Lに捧げるちいさな図書館

≪ L ≫至上主義の図書館へようこそ。司書は趣味嗜好のまま、気の向くまま、あちこちへと流浪しますゆえー♪

村上隆の《ノルウェイの森》絶賛! 『その文法(グラマー)を理解しろ』

2010-12-26 | 松山ケンイチ

まろうさぎさんからポップアーティストである村上隆さんによる『ノルウェイの森』賛美
(ツイッターまとめ)が届きました。
引用していらっしゃる映画をいずれも観ていないのでちょっと反省しておりますが、
みなさまには直球で届くかと。ご堪能くださいませ。ちょっと早いお年玉ですよ^^
まろうさぎさん、いつもありがとうございます。
とても重要で素晴らしいものですが、禁帯出にはいたしません^^


村上隆の《ノルウェイの森》絶賛! 
    『その文法(グラマー)を理解しろ』

樹さん

私はこの映画がとても好きで、以前コメントしたように、私の理解とは違っても、
トラン監督の解釈した「ノルウェイの森」として、とてもよくできていると思うし、
どんなふうに映像が示すものを読みとるかを、みんなで話し合いたい映画なのです。
そんなふうに思っていたら、ポップアーティストの村上隆さんが、ツィッターで、
「ノルウェイの森」を激烈評価してくださって、そのまとめをしたサイトがあったので、お送りします!
樹さんにもぜひ読んでいただきたいです!
私が言いたかったことを、ほぼおっしゃって下さっていて、とっても感激しました。
(永沢さんとハツミさんとのシーンを空々しいとは私は感じないですが。私は「Dolls」も大好きで、
その比較や、本歌取りの説明も、納得しました)

今日・明日ととても冷えるようです。年末の大掃除などやることがたくさんありますから、
体調を崩さないようお互いに気をつけましょうね!


まろうさぎ

****************************************

http://togetter.com/li/81298(村上隆さんのツィッターまとめ)


