仁、そして、皆へ

そこから 聞こえる声
そして 今

窓の外の灯りに照らされて

2008年05月30日 17時49分03秒 | Weblog
 カーテンを閉めずに部屋の明かりをすべて消して、二人は身を寄せ合った。
土曜はヒデオが気を利かせ、ヒカルを早くあげさせた。ミサキはワンピースに着替え、ヒカルを待った。ヒカルは部屋に戻るとシャワーを浴び、作業服をジーンズに着替えた。二人は下北沢に行った。ロックをかける黄色い壁の居酒屋に行き、乾杯をした。禁欲生活の中にいたミサキにとって飲酒は堕落の一つだった。少しづつ、現世的な生活に移行していく。ミサキの中で恐怖と至福がカオスとなって押し寄せ、時には自身を破壊してしまいそうになった。

ジャングルに棲む奇獣Ⅷ

2008年05月28日 15時32分39秒 | Weblog
 T会の戦略はまさに営業戦略といっていい。勧誘に対する障害が増えた段階でその市場から撤退し、営業力のある人材を次の拠点に移動する。MG大では抵抗勢力の出現で余計な労力を浪費することになりかねなかった。マスコミに嗅ぎ付けられたり、裁判沙汰になると折角の勧誘で得た資金源が何の意味もなくなってしまう。そこで撤退に対する決定は早かった。MG大にはT会の研究会は残ったが表立った活動は影を潜めた。あのニットのワンピースの責任者も竹下をはじめとする武闘派も実はミサキのいた合宿所から来た勧誘専門の部隊だったのだ。彼らは次の目標となるJ大への潜入攻勢を開始した。
 ヒロムはヒカルの一件があってしばらくは、その話題に触れなかった。しばらくしてから、マサルに聞くと学内での活動を見なくなったという返事が返ってきた。
ミサキへの聞き取りもその時点では積極的に行われたわけではなかった。事実、いろんな意味で落ち着くまでヒカルもミサキも「ベース」には来なかった。
 「ベース」のこのころの動きは、以前の六人組という枠を超えてヒロムが下部組織を作り出したことだ。各会員に配る会員証の作成や日々の開放スペースの管理を六人組以外の人間がやるようになった。また、次のイベントに向けての執行部を演劇部や技術者を中心に組織し、動き出したのもこのころだった。
 ヒロムのジャングルに棲む奇獣が動き出した。ヒカルがミサキと共同生活をすることになったヒロムの部屋にはウパニッシャッドをはじめとする東洋の宗教関連の本から、原始キリスト教を扱った書物、ユング心理学、グルジェフワークといったオカルト関連のものまで精神論から心理学、宗教学、哲学、社会学と、上げたらキリがないが今の現象、自分が関わる「仁」を中心とした「ベース」を理論的に解明しようとするような本だらけだった。ヒカルがヒロムの部屋と三日間を要して格闘した時、見たことも聞いたこともない本の山に驚いた。マサルの話によれば、年齢的に近いだけにヒロムの凄さをヒカルは実感した。が、部屋がこれほど荒れているということはヒロムの心の中にも何か荒涼としたものがあるのではないかと、感じもした。ヒロムの奇獣が起き出したのは確かに「神聖な儀式」の後からだろう。仁の力についての研究より人が動くこと、金が動くことが面白くなった。自分で発案した企画から思いもよらぬ金が動いたのだ。ヒロムの中の奇獣はごく当たり前の「欲」だったのかもしれない。虚無の思想は現世に向かった「欲」に変化していった。




