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コミュニケーション至上主義への疑問。2010-08-29

2014-12-26 | 気になったニュース


コミュニケーション至上主義への疑問。  
      2010-08-29

ダイアモンドオンラインの記者の方が、対談なさいました。
もと2ちゃんねる管理人のひろゆき氏、こと、西村博之氏が
対談で素敵なことを言われていました。

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8月24日夜、『ニコニコ動画』というインターネットメディアに生出演。
元2ちゃんねる管理人で、ニコニコ動画を運営する「ニワンゴ」取締役の
西村博之(ひろゆき)氏と「ひきこもり社会日本~非モテからリア充へ~」と
いうテーマで対談した。
 

「外出しないのはダメなことか」
“家に居ること”も選択肢であるべき

 ひろゆき氏はまず「なぜ人は外出しなければいけないのか?」という視聴者からの
コメントを紹介。

「外出しないから、あなたは引きこもりですって、(外出しないことが)悪いことの
ように言われている気がしている。外出しなければいけないの?って思った時点で、
ダメなヤツだと言われたら、しゃーないかな」
と指摘する。

 確かに、「外に出ないのはダメな人なのか?」と、誰かが言っているわけではない。
しかし、実際、多くの人は、毎朝、出勤して仕事をしなければ…」といった規範性の
ようなものを刷り込まれている。そのことが「昼間からブラブラしていることを近所には
知られたくない」という強迫観念につながり、何となく外に出なければ…という動機の
1つになっているのかもしれない。

 ひろゆき氏は、こう持論を展開する。

「僕の思う引きこもりのイメージって、誰かに迷惑をかけるのが、引きこもり。
迷惑をかけていなければ、家に居続けていても構わんと思うのですよ。引きこもって
いても生活ができていれば、外が好きじゃなければ家にいてもいいし、単なる選択肢の
問題。家に居続けてはいけないといって、選択の自由を奪うほうがおかしいと思う」

 問題は、社会性を持てない人たちがいるということだ。いまは、引きこもっていても
生活ができていて、誰にも迷惑をかけていなくても、ずっとこのまま社会性を持たない
ままでいいのか。また、働きたくても、何らかの病気を抱えた人もいる。

「そもそも日本では、ニートと引きこもりの違いが明確でない」
と、ひろゆき氏は疑問を投げかける。

 ここで、番組スタッフが視聴者にアンケートを実施。「ニートと引きこもりの違いは
わかりますか?」の問いに、
「はい41.6% いいえ58.4%」
と、リアルタイムで結果が映し出される。

 日本のニートの定義は、失業者が除外され、ハローワークに通わずに、教育も訓練も
受けていない34歳以下の若者と限定。「働く意欲のない若者たち」というイメージが
増長していった。一方、引きこもりの人たちは、働きたくても働けず、社会活動や
コミュニケーションの取れない人たちで、年齢制限があるわけでもない。
そんな引きこもり状態の人も、これまでニートと一緒くたにされ、バッシングの対象に
なったり、35歳以上の当事者が放置されたりしてきた。

「リア充」になりたい人たちはまず、病気であるのか、病気ではないのかを区分けして
もらって、自分の状態を客観的に把握する必要がある。病気が引きこもりの原因に
あったとすれば、それを治療していくことが、人生を楽しくできる第1歩となる。

 次に引きこもりの人たちが社会に復帰するために必要なのは、コミュニケーション力を
身につけることだといわれている。

 しかし、ひろゆき氏の次の問いかけも、また新鮮だった。

「なぜ現代社会は、コミュニケーションスキルを過剰に要求しているのか?」

電話のかけ方や接し方を教えないと、社会の一員にはなれない。コミュニケーション
レベルが上がってしまったのではないかというのだ。

 視聴者からも「過剰過ぎる。ホント疲れる」「コミュニケーションって概念に圧力
かけさせすぎ」などと、書き込みが入っていく。

 社会を見回せば、能力よりも要領のいい人が出世していく。逆に、コミュニケーションの
下手な人は、実力とは関係なくソンする事も少なくない。日本が「コミュニケーション至上
主義」の社会になっていることも、多くの引きこもりを生みだし、社会復帰を妨げる背景に
あるといえる。

