる。それは、「すごいな~。相談者は幸せだな~。」と思う一方で、自分の至らなさを感じる瞬間でもあった。

そして、彼は、以前に比べ、目を見張るほど、強くなっていたが、相談窓口を守っていくという責任の重さからなのかどうかわからないが、孤独でもあるように感じられた。

ひとつの城を守るということは、どんなにか大変なことだろう。

自分の後ろには、誰もいないのだ。

お寺の住職にも、企業の社長さんたちと同じようなことが言えるのだろう。

お檀家を守っていく責任。お寺の境内を守っていく責任。お寺の歴史を守っていく責任。教えを説いていく責任。いろんな責任を背負って、最終的には、住職が責任をとる。

どんなに修行をしていたって、人間だから、きっと孤独や不安を感じるときもあるだろうな。ただ、それを見せるか見せないかという人間性の部分は異なると思うけど・・・













お寺の良し悪し-その1-

2006-12-03 14:55:19 | Weblog
今日は、晴れているけど、雲が少し多めで、透き通るような空気の冷たさ。

自転車で風をきるには、手袋が恋しい感じです。


仕事柄、延べ2,500件以上のお寺に電話をして、500件ちかくのお寺を尋ね歩くと、実際にお寺を見ていなくても、電話の応対や話の仕方で、なんとなくそのお寺の内部的な絵が見えてくる。

そして、これは、ほぼ89%(自分感覚)、お寺の奥さんが感じが良いと、大抵住職も感じが良いから不思議だ。ほんと不思議。

みなさん、お寺を選ぶときには、必ず奥さんの対応をチェックしてくださいね。


チェック事項
①はじめて電話をしても、きちんと最後まで、話をきいてくれるかどうか。
 つまり、一方的に、事情も聴かず、そのお寺の話だけして電話を切ってしまわないかどうか。

②お会いしたときに、威張らず、迎えてくださるかどうか。

まずは、この2つをクリアするとお寺を選ぶときの第一段階はOKです。

こういう言い方は、失礼で検討違いかもしれないが、お寺は、ある程度カウンセリング能力が求められる場だと思っている。

だから、悩みを抱えた相談者の事情もきかず、一方的に自分の都合ばかりを話されたのでは、今後のお付合を考えたとき、必ず問題やストレスが生じてしまう。

お寺の住職は、結構忙しいので、葬儀だ法事だ会議だ奉仕活動だ飲み会だ?なんだと、とにかくお寺を留守にすることが多い。

だから、半分はお寺の奥さんがお寺を守っていると思っていい。住職との相性も大事だが、奥さんとの相性も大事。

新しく菩提寺を探すときは、よくよく注意をして選びましょうね。