ジャングルに棲む奇獣Ⅶ

2008年05月27日 16時05分32秒 | Weblog
ミサキの手を引いた。店に着くとミサキが寝巻きを持っていないことに気づき、パジャマも買った。ヒカルの財布の中にあった三日分の日当がほとんどなくなった。それでもヒカルはうれしかった。自分が人のために何かをする、そんなことができることが不思議だった。ミサキが着替えたいといい、店の試着室を借りて着替えた。ミサキのイメージがまた変わった。肩より少し長い髪、眉毛の少し上でそろえた前髪、禁欲的な生活は化粧も許されなかったのか、淡い色のリップくらいしかつけない唇、試着室のカーテンが開いて出てきたミサキは、可愛らしいという表現が一番似合いそうだった。大きな紙袋が三つ、ミサキが一つ持ち、ヒカルが二つ、井の頭線に乗り込み、ヒロムのマンション向かった。ミサキは左手で荷物を持ち、右手をヒカルの左手に絡ませた。柔らかな感触がヒカルに伝わった。電車の揺れに合わせてミサキの身体がヒカルに触れた。緊張感が和らいでいくのを二人は感じていた。意図的ものは何もなく、自然に触れ合えることがうれしかった。
 次の日、ヒカルはヒデオの車に乗った。昼になって、飯の行こうと誘ってもいこうとしないヒカルにヒデオが声を掛けた。金がないというとヒデオは大きな札を五、六枚ヒカルに握らせ、いつでもいいよといった。ヒカルは不思議だった。何故こんなにも優しくできるのだろう。「ベース」以外のことは、ほとんど知らないのに。心の欠けた部分を埋めるために「ベース」に行き出したヒカル、マサルに誘われるままに行ったスペイン坂。いろんなことが頭の中で駆け巡った。なぜか、涙が出てきた。
 ヒデオは、
「オイオイ泣くなよ。」
と肩を叩いた。
「大切な人なんだろ、大事にしろよ。」
と言い、ヒカルの腕を持ち、強引に引っ張ると
「飯だ飯だ。」
と現場近くの食堂に連れて行った。
 ヒカルはそれから、毎日、ヒデオの車の乗った。一週間くらいしたときだった。疲労がピークに達したヒカルは朝、起きれなかった。迎えに来たヒデオにミサキが事情を話した。ヒデオは無理をするなとだけ言った。ヒカルが休んだのはその日だけだった。次の日から、ヒデオの車の助手席がヒカルの指定席になった。
 ミサキとヒカルの奇妙な生活についてはまた紹介することにして、T会のこのころの状況について書くと、MG大の勧誘作戦は成功したとは言い切れなかった。学生運動以来、学生の力を抑えるために、大学側は自治会の解散を求め、事実上、大学には学生による自治会はなかった。そこがT会にしても都合のいいところだったのだが、夜間部のサークル連合会の結束が固く、T会排除の運動が起きた。夜間部からというのも面白い話だが、学外生の不当な侵入や今で言うストーカーまがいの勧誘に自衛団的なものを組織し、対抗したのだ。T会はMG大での勧誘活動に見切りをつけ、次の目標に向かうことになった。竹下をはじめとする勧誘グループはその姿を消した。






ジャングルに棲む奇獣Ⅵ

2008年05月26日 17時54分47秒 | Weblog
下北沢はおしゃれな街というよりも当時は不思議な街だった。金持ちもいれば学生もいて、家賃は高いが物価は安い、そんな感じの街だった。商店街があって、ピーコックもあって、商店街で買い物をしたほうが生活必需品は安かった。肉は肉屋で、野菜は八百屋で、魚は魚屋でそんな買い物ができる街だった。
 ミサキのデイパックの中には数枚の下着と洗面道具くらいしか入っていなかった。ミサキの行動が突発的で、衝動的で、その行動を起こさせたものが計り知れない抑圧であったことが解るのはだいぶ後のことだった。
 ヒカルとミサキは表通りから少し入った小さな店に入った。女性と二人でしかも女性ものの店に入るという経験はヒカルにはなかった。緊張しながら、ぶつかったワゴンにはショーツがぎっしり詰め込まれていた。赤面しながら、ミサキに下着が足りるか聞くとミサキはワゴンの前に陣取って一枚一枚吟味し始めた。ミサキは初めて見るような下着に目を丸くしまがらうれしそうに選んでいた。大らかな時代で店の前にショーツのワゴンがあり、その隣にはブラがワゴンに乗っかっていた。店の奥に初めてワンピースやブラウス、パンツが並んでいた。ヒカルは汗をかきながら、店内を物色した。ジーンズとスタジャンのミサキの姿からでは実際、何が似合うのかは想像できなかった。ミサキもヒカルのことに気づき、赤面した。二人は見つめ合い笑った。結局、その店ではヒカルが金を渡し、ミサキがショーツとブラ、ストッキングなどなど、を買った。それから、ジーンズメイトに行き、デニムのスカートとシャツ、ソックス、ベストなどなど、を買った。ヒカルは始めの店で見たワンピースが気になり






