(既出:2008-03-30)
「おとなのひとに
言ってほしかった24のこと」
2008-03-30
★著者:ヨゼフ・パイオン
★出版元:祥伝社
★価格:952円+税
■ちょこっとまた胸に痛い本です。
でも内容を読んでいると目からウロコの想いです。
なんだかすっかり大人の自分が読んでみてもしかたないと
思いませんか?
でもこれは「大人」という枠の中に
自分を閉じ込めてしまったにんげんたちの
反省すべきことがらです。
さてどんなものでしょうか???
「ゼロからスタートしてはいけない」
といってほしかったです。
わたしのおしりがまだ青かったころは、何かをやって息詰まったときには
「また、ゼロからスタートすればよい」と考えていました。
しかし、ゼロからのスタートというのは甘い考えで間違っていました。
ゼロからではなくマイナスからスタートすべきなのでした。
ゼロ以下のマイナス地点に自分の身を引くことで、心にも余裕ができ、
準備ができ、自分のいる位置がよく見えるようになり、ものごとの
判断が容易になるのでした。素直になり人の話も謙虚に聞くことができ、
ものごとも客観的に見ることができて、他人のことを思い遣る心までが
培われて、自分を見失うことはなかったと思います。
マイナスの思考をプラス思考で実行することが大切なのでした。
「いま見ているものは見えているとおりではない」
といってほしかったです。
わたしのおしりがまだ青かったころ、自分がいま目で見ているものは
見えているとおりの世界だと思っていました。
しかし、見えているものが見えているとおりであったためしはありま
せんでした。自分が見ているものは、ほんの外側の一部分にすぎなかった
のでした。
大切なことは、その裏側の見えないところにいつも潜んでいるのでした。
世間に流れている新聞やテレビの情報でさえ、そのとおりであるのかを
見抜くためには、見えている表面だけで判断せずに、自分で調べて考えて、
見えない部分に想像をめぐらして判断しなくてはいけなかったのです。
「何をしていいのか分からないといってはいけない」
といってほしかったです。
わたしのおしりがまだ青かったころ、自分はなにをしていのか分からず、
迷ってばかりいました。
ひとに「こうすればいい」といってもらいたかったのです。
しかし、自分で自分のことが分からないのに、ほかのひとに自分のことが
分かるはずはなかったのです。自分のことは自分で判断すべきことだった
のです。たとえだれかが自分に何かをいってくれたとしても、言った人が
後々まで責任を持ってくれるわけではないのです。
よい結果がでても悪い結果がでても何かをするということの責任はすべて
自分にあるのでした。分からないというのは、自分で責任を持ちたくない
言い訳にすぎなかったのです。
分からないからこそ学ぶ、ということが大切なのでした。
■どうでしょう、
言ってほしかったことと言われましたが、
私はどう考えても
「言うべきことばをもっている大人」とは
とても自分のことを思えません。
ここに書かれている言葉を読んで、
「わ、すみませんーー」と
謝りたくなりました(笑)
ちいさきひとへの哲学の書、であると同時に
大人への「甘えを断ち切る書」でもあるような。
もっともっと読みたくなって、
依存心丸出しであることを
大いに恥じる私なのでした・・・(爆)
「おとなのひとに
言ってほしかった24のこと」
2008-03-30
★著者:ヨゼフ・パイオン
★出版元:祥伝社
★価格:952円+税
■ちょこっとまた胸に痛い本です。
でも内容を読んでいると目からウロコの想いです。
なんだかすっかり大人の自分が読んでみてもしかたないと
思いませんか?
でもこれは「大人」という枠の中に
自分を閉じ込めてしまったにんげんたちの
反省すべきことがらです。
さてどんなものでしょうか???
