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超絶推奨!!「死なない子供 荒川修作」

2011-03-27 | 本・映画・ドラマのレビュー&気になる作品



超絶推奨!!
「死なない子供 荒川修作」


きのう、第七芸術劇場(ナナゲイ)にて「死なない子供 荒川修作」、 見てきました。
最終日だったんです、よかった、走ってって間に合った^^

映画は三鷹天命反転住宅を主題に、というか、核にすえて、ドキュメンタリーとして展開されているんですね。
まず、三鷹天命反転住宅ってどういうものかを公式サイトから。
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三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller は、芸術家/建築家の荒川修作+マドリン・ギンズによる、世界で最初に完成した「死なないための住宅」です。
この全部で9戸の集合住宅は、内外装に14色の鮮やかな色が施され、一部屋一部屋の色の組合せが全く異なることから、「極彩色の死なない家」(瀬戸内寂聴氏)として、東京西郊外の三鷹市のランドマーク的存在にもなっています。


 2005年の完成以来、世界十数カ国から人々が訪れ、数々の新聞・雑誌・TV・インターネットサイトにも紹介をされ続けていますが、この建物の大きな特徴は訪れた人の身体を揺さぶる感覚が、人間の持つ可能性に気づかせてくれることにあります。


 私たちが多くの時間を過ごす住宅。荒川修作+マドリン・ギンズの長年の研究から、一人一人の身体が中心となるよう、設計・構築された空間と環境は、建築界にも大きな衝撃を与えています。また、芸術作品の中に住める住宅として、今後の芸術が担うべき社会での役割の新しい提案ともいえるでしょう。


 「死なないための家」、そして In Memory of Helen Keller ~ヘレン・ケラーのために~ と謳われる理由には、さまざまな身体能力の違いを越えて、この住宅には住む人それぞれに合った使用の仕方があり、その使用法は自由であるということが言えます。3歳の子どもが大人より使いこなせる場所もあれば、70歳以上の大人にしかできない動きも生じます。
私たち一人一人の身体はすべて異なっており、日々変化するものでもあります。与えられた環境・条件をあたりまえと思わずにちょっと過ごしてみるだけで、今まで不可能と思われていたことが可能になるかもしれない=天命反転が可能になる、ということでもあります。荒川修作+マドリン・ギンズは「天命反転」の実践を成し遂げた人物として、ヘレン・ケラーを作品を制作する上でのモデルとしています。
三鷹天命反転住宅は、私たち一人一人がヘレン・ケラーのようになれる可能性を秘めています。その意味において、三鷹天命反転住宅は「死なないための家」となるのです。


 現在、一部を賃貸住宅として、また一部は教育・文化プログラムを発信する場として、荒川修作+マドリン・ギンズの東京事務所(ABRF、Inc.)が管理・運営を行っています。

4/2~渋谷アップリンクで東京再上陸。

                                            (公式サイトより)

画像はここから→http://www.architectural-body.com/mitaka/gallery/index.html



「死なない子供、荒川修作」オフィシャルトレーラー

http://www.youtube.com/watch?v=__Lc4zMro9g
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荒川修作ってひと、だれかに似てると思ったんですが、
どうも岡本太郎画伯に似ている気がするんですね。
言ってることとかはぜんぜん違うんだろうけれど、
自らの信念に揺らぐことなく、まっすぐで、
ひとに伝えようと、全力を振り絞る感じ。

荒川修作は「ぜんぜんわかってない。言葉はほとんど間違ってる。」と、
歯軋りするように顔をゆがめながら言うんだけれど、
だけど訴えることをあきらめる、ということではないのでした。
訴えて、ひとを動かして、覚醒させたいと思ってる・・・。

三鷹天命反転住宅、
ほかでもいろいろ広大な敷地をつかって実験作=居住地、みたいなのをこしらえた。
美術に疎い私がこういうのを言ってはいけないのかもしれないけれど、
バウハウスの時代の美しい「実験的な職人」をも思い出してしまいました。
もっとも、荒川修作の場合は、実用かどうかは無視してて、
いや、住居のための、ではなくて、人間が使うためのツールとして、
住居が入れ物としてでなくて、宇宙までつながる、
いのちを広げる?仕掛けとして考えられてる、という気がするのです。