 ひろゆき氏はここで、身近で働くアスペルガー障害を持った人が、プログラマーとしては
非常に優秀だったのに、サーバーがアダルトサイトにアクセスしてしまい、警察に逮捕
された話を紹介した。彼は誤解を解こうと、一生懸命説明するものの、話がシドロモドロの
ため、理解できない警察は、23日間勾留。出てきたときには、会社を解雇され、家賃も払
えなくなって、ホームレス寸前にまでなったという。

 話上手な人が、社会で上手く立ち回る一方で、コミュニケーション能力に難があると
生きにくい、いまの日本を象徴する話だ。

「僕も電話が苦手なんですよね。他人に電話するのが嫌いで、電話発信はほとんど
しない。相手の人が忙しそうだから、そこに割り込むのが嫌なんです」
と、ひろゆき氏も明かす。

 電話は、相手の顔が見えないだけに、実際に会うより緊張するという人も少なくない。

 自分のことや政治、経済などの真面目な話ができても、世間話が苦手という点も、
引きこもり系の人たちに共通する傾向だ。世間話は、話題をふって相手に興味を持たせ
なければいけない。ニーズを理解しながら話すのは、高度なテクだ。そんな話をすると
「めっちゃ、わかる」という反応が多かった。

家の中でも稼げる仕事を見つけるのも1つの方法
 改めて思ったことは、学校を何事もなく卒業して、就職できたとしても、周囲に
チヤホヤされ、挫折することも、傷つく経験も積んでこなかった人が増えているのでは
ないかということである。自分が中心で周りが自分に合わせてくれる、そんな自己万能感を
持ったまま、大人になってしまった人たちにとって、社会に出てからは、必ずしも自分の
思い通りになるわけではない。どこかで傷ついて、あるいは折り合いをつけながら、
社会に適応していくことが求められる。しかし、地域や家庭、会社といった共同体が
崩壊していく中で、子どもの頃からの自己万能感の傷つく体験を得られる環境がなくなって
きているのではないか。

 最後に、ひろゆき氏が締めた言葉は、非常に的確だと思えるので、そのままの言葉を
紹介したい。

「病気と病気じゃない人の区分けだけは、ハッキリさせたほうがいい。診てもらって、
病気じゃなったとしたら、家の中ででもできる仕事を探す。周りには、安く仕入れたものを
高くネットオークションで売る人もいるし、オンラインゲームの監視業務や武器の名前を
付ける仕事に就いた元引きこもりもいる。ネットゲームの中でカネを売るというリアル
マネートレードという仕事もある。家の中にいたって、カネを稼げる仕事は、増えてきて
いるんです。楽しんでいるのであれば、それはそれでいいと思うし、外に出たければ、
オフ会でも呼びかけて、勝手に出ればいい」

 いかにも「外に出るのは面倒くさいし、家の中にいるほうが全然楽しい」という
ひろゆき氏らしいアドバイスだ。

 また、スタジオの場外から飛び込み参加した精神科医の岡田聡氏によれば、
病気かどうかの診断は、行政などの窓口で相談すれば、無料で行ってもらえて、
比較的無難なのではないかという。

 新たな驚きと発見のあった、実り多い対談だった
                    (ダイアモンドオンラインより抜粋引用)


この記事を読んで、すごくよくわかるなあと想ったし、
なるほど、家に居続けるひとたちをなにもかもひっくるめて、というのは
いけなあと思いました。

地域社会の結びつきの希薄さは言われて久しいと想うのですが、
それでも、記事にあるように、昼間、家にいてはいけない、みたいな
強迫観念を周囲とのかかわりのなかで持ってしまうのも事実です。

早い話、仕事を辞めて次の仕事を始めるまでの間、
ほんの少し、家にいても、昼間、近所のひとと顔を合わせるのがいやだなとか、
思いましたもの。

不登校になったとしても、公園で時間をつぶしたり、
そこらへんを毎日散歩してても、誰の視線も気にならなかったりしたら、
どれだけ快適かなあと想うのですが。

コミュニケーション至上主義、
ほんと全能な感じですよね、ひとづきあいのうまいひと。
私も人見知りするので、羨ましいです。
できることなら、ずっと家にいたい(笑)