ジャングルに棲む奇獣Ⅴ

2008年05月23日 16時27分25秒 | Weblog
ヒロムがマサルに確認したが、マサルの所には個別訪問は来ていなかった。さらにヒロムは集会にでれるか尋ねた。ヒカルの状況から考えれば危険があるのは承知の上で。ところがマサルが二つ返事で参加を承諾した集会はヒロムの期待を裏切るものとなった。集会は世田谷区の区民会館で行われた。入場に際して、お友達は、と聞かれたが最近、姿を見えないと言うだけで何も咎められなかった。しかも、マサルは本来、集会が行われる会場には案内されず、幹部らしき人間が集まっている別室に通された。マサルはヒカルのこともあり身構えたが、中に入ると一番奥に座っていた初老の男が立ち上がり、うやうやしく頭を下げた。
「S先生のご子息ですね。先生にはいつもお世話になっています。」
と、突然言われ、マサルさんも宗教に興味があるんですか、社会勉強ですか、集会はS先生のご子息が出るような所ではない、と言われ、どうしてもと言うになら見学してもいいが身分の低い人を対称にしているのでつまらないものだ。と締めくくられた。マサルは父親の名前が出た段階で既に嫌気が差し、男の整髪料の臭いに吐き気がし、話をする気もなくなり、背を向け退室してしまった。
 「ベース」でヒロムに集会のことを聞かれてもマサルはムッとした顔をするだけで何も言わなかった。むしろ、ミサキからの聞き取りのほうがT会の勧誘方法については有効な情報が得られた。
 ミサキとヒカルはというと、ヒロムの部屋についたのはいいのだが、悪臭と埃にまみれ足の踏み場もない部屋の片付けから始めなければならなかった。ヒロムの父親が投資も考えて購入したマンションは本と洗濯物、食べ残しや焦げ付いたナベ、ティッシュ、ベッドから落ちたままの布団、どうしたらここまで汚せるのかというほど惨憺たる物だった。ヒロムの部屋は8階建ての4階にあった。エレベーターを降りるとその回りに三つのドアがあり、その真中のドアがヒロムの部屋だった。そこまではヒカルもヒデオと同じような感覚、生まれるところでずいぶんと違うものだな、と思っていたが部屋のドアを開けたとたん、部屋はその人の心の中を表すという母親に言われた言葉が浮かんできた。ヒロムの頭の中は・・・・・・
ヒロムは本以外はすべて処分してもかまわないと言い、それなら、と二人は始めたが片付けが終わったのは三日後のことだった。それはともかく、ヒカルは所持金のなさに不安になった。仕事のあてなどないヒカルはヒデオに頼み、今まで一度もしたことのない肉体労働をすることになった。朝、ヒデオの車が迎えに来て、現場にいき、夜は電車で帰ってきた。疲れ果てて何もできず眠るだけの生活がしばらく続いた。しかし、日払いでもらえる日当にヒカルは少なからず感動した。ヒカルはこのきつい仕事の後、「ベース」にやって来るヒデオをスーパーマンのように感じた。
 働き始めて、三日目だった。軽い神経症のような状態にあり、一人では一歩も外に出れないミサキをつれて買い物に出た。ヒカルはヒカルの部屋から始まった逃避行のままの格好のミサキに服を買ってやりたかった。