実際、住宅は、従来の住まいの概念をがらりと変えるものでして。
私は映画見るまで、和みとか癒しとか疲労回復とか(笑)を建築に求めていて、
有機体としての住まいというか、比喩ではなく、繭のようなものとして考えていたんですよね。
居住者の情念と身体の状態によってバクテリアのように蠢き、歴史を刻むというか。

でも、甘かった、あまあまだよ、って感じで、鉄槌で叩き壊されました、頭を、脳みそを。
波打つ床、どこにあるかわからないコンセント、ドアのないトイレ、
天井から収納のためにぶらさがったロープ、
それ以前に14色の壁。
余命少ないひとには住めないところ=にんげんが死なない住宅、なんですかね^^

そこに一歩足を踏み入れると、頭のてっぺんから足のつまさきまで、活性化せざるを得ないというか、
一秒一秒、感覚が研ぎ澄まされるというか。
歴史なんてちょろいぜ、日々更新して、新しく脱皮していくだけなんだよ、というか(笑)

映画には実際そこでお住まいの方々がインタビューに答えていらっしゃるのですけれど、
普通のひとぶりにびっくりした(笑)
ネオフラワーチルドレンみたいなひとが出てくるかと思ったんですが、そうじゃなくて(笑)

暮らしてみてどうですか、と荒川修作に問われた山岡信義監督が、
めんどくさくなった、わけでもないだろうけれど、
実際に住んでいるひとの、当たり前の日常を核に映画を撮られたのは正解だなあと^^


今日の月はきれいだなあ、じゃないんだ、
あそことここ、ではなくて、繋がっているんだと。
ガチコーンとね、スコップで頭殴られて、
5メートル先に、私のアタマが転がっている・・、みたいな感覚ですよ。

私が感覚を研ぎ澄ませば、からだの外との境界がなくなる、
その境界を外へ外へと押しやってゆけば、そのまま宇宙まで広がっていくではないですか。
そういう一体感を持てば、
従来の言葉や死生観やモラルとか、
人間が作ったものはすべて間違っていると言われても納得するというか、
いやまだ、整理できていないんですが、
過去も未来もなくて現在だけ、そしてその現在をどれだけ鋭敏に生きるか、というのは
大好きなクリシュナムルティにも通じるぞこれは、と私は興奮してしまったのでした。

浅野忠信さんがナレーションを引き受け、
ノイズっぽい音楽と冒頭、ラストのピアノが効果的で美しい
映画「死なない子供、荒川修作」、
ひとりでも多くの方に見ていただきたいと思います。
書き足りないんですが、あふぉなので、まだまだ言葉にあがってきません。

そうそう、思い出したけれど、
環境→雰囲気→気配→呼吸→自分・・・、自分→呼吸→雰囲気→環境・・・、
意識すると変わっていくと思うんですよね。

うまく言えないのがもどかしいんですが、
この映画を観たら、すごい体験をしたのに匹敵すると思うんです。
呼吸の仕方まで変わるみたいな。

荒川修作のことを荒川先生でもなく荒川さんでもなく、荒川修作としか呼べないと、
誰かがつぶやいていましたが、私もまったく同感です。
でもって、いつまでも色あせないのは、自分とともにあって、更新していくからなんだと思います。
この先もずっと、荒川修作は色あせないから、死なないんだと思うし、
彼のありよう、他人にむかっての一生懸命さがまるでこどもみたいなんで、
死なない子供なんだろうと納得しました。
荒川修作がこの世から《消えた》のは淋しいけれど、
私にとってはそれは《あのひと》と同じなので、まったく関係がないなあと思います。
結論、ひとは死なないし死ねないんだよ。


注意)荒川修作は外国暮らしが長いのと彼のくせなのか、少し日本語が聞き取りにくいです^^

でもね、観れたひとはみな、貴重な体験になりますよ。お約束します。


さしあたって4月2日から、渋谷アップルリンクで公開!
4月16日からは「マジでガチなボランティア」も同劇場で公開、よろしくです!!




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