「ノルウェイの森」の映画、は、ハッキリ言って最高だった。もう脳みそがちょちょぎれた!
例えていうなら、、、って、俺の個人体験だから比喩にもならんが、生まれて始めて現代美術観て感動したけど、
その意味、理由、全然わからん。だから勉強し始めなきゃという感じ。なんの勉強か?って??
映画の文法「グラマー」をしっかり勉強せねばならないと言う事。
そして、もひとつ。村上春樹の文法。これもしっかり分からないと何がなんだか分からなくなると思う。
「ノルウェイの森」は村上春樹ワールドの代表的な作品だけれども、
こっちの世界、向こうの世界、の構造が融和した世界観をどのように感じ、解釈可能か、という
作者からのチェスゲームのような作品だ。
そのゲームの応酬のライヴを見せてくれるのが、映画「ノルウェイの森」だ。
ベトナム系フランス人監督トラン・アン・ユンの映画の文法を利用して、
村上春樹の世界へダイヴして行こうと言う試みの1つ1つがもう、死ぬ程スリリング!
菊地凛子演じる直子が、松山ケンイチ=主人公ワタナベの前に再降臨するあたりから、
その原作との応酬がはじまって、まさに息もつかせない。
2人が散歩するシーンで、直子がもの凄い速度で歩き、ワタナベが追いつけないシーン、
つまり幽霊体のような直子が口割け女の逸話よろしく、車を追い越して走るエピソードばりに、
ズームとカメラワークで車を追い越す。
モブシーン学生紛争をあれだけリアルに表現した後に来る、直子の部屋のアールヌーボー調だが貧しい感じの
ランプのある鏡台(だったかな?)へのカメラパン。そして雨。
直子のサナトリウムにワタナベが向かい、
2人で草原で秘められた過去を直子が独白するシーンのカメラパンのピストン運動=SEXの暗喩、、、
だが、直子は濡れなかった過去を激烈に告白。ワタナベは震え、直子は発狂。。。
そのショットで異界に突入してしまった事を表そうとする監督の意思の強靭さ。
あらゆるショットがコンテクストの積み重ねであり無駄を省いたまさに映画的アクロバット。
同じような世界観を構築したのが「インセプション」のクリスノーランだ。
しかし「インセプション」は小道具を大げさに配置する事で万人を騙くらかして
自身のイマジネーションへの旅へ誘おうとする。
その対局の表現方法をトラン・アン・ユンはまさにヨーロピアンな映画的な文法で切り抜けようとする。
「インセプション」は映画の教養が無くても理解出来るが
「ノルウェイの森」は映画のグラマーが理解出来ないと全く分からない、
ただの直子とワタナベの激情のほとばしり映画、としてしか理解出来なくなってしまう。
事実、多くのブログの感想がそこにしか終始していない。
水原希子 演じる緑の台詞は当時の学生運動風の「賛成の反対なのだ」的台詞回しは、かなり意図的な棒読み状態。
つまりこの世があの世よりアンチリアルになって行くそう言った設定を重ねて行く。
小じゃれた先輩永沢さんとその恋人ハツミさんとの掛け合いも、そらぞらしい。
しかしハツミさんの未来、カミソリで手首を切って自殺、、、が説明されて行くシーンの前段での食事シーンで
ハツミさんの浮気の話にメンチ切ってるシーン等、ハツミさんのあの世からの脱出を賭けた闘いのシーンにも見え、
演技、映画の構造、小説の構造、が融合して、得も言えぬ感動を導きだしている。
映画「ノルウェイの森」は本当に現在観れる最高のハイコンテクスト映画であり、
これは去年の「アバター」を超える映画の新しい挑戦の作品だ。
長く疲弊し、新たなコンテクストを表出出来なかった『映画』というメディアのリボーンの瞬間を
体験しないでどうする。
松山ケンイチ、菊池凛子の日本人の役者としての最高峰的な演技にも世界各国の映画賞は喝采を送る事は間違いない。
現代日本を解剖し作品化するにあたって、ベトナム系フランス人という立ち居地がどれだけ必要だったか。
その辺は日本の映画評は完全にスルーなのか?
絶賛してもその表現の核心までは貫通仕切れぬ最高の映画「ノルウェイの森」は、
映像に関わるクリエーターは全員観た方が良い。
いい足りない。全部のシーンが挑発的であり、計算をしており、熟成している。
ワタナベが冒頭でどこかの誰かと寝たシーンでのカメラパンの中で、
歪んだミラーに裸のワタナベがちらちら写り込むシーン等、奇跡じゃないのか!と思った。
つまり、『映画』という箱が「インセプション」しかり「ノルウェイの森」しかり、
全く違ったフェーズを観客のニーズと共に進化し始めて来たのだ。
つまり、現実から逃避したくてわずかな予算でトリップ(旅)が出来る事を望むオーディエンス側の期待が、
ゲーム的インタラクティヴなストーリーの消費を超えて、
自分自身へ深くダイヴする手続きの導線引きを求められている、と言う事かと思う。

それにしても「インセプション」と「ノルウェイの森」の映画的グラマーには恐ろしく似たモノがある。
海、波=自分自身への懐帰。雪=遠い世界、あちらの世界の暗喩。睡眠=死。
こうした文法が僕の知らない所で映画人達が標榜しているのかと思うとゾクッとする。
モノを造って表現し、他者とのコミットメントを求めようとする。しかも深いコミットメントを。
と思うと、勢いSEXとのワルツを踊らねばならぬ。
映画の本質の一つは「見せ物小屋」的なモノ。「アバター」はそこに忠実だった。
他の本質としては「現実逃避」の手引き、というのがある。
ゲームを体感しているオーディエンスは既にストーリーの多様性を刷り込まれているが故、
1方向性の物語には飽き足らなくなる。
しかし物語の消費の脳の隙間を探し当て、そのツボに鍼を侵入させる。
それがプロの仕業であり、トランとノーランはそのツボの発見のため、古くさい映画的文法を駆使しているのだ。
そこがまたたまらなく最高に泣けてくるのだ。まさに温故知新。
キャメロンもそうだが、私にとってはあまりにも宮崎駿過ぎて拒否反応が先立ってしまったのだ。