ジャングルに棲む奇獣Ⅳ

2008年05月22日 17時24分47秒 | Weblog
木造の玄関が一つで四畳半の部屋が1階と2階にずらっと並んでいて、トイレと台所は共同といったところだった。1階は男子、2階は女子には分かれていたが同じ屋根の下に変わりはなかった。保護者の仕送りも寮長が全額徴収し、活動費を日々受け取るという仕組みになっていたらしい。場所は目黒と五反田の間の山手通りから少し環七よりに入ったところにあった。ヒカルは思わずミサキに聞いた。深夜の勧誘の後、帰りはどうしたのか。ミサキによると寮の管理部から、ワゴン車が出て、決められた場所で拾われる。寮に帰ると個々の部屋に戻る前に勧誘状況を報告し、日報を書く。実際に勧誘が成功した人数によって、寮内での地位が決まるということだった。まるでセールスマンだな。ヒロムは思った。ミサキは散歩に行くといって寮を出て、ヒカルの部屋まで徒歩で来たのだった。さて、どうする。ヒロムのもう一つの提案はミサキが道に迷ったといってとりあえず今日は寮に戻り、後日、脱寮を計画する。といって二人を見てそれは無理かと、笑った。
 そうこうしているうちにヒデオが、アキコが、ヒトミが控え室に集結してきた。ヒデオは事の始まりがにヒロムがヒカルとマサルにT会を調査するように言ったことにあると知るとその理由をヒロムに問いただした。二人が口論のようになるとミサキが泣き出した。こうなるとヒデオは弱かった。話は元に戻り、結局、いまは空き家のようになっているヒロムの部屋に二人が行くことになった。




ジャングルに棲む奇獣Ⅲ

2008年05月21日 16時00分55秒 | Weblog
ヒロムの胸にすがりつくようにミサキは身体をよじった。ヒカルは胸に押し当てているミサキの顔を起こして口付けた。二人は確かめるようにゆっくりと唇を重ねた。一度離し、また口付け、舌を絡め、舌を吸い、また離し、口付け、何度も、何度も。
 ヒロムが席を立とうとした時、控え室のドアが開いた。マサルだった。ヒカルとミサキは抱き合ったままマサルを見た。
マサルはあッという顔をして、それから、にッ笑って入ってきた。
「ヒカル、お前ー」
などと言ったのも束の間、シリアスな雰囲気を感じ取り、現在の状況をどう対処するかの話し合いがもたれた。いくつかのパターンをヒロムが提起し、それについて個々の対応策を検討した。ヒカルが部屋に戻った場合、1人でいるのは危険があるため、何人かで泊り込む必要がある。また、その場合のミサキの宿はどうするか。あるいは、二人をどこかに隠し、しばらくヒカルの部屋を空にする。ミサキのよると勧誘対象地区は3ヶ月を期限に変更されるということだった。それが過ぎると次の勧誘対象地区へ回される。このとき、はっきりしたのだが、ミサキはMG大とはかけ離れたR大の英文科に席を置いていた。が、1回生の春に勧誘され、T会の活動に参加するため、大学へはほとんど行かなくなった。しかも、合宿所は某有名企業が運営する寮という形を取っており、保護者には企業の責任者の写真入の紹介状が送られ、承諾書を書かせて入寮させるということだった。当然、男子寮、女子寮と銘打っていたが、実際は