西村氏の話を聞いていたら、なるほどなるほどと想ったので、
お伝えしました。
どう総括することもできずに、すみません^^







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2 コメント

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Unknown (まろうさぎ)
2010-08-29 12:02:01
「家にいて何が悪いのか」「コミュニケーション至上主義すぎるのでは」というのは、とってもよくわかります。
私も用事がなければ家にず~~~~っといますし、コミュニケーションを上手にとれる方ではないです。でも、こういう人、案外多いと思うなぁ。
(逆に「自分はコミュニケーションを上手にとってます」なんていう人、いるのかしら?誰もが「自分は人づきあいがヘタで…」と思っているのが現代日本人のような気がしますが)

コミュニケーション下手でも、まあ、何とかやっていく・折り合いをつける、というのが大人になるということではないでしょうか?「コミュニケーション至上主義」の社会だからって、上手じゃなきゃダメ=死ぬってことではないですから。
「口べた」「とっつきが悪い」「世間話ができない」ことを自覚しつつ、それでもその場その場で何とか頑張る(そして、失敗して落ち込む)の繰り返しなんだと思ってます。
それと、プロの技術は、最終的に社交能力とはちゃんと区別されていると感じます。

話はズレますが、「自分じゃなきゃダメな仕事」って少ないです。むしろ「誰でもいいけれど、とりあえず今は自分がやっている仕事」がほとんどで、でも、それに落ち込む必要は全くないと考えます。「今、自分がやっている仕事を自分なりの方法でやりぬく」のが仕事ってもんだと、セクロボの真木名さんからも学びました。自己万能感は、「自分じゃなきゃダメ」「パーフェクトな自分」を感じることですけれど、そんなの、子供のころから感じたことはないです。自己万能感を仕事に求める人が多いこと(また、それをあおる風潮)が、この問題の要因の一つにあると思っています。
返信する
まろうさぎさんへ ()
2010-08-30 08:19:32
おはようございます。

>コミュニケーション下手でも、まあ、何とかやっていく・折り合いをつける、
>というのが大人になるということではないでしょうか?

そうですよね。正論だと思います。
さりながら、学校時代から、傷ついて、リアルな人間関係を結ぼうと、
自分から働きかけられなくなっているひとも多いと想うんですよ。
そういうひとは傷つけられる心配のないネットでの人間関係などに、
救いや可能性を感じたりもすると思います。
リアルに反するフィクションとかファンタジーとはよびたくないけれど、
打算のない関係というのかなあ、それって、甘いかもしれないけれど・・。

親元にいるとき、不登校や中退で昼間家にいても、それも当たり前とするなら、
近所に昼間に堂々と出かけたり、ちいさな人間関係を結べたり、
いろんな場所で時間つぶしをして、学びもあると思うんです。
でも、そういうの、社会的に是とされないというか、息苦しくなりますよ、
自分の無能感なんかも募るし。
そういうところから人との隔絶を感じてゆくのは容易だろうと想うし、
《大人になれない?》状況が生まれるのかなあと想うんです。
一度ひきこもってしまうと、どんどんコミュニケーションが怖くなるんじゃないかな。
私は社会には昼型産業と夜型産業があるように、
もっと通勤型とソーホー型の仕事というものが、両輪として認識されてもいいと思います。
ひとりの人間として国民として義務を果たせば、山の中?で暮らすことを選ぶ人と同様、
なんら問題がないと想うのですが^^

「自己万能感」を感じたことがないというのは、
謙虚で賢明なことなんだろうと思います。
でも、昨今《ゆとり教育》の弊害もあるかもしれませんが、
「あなたはあなたでいいのよ。それだけで素晴らしい」
的な大人(親)側のまなざしが、子どもに曲解されている場合もあると思います。
・・・社会全体の問題でもあるということかもしれませんね。
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