ああ、思い出すと脳のドーパミン汁、、、コンテクストを理解したいと望む汁が滴り落ちて来て止まらない。
ちなみに、「ノル森」みてて、ハッ!としたのは、北野武の「DOLLS」だ。
武も映画の文法を解析しそこへの自己突っ込みが止まらない作品を多発させているが、
「DOLLS」も或る意味、「ノル森」的な文脈解析を映画と文楽のダブルバインドで行おうとした
スーパーハイコンテクストな作品だった。
ただ、「DOLLS」の惜しむらくは、照明、キャメラの設計が未熟であった事。
「ノル森」のキャメラ、照明、衣装、美術らが見せる、目眩が起きそうな程のコンテクストのダイアモンドダストを
音楽がきっちり焦点を絞らせてくれる。

34000人いる、俺のフォロワーの皆さんに呼びかけよう!
「ノルウェイの森」は映画の未来をたぐり寄せた最高傑作にしてクラシックである!
故に、見逃す手は無い!と。
「ノル森」ラスト近くに流れる不安をかき立てるヴィオラの音は若干ご愛嬌、、、ぐらいが
ネガなチャームポイントだが、
ラストシーンの、異界へのぱっくり開けた芸術への扉は、人生で一度ぐらいは体験してもいいはずだぜ。

あああ、久々に万言を尽くしても言い切れぬ映画を観てしまった。
僕はもう映画を撮るしか行き場が無くなって来た。
大竹伸朗の個展で覚醒し、MOMAでアンセルムキーファーの個展を観て現代美術作家になったように、
「インセプション」でグラマーを理解し始め、「ノル森」で背中を押されてしまった。
映画芸術は今、やっとゴダールの夢見た環境が整ったともいえる。

ちなみに、現代美術の世界では「本歌取り」という手法がある。
つまり泰西名画をベースにしてそこを起点に自分の表現を広げて行くと言う手法。
映画「ノル森」は村上春樹原作の「本歌取り」を行っているのであって、
原作を忠実に、は行う気はさらさらないと思う。雪のシーンなど、イマジネーションの飛翔以外、なにものでもない。
「ノル森」の感想、書ききった。2時間も費やしてしまった。仕事しよ。

(以下、RTに答えて…)
全てはSEXのメタファーによって、異界への出入り口を示唆し続けている。ココが肝です。

ストーリーの説明にしか目が行かない低能な映画評論家達。無視した方が懸命です。

映画が始まった瞬間に「泣く」はずです。表現者であるならば!!

異界と自分自身の立ち居地を掌握しようとする主人公の立脚点が素晴らしい。

つまり、これはゲームなのです。ゲームを持ち帰って反芻するつもりがあるか無いか。


キヅキ君とはあそこが濡れなかった=異界。1度だけ濡れた=この世への降臨。
それから1度も濡れないの=異界へ戻ってしまった。
、、、これ、間違ってそうだなぁ〜。こういう解釈をああだこうだ言い合える作品なんです。
ああ、映画って楽しいなぁ〜って、大学時代に戻った感じだ!
                           
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


まろうさぎさん、いつもありがとうございます。
看過できないレビューというか、絶賛映画評でありますが、
ほぼおっしゃりたいことを言ってくださっているとあって、
今更ながらにその知性にびびっております(汗)

まだ1回しか観ていなくて、印象を語ることはできても、
細部を語れば馬脚をあらわしてしまいます。
しかし、これほど熱烈に語られると、
じっくり、自分の第六感まで駆使して味わっておかないと、
もったいない作品なのだなあと反省しました(爆)
村上春樹さん原作は生の猥雑さにも満ちていて、
立ち位置がしっかりとこちら側にあると思うのですが、
映画はトラン監督によって、アプローチがまったく違うものに
なっていましたね。
原作にあるあのシーンがなかったとか、
原作のあれが映画ではこう改変されていたとか、よく聞きますが、
まったく別物として味わうほうが、
それぞれの世界を堪能できるのでしょう。
お互いがお互いを縛らない、というのか。
まろうさぎさんとあの場面がどうだったこうだったと語るには、
私はどうやらDVDで何度も観る必要がありそうだなと思いつつ、
次に劇場に足を運べそうな日を探しています。
まろうさぎさん、とても感慨深い『まとめ』をありがとうございました。


昔、9800円も出して大竹伸朗の作品集を買ったので、
おまけに実験的なCDも持っているので、
名前が出てきてびっくりしました←そこかいっ。



コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« やっぱりスゴイ日本映画!《G... | トップ | 小塚崇彦、男子史上初の父子... »