ジャングルに棲む奇獣Ⅱ

2008年05月20日 16時32分16秒 | Weblog
ヒデオの作ったベンチは硬かった。そこでアキコとマサミがクッションを縫った。打ち合わせなどしなかったがサイズがぴったりで座るところと背もたれが同時にできた。ヒカルはミサキをベンチに座らせた。それまで、立ったままで話していた。
 ミサキは一人で話し始めた。
「どうして、こんなことをしてしまったんだろう。」
ヒカルも不思議だった。会って間もないのに何故、自分を選んだのだろう。
「私は汚れた人間なんです。お父さんが事故にあったのも、親戚の叔父さんの会社が潰れたのも、お母さんの腰痛も、妹の喘息も、みんな、みんな、私の血が汚れているからなんです。それなのに私はまた、B様から離れようとしている。」
そう言うとミサキは胸を隠すように両腕を組んで頭をたれた。ヒロムもヒカルもじっと待った、ミサキが話し出すまで。そうしなければいけない空気が流れたいた。
ミサキは頭を垂れたまま話し出した。
「私は一番血の汚れた階級なのです。だから、B様の教えに従い血の浄化をしなければ私の周りの人たちを不幸にしてしまうんです。」
顔上げた。
「世界が滅びの道を歩んでいるのを止めるために、より多くの人を正しい道に導くために、私は、わ、た、し、が、・・・・わたしがB様に導く手助けをするはずだったのに。・・・・・・」
 ヒロムの脳裏にマサミが仁を襲ったときのことが浮かんだ。マサミはあの時、薬でリープしていたが、マサミの言動に近い物をミサキの中にも感じていた。
「でも、好き、あなたが好き、」
ミサキはヒカルのほうに向き直った。
「始めてあなたを見た時から、身体が変になってしまったの。だから、竹下が来る前にあなたのところへ行ったの。こんなの初めてなの。頭で考える前に身体が、あなたを感じるの。」
ミサキはヒカルを見つめたまま泣き出した。ヒカルは今まで女性からそんな言葉をいわれたことがなかった。まして、ミサキにそんな感情を持ったこともなかった。性的な感覚のみがヒカルを捕らえていた、ほんの2、3時間前までは。ヒカルはミサキを抱き寄せた。ミサキは静かに泣いた。ヒロムはミサキの言動に興味を持った。ヒロムも男と女の関係はあまり得意ではなかった。ただ、ミサキの心の動きが、ミサキの心を支配している思考が何なのか。ヒロムの頭は回転し始めていた。仁がいたら面白い。ヒロムは心の中でそう思った。
「もし、あなたが浄化の道を選んで、B様のまえに跪いたとしても、私とあなたをB様が指名されなかったら、私はあなたと一緒になることはできないの。そう思ったら、身体が勝手に動いていたの。あなたの部屋の前にいたの。どうして、どうしてなの。」
ミサキは身体をヒカルのほうに摺り寄せてきた。ヒカルもヒロムがいることを知りながら抱きしめた。
 もし、ヒカルが部屋にいなかったら、ミサキはどうしたのだろう。部屋の前に立ちすくし、ヒカルが帰るのを待ったのだろうか。今なら、携帯電話で所在を確認することもできるだろうが、大学生が自分の部屋に電話を引いているのも珍しい時代だ。黒い鞄を持たないで外出したことがわかればミサキは脱走したものとされ、すぐにも強制収用ということになったのだろう。ヒカルがミサキに運命的なものを感じたのも肯ける。
 ヒロムは二人を見ていた。
 制御の利かない衝動。抑圧された魂の暴走。果たして自由はどちら側にあるのか。魂の行方を誰が知ろうか。病める魂に救いを与えるのは統一された思考による矯正だろう。ミサキの場合は強制的に統一的な思考を植えつけられた可能性がある。それが彼女の思考のほとんどを支配しているのが解る。
その手法は・・・・・
 ヒロムの頭は方法論に入っていた。

