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大沢啓二氏死去

2010-10-08 | その他



大沢啓二氏死去


 プロ野球の南海(現ソフトバンク)で外野手として活躍し、引退後はロッテと日本ハムで監督を務め、「親分」と親しまれた大沢啓二(おおさわ・けいじ、本名昭=あきら)氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため東京都内の病院で死去した。78歳だった。

 近年はTBS系のテレビ番組「サンデーモーニング」でスポーツコーナーに出演。張本勲氏とともに辛口のコメントで人気があったが、最近は休んでいた。

 神奈川県藤沢市出身。神奈川商工高でエースとして夏の甲子園に出場。立大では強肩強打の外野手として後輩の長嶋茂雄、杉浦忠らとともに活躍した。1956年南海入り。リーグ優勝3度、うち日本一2度を経験。杉浦が巨人相手に4連投4連勝を演じた59年日本シリーズでは好守備で南海の2リーグ分裂後初の日本一に貢献した。東京(現ロッテ)に移籍し65年引退。通算打率2割4分1厘、17本塁打だった。

 71年途中から72年までロッテ、76~83年と84年途中から閉幕まで日本ハムで監督を務めた。81、82年に後期優勝。81年にはプレーオフも制し、日本ハムが球団を持ってから初のリーグ優勝を遂げた。球団常務を経て93、94年にも監督を務め、監督通算13年で725勝723敗99分け。

 貫禄(かんろく)のある風貌(ふうぼう)とべらんめえ口調から「親分」と呼ばれ、プロ野球OBの中心としてマスターズリーグ設立に尽力した。 
                                    (時事通信)



日曜日の朝、よく「サンデーモーニング」を観ていました。
大沢親分の、懐のふかいコメントが好きでした。
逝去の報に触れて、はじめて啓二さんとおっしゃること、ご本名が昭さんとおっしゃることを
知りました。
現役時代も監督時代もしらなかったなあ。
でも、またひとり、話のわかる偉大なひとを亡くしたなあと残念でなりません。

例の「江川詔子さん締め出し事件」が起こってから、大沢親分のとなりの方を見るのが
不愉快で番組を見なくなったので、お休みなさっていたことすら知らなかったのですが、
周囲にご病気であることを伏せていらっしゃったというようなことを読みました。
豪放磊落と思われることをよしとし、余計な心配をかけたくないと、きっと気配りなさって
いらっしゃったんでしょうね。
大沢親分の「あっぱれをやってくれ」が聞けなくなったのは淋しいです。
もっと聞いていたかったなあ。
というか、TBSが馬鹿だから、私みたいに、あの番組を観なくなった人は多いと思いますよ。
大沢親分に罪はなかったのになあ。
人情とか、激励とか、共感とか、叱咤とか、・・・いろいろ教わったものです。

大沢親分、ありがとうございました。
ご冥福をこころからお祈りいたします。






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2 コメント

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Unknown (おん)
2010-10-08 02:23:58
本日二つ目のコメントです。
実は私、日本ハムファイターズのホーム地に住んでまして。
日ハムが優勝パレードをする度に、
大沢さんが路上に立って、
選手や監督に手を振ったりしてくれてたんです。
私も握手してもらいました。
とても気さくで優しくて素敵な方でした。
選手たちも大沢親分を見つけて凄く喜んでいた姿が印象的でした。
今年は日ハムも4位になってしまって、
最後に優勝する姿を見せられなかったのは、
日ハムの皆さんも残念だろうな~と思います。
でも、ぎりぎりまで頑張っていたので、
大沢さんも最後まで応援してくれてたのかな~
なんて思ったりします。

TBSのあの番組はこれからどうなっちゃうんでしょうね。
ますます張本氏の独壇場になってしまうんでしょうか。
とっても残念です。

大沢親分のご冥福をお祈りさせて頂きます。
返信する
おんさんへ ()
2010-10-09 10:42:57
大沢親分がいたころ、日ハムって後楽園がホームでしたよね?
おんさんは東京、ですか?

いいなあ、
大沢親分と握手ですか?
話のわかる偉大な野球人だなあといつも思っていました。
いろいろ故人をしのぶエピソードを聞くたびに、
パリーグならではの、ご苦労とかパフォーマンスにこころを砕かれたひとなんだなあと
尊敬します。

どなたかみたいに、大リーグに行く人を非難したりしないし、
大人で、広いこころをお持ちのかたでしたね。

あの番組があの方のみになったら、誰があっぱれをほしがるかなあと思ったりします。
大沢親分がいてこそでしたね。

いつまでも日ハム=大沢親分、の記憶は消えないことでしょう。
返信する

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