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
まろうさぎさんへ ()
2010-12-28 00:42:55
こんばんは。
このたびも、ありがとうございました^^
すみません、
ちょっと記事がどうなっているのかわからなくて、
失礼しました。

私はやはり、事前の雑誌情報が頭に入りすぎていたのか、
観るべきポイントを自分で規定してしまっていたような気がします。
120メートルレールとか、
ワタナベが直子に取り残されていくような感覚とか、
風景がどんな風に語るのか、とか。

まろうさぎさんがどれほどのことが起きているか、
レクチャーしてほしいくらいです。
だけど、それってひとが映画を観る楽しみかたとしては
正しくないかもしれませんね。
来月、早いうちにまた観に行きたいです。

ありがとうございました。
返信する
Bellaさんへ ()
2010-12-28 00:36:57
こんばんは。

私は今年観た映画のなかで一番衝撃を受けて、
絶賛したのが「空気人形」。
これは去年の作品だったと思いますが、
この作品はもう言葉を尽くしても語りきれないものでした。
「ノルウェイの森」はまだちゃんと言葉にならないです、
それこそ、Bellaさんが言われるように感じ取るということしかできなくて。
村上さんの熱烈ぶりを自分でも次に見るときには確かめてみたくなりました。

まろうさぎさんが一足先にテキストたるまとめを送ってくださって、
よかったですね。
返信する
失礼しました (Bella)
2010-12-27 12:30:03
まろうさぎさんにお礼を言ってませんでした!
遅くなりましたが、ありがとうございました。
返信する
Unknown (まろうさぎ)
2010-12-27 06:42:41
村上さんの感動に共振して、とにかくお伝えしなければ!と思いました。

あ、お時間がある時に、ひとつ訂正をお願いします。
最後の「キヅキ君~」の部分も村上さんのツイートです。書き方があいまいですみません。
いろいろRTに答えたことにご自身が触発されて、またツイートした、ということです。

村上さんも指摘されている、鏡にゆがんで映るワタナベのシーンは、最後のレイコさんの鏡ごしのシーンと合わせて印象的でした。
美しくも退廃的で、ワタナベの虚無も表現し、しかも、女性は西洋の裸婦像のような曲線美。まさに映画ならではの表現だなぁと唸りました。(レイコさんのポーズも印象派あたりにありそうだなぁと考えています。)

ひとつひとつのシーン(画面)にどれだけの情報があふれているのか、どれだけの解釈ができるのかは人それぞれでしょうが、この映画では、すごいことが起きていて、できるだけ多くを受け取りたいという、村上さんの気持ちと私の気持ちは全く同じなのです。
そのためには、多くの人に見てほしいし、語りあいたい。自分の気付いていない部分を知りたくて仕方ありません。
逆に、画面から表面的な言葉(ストーリー)しか受け取れず、「だから、この映画はダメ」と言ってる人には、「何を言ってるんだ、どこを見ているんだ」と歯がゆい気持ちになるのです。
(原作未読者には不親切すぎる、という批判は認めざるを得ませんが)

「わからないから、ダメな映画」なのではなく、「わからないから、面白い映画」だと私は思います。
返信する
これでいいのだ (Bella)
2010-12-26 23:38:31
樹さん、こんばんは。

私は映画を見たあと胃が痛くなったんです。
「あ、多分これは私感動してるな」と気付きました。
涙が出るような感動じゃなく、心の奥にズシンと重く響く感覚です。
そういう時は必ず胃が痛いのです。
で、大雑把なくせに理屈っぽいので、この痛みの理由をはっきりせねば!と、
あれやこれや考えて、ついつい原作と比べて印をつけるようなことをしてました。
でも、間違い探しじゃないんだから、それで答えが出るわけもないですね。

村上さんの言われる文法は、知性が足りなくて理解できてませんが、
映画を見て言葉にできなくても、深く何かを感じたなら、それでいいのかなと思いました。

私事ですが、この夏はたくさんの現代アートを鑑賞する機会があり、
心のコリがほぐれるような感覚を味わいました。

「ノルウェイの森」も私にとっては、その感覚を呼び戻す作品だったようです。
まさに「考えるな、感じろ」ですね。
この感動はそのまま、あれこれ考えないままにしておきます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。