ジャングルに棲む奇獣

2008年05月19日 17時39分13秒 | Weblog
そのジャングルに迷い込んだのはミサキのほうだった。統一的な思考から、感性や感覚、直感に至るまですべての発想が自らの責任において判断を迫られる、そんな状況にミサキは入っていった。T会の教えを離れることは頑強な城壁に囲まれた園から荒野へ足を生みいれることであり、あるいは1人でジャングルに置き去りされたようなものだ。一つ間違えば、命すら落としかねない危険が潜んでいる。教えに従うこと、その思考をメシアの思考に同調することで、実は、自らの思考を封鎖し、精神の安定を得る。そうすれば、もう、悩まなくていいのだ。考えなくてもいいのだ。「死」至る存在の恐怖を、信じることで、従うことで乗り越えることができるのだ。信仰から離れることは、一度、信仰を持ったものには耐え難い恐怖になる。
 ヒカルとミサキが「ベース」に着いたのは表参道の靴屋で残りの金を数えながら靴を探したにもかかわらず9時前だった。ヒカルは事務所になった控え室にミサキと入っていった。そのころ、ヒロムは大学へ行くことはほとんどなく、「ベース」で日長一日、研究にふけっていた。マサルはいなかった。ミサキはT会以外の人間に合うことがこんなにも緊張することだとは思わなかった。勧誘を目的に人に合うことはその使命がミサキを大胆にし、ミサキ自身の本来の人格とは違う何かがミサキを動かしていた。ヒカルはミサキを紹介しようとしたがどう紹介していいのか、言葉に詰まった。ヒロムの見た目は二十歳前後には見えなかった。しかも、そのころ、ヒロムは頭を坊主にし、無精ひげを伸ばし放題にしていた。服の汚れ具合や体臭は浮浪者に負けず劣らずというところだった。が、9時を過ぎれば、イベントの時の仁の衣装に着替えるのだから、それでも良かった。そんなヒロムを見たら、ミサキでなくても緊張する、不快感を持つ、拒否したくなる、のいずれかだろう。ただ、この集団のいいところは、初めての人間にも何の気兼ねもなく接することだった。けして相手を否定するようなことはしないところも。ヒカルは説明の仕様がなく今日までの顛末をヒロムに話した。
 ヒロムはすべてを聞き終えてから、
「解った。ヒカル、おまえは部屋に帰れるのか」
と聞くと、ミサキが突然喋りだした。
「だめです。今戻ったら、強制収用されます。私がヒカルさんのところで変になったのを竹下が気づいています。担当員の私が脱走して、ヒカルさんがいないのなら、なおさらです。」
「ヒカルでいいよ」
ポツンとヒカルがいった。それに続いてヒロムが
「強制収用って、」
「私たちは救いの部屋といいます。真実を受け入れられない対象者を教えに導く部屋です。」
そういうとミサキは言葉に詰まった。涙が瞼からこぼれ落ちた。
「私がいけないんです。私が堕落したから、ヒカルさんに迷惑をかけてしまった。」



血の掟ならⅤ

2008年05月16日 17時19分12秒 | Weblog
美咲の顔が崩れた。あの笑顔の時の涙とは違い、子供が大切な陶器の人形を落として割ってしまったときのように顔全体を崩しながら、泣き出した。ヒカルは愛おしさを感じながら抱きしめた。今度は手を払うこともなく美咲はヒカルの胸に顔をうずめた。美咲が小さく感じた。紺のブレザーの美咲は姿勢の正しさのせいか、それともあの笑顔のせいか、快活な言葉のせいか、今の美咲よりも大きかった。こうして抱きしめるとヒカルにすっぽり入るくらい小柄だった。性的な欲求のみに支配されていたヒカルの中でそれとは違うものが芽生えた。ヒカルは美咲が泣き止むのを待った。そして、両手で美咲の顔を包み込み、ヒカルのほうに向けた。ヒクヒクしているミサキの唇にヒカルは口付けた。キッスをしながら、美咲はヒカルに腕をまわし、ヒカルも抱きしめた。時間が止まってしまった。駅の切符売り場の前でまわりをはばかることもなくキッスをしていれば、注目を浴びないわけがない。しかし、今の二人の格好からそれが美咲とヒカルであることが解るのははっきりと顔を覚えている竹下くらいだろう、もし、青年部が二人を探していたとしても。
 長い抱擁の後、ヒカルは「ベース」行こうと提案した。しかし、「ベース」が青山墓地の裏手にあることを知ると美咲は必要に拒んだ。ヒカルは掲示板横の姿見に美咲を連れて行き、自分の姿を映させた。美咲は自分の変わり果てた姿を見て自ら噴き出した。機械のような笑み以外の笑い顔を始めてみたような気がしてヒカルはうれしかった。原宿に着いたら靴も買うということで美咲を納得させ、二人は電車に乗った。まだ、宵の口で活動時間には早いようだった。