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ラムズ・スタディ

聖書の神様のこと、みんなで学び、同じ目標を確認できたらホントすばらしい。

自己超越願望

2006-09-16 22:33:44 | メッセージ
エイブラハム・ハロルド・マズローという心理学者による「マズローの欲求レベル」については、多くの人が一度はどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか?

簡単に説明すると、こんな感じです。
マズローは、人間の欲求には、基本的なものからはじまって、次の6つのレベルがあると説きました。

1.「生理的欲求」食欲。排泄。性欲。睡眠。
2.「安全欲求」安全な暮らし。安全な環境。
3.「愛と所属の欲求」愛し愛される。家族。
4.「社会承認欲求」職業。社会で認められる。
5.「自己実現欲求」自分らしい人生。
6.「自己超越願望」他者を豊かにする。

レベル1から始まって、1つ1つの欲求をおおよそ達成してゆきながら、次の段階へと進んでゆきます。そして最後には、自分という枠をこえて、他者を豊かにする方向へと昇華してゆくのです。自分だけが助かりたい、自分だけが得をしたい、という意識から、自分だけでなく、自分の生き方が、他者を癒す生き方になるということを願うようになるのです。

 日本人はとかく勤勉な国民と評されています。たしかに経済的にはアメリカに追いつき、GNPを成長させてきました。そのような意味では、国レベルの「生理的欲求」「安全欲求」「愛と所属の欲求」「社会承認欲求」は多少なりとも満たされて来たと言えるかもしれません。

 個人レベルで見た場合、多くの男性は40歳過ぎあたりで、だいたい社会承認欲求までを満たすに至るのではないかと思われます。借家にしろ、マイホームにしろ、家庭を持ち、手に職をもち、それなりの役職についているかもしれません(もちろんそうでない人もたくさんいらっしゃると思います)。女性についても、同様です。仕事をされる方、家事や子育てで社会貢献を十分に果たされている方がいらっしゃいます。

・・・・が、問題はその後です。
 次の「自己実現欲求」自分らしく、豊かに生かされてゆく、という段階へ進むことができるか?
果たして「自己超越願望」に進むことができるか?私たちの人生が、他者を豊かにするものへと昇華しているか?

一方では、いつまでも「社会承認欲求」に留まり続け、社会的評価や金銭ばかりを追い続けてゆくこともできます。確かに仕事上のスキルを高め、仕事の範囲を広げてゆくことは大切です。しかし同時に、自分らしく自分を豊かに生きる、そして他者をも豊かにさせていただきながら生きる、ということもとても重要なことだと思います。

キリスト者の生き方は、この「自己実現欲求」自分らしく生きる生き方と、「自己超越願望」他者を豊かにする生き方とに通じるところがあります。

「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:29、30)。

くびきとは、二頭の牛が共に仕事を負い合うために作られた横木のことです。「くびきが負いやすい」とは、横木が身体にフィットしているということです。私たちは、イエス様と共に働くために自分たちの性格や能力に合った、自分らしい務めが与えられているということです。その務めの目的は、自分の命を用いて、他者を豊かにすることです。
もし私たちが、自分の能力や性格にあった自分らしい生き方で、他者を豊かにするため、自分の命を用いてゆくならば、私たちの魂に休みが与えられます。つまり、真の充足感が与えられるということのようです。

大阪  藤田昌孝
(No.516,6,9,16.大阪センター教会牧師室便りより)

 

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