「ゼロからスタートしてはいけない」
といってほしかったです。
わたしのおしりがまだ青かったころは、何かをやって息詰まったときには
「また、ゼロからスタートすればよい」と考えていました。
しかし、ゼロからのスタートというのは甘い考えで間違っていました。
ゼロからではなくマイナスからスタートすべきなのでした。
ゼロ以下のマイナス地点に自分の身を引くことで、心にも余裕ができ、
準備ができ、自分のいる位置がよく見えるようになり、ものごとの
判断が容易になるのでした。素直になり人の話も謙虚に聞くことができ、
ものごとも客観的に見ることができて、他人のことを思い遣る心までが
培われて、自分を見失うことはなかったと思います。
マイナスの思考をプラス思考で実行することが大切なのでした。
「いま見ているものは見えているとおりではない」
といってほしかったです。
わたしのおしりがまだ青かったころ、自分がいま目で見ているものは
見えているとおりの世界だと思っていました。
しかし、見えているものが見えているとおりであったためしはありま
せんでした。自分が見ているものは、ほんの外側の一部分にすぎなかった
のでした。
大切なことは、その裏側の見えないところにいつも潜んでいるのでした。
世間に流れている新聞やテレビの情報でさえ、そのとおりであるのかを
見抜くためには、見えている表面だけで判断せずに、自分で調べて考えて、
見えない部分に想像をめぐらして判断しなくてはいけなかったのです。
「何をしていいのか分からないといってはいけない」
といってほしかったです。
わたしのおしりがまだ青かったころ、自分はなにをしていのか分からず、
迷ってばかりいました。
ひとに「こうすればいい」といってもらいたかったのです。
しかし、自分で自分のことが分からないのに、ほかのひとに自分のことが
分かるはずはなかったのです。自分のことは自分で判断すべきことだった
のです。たとえだれかが自分に何かをいってくれたとしても、言った人が
後々まで責任を持ってくれるわけではないのです。
よい結果がでても悪い結果がでても何かをするということの責任はすべて
自分にあるのでした。分からないというのは、自分で責任を持ちたくない
言い訳にすぎなかったのです。
分からないからこそ学ぶ、ということが大切なのでした。
■どうでしょう、
言ってほしかったことと言われましたが、
私はどう考えても
「言うべきことばをもっている大人」とは
とても自分のことを思えません。
ここに書かれている言葉を読んで、
「わ、すみませんーー」と
謝りたくなりました(笑)
ちいさきひとへの哲学の書、であると同時に
大人への「甘えを断ち切る書」でもあるような。
もっともっと読みたくなって、
依存心丸出しであることを
大いに恥じる私なのでした・・・(爆)
年齢的にはとっくに大人になってしまった私ですけど、
社会的にも人間的にも、「大人」にはまだまだ程遠いなあと思います。
ここに挙げられてる言葉、身に沁みます~。
「マイナスからのスタート」や「いま見えているもの」のお話を読むと、
自分の視野を広く持つことを心がけないと!と思いますね。
素敵な本のご紹介、ありがとうございました!
うららさんはいつも優しくて、ものごとがきちんと
見えていて、甘えもなくて、
とてもすてきな女性ですよ。
だけどうららさんは否定するでしょうね。
そう、それぞれが自分のものさしをもっているから、
私のものさしではかったら完全と見えても、
うららさん本人からすれば、満足のいく地点では
ないのかもしれません。
反省したら、ゼロじゃなくてマイナスから自分が
スタートするんだという、
心構えが大切なんですね。
いたたたた・・と想う本でした(爆)
そのとおりだと思います。大人になってわかりました
そのとおりと叫びたくなる本ですね。
ぜひこの本読んでみます。有難うございます^^
たまにかけ出しの人から相談を受ける時があります。
少しでも失敗しない早道を教えるが信じようとしません。私もそうだった。だからあなたには失敗してほしくない。と真心で言うのですが・・・先輩は失敗させわからせるべきだ と言う人もいます。
現実だけを言うのは冷たい気もしますがその現実があるから 現実が頑張るから夢が存在するんだといつも
言ってはいるんですが^^:
大人が言ってほしかったこと?その時わかるかな?言っても自分が大人になって初めてわかるものもありますから・・人件費宣伝費用考えずに映画の監督になりたいです^^死体を見たこともないのに従軍記者になりたいです^^費用長い年月の努力考えず医者になりたいです^^など少しでも早道を言ってあげるが・・
彼らに進められる本だったらいいなと思います。いや私が学べる本に・・^^
この本のなかには24の上のようなお話が
つまっているのですが、
いずれも耳に痛いことばかりです。
そうそう、自分が年長になると、どうしても駆け出しの人には、
余計な苦労をかけさせたくないと想ってしまいますよね。
なかなか、口出ししないでいることは難しいです。
わかってるんだったら教えてくれても良かったのに・・
これに堪えられる精神力、獲得できないです。
せめてこういう本に書いてあったけど、と、言うしかないですかね。
アオイさんもお優しいから、言ってさしあげて、からまわりになることばかり?
せめてアオイさんが傷つかないよう、お祈りします!