エデンの園でエバはヘビ(サタン)の誘惑にあった。「死」について彼女はヘビから疑問を投げかれられた。エバは「その実を食べると死んでしまう!?」と答えた。しかし、ヘビは「この木の実を食べると決して死ぬことはない!そして、・・・神のようになれる・・・」と巧みにだました。その結果、エバは誘惑に負けて、その実を食べてしまい。すべての人間は死ななくてはならない存在となった。(ローマ6:23)
死についての問題というのは、人間が創造された初めの時から、サタンが神様から人を離れさせようするときに誘惑するために使う手段だったのです。(各時代の大争闘 下巻 P277)
わたしたちSDAクリスチャンは、死と死後の中間状態と復活の時にどのような事が起こるかについては、他のクリスチャン達とは理解が異なるところがいくつかあります。(信仰の大要 第25、 死と復活)
たとえば、「死んだら、すぐに天国に行くか地獄に行くかのどちらかに分けられる」、これらの考え方も惑わされています。
聖書のどこにも、まったくそのようには書かれてありません。(でも例外で天国にすでにいる人達がいます。エノクとエリヤとモーセ、この3人だけのようですが・・・)
そして、死んだ人の体は「土に返り、霊は神のもとへ帰る」、(コヘレト12:7)と書かれていますが、「霊は神のもと」に帰るからといって霊だけが死んだあと自由に活動できるということではありません。
真のクリスチャンは霊魂不滅説を信じません。霊も体も全く活動停止の状態になるのです。(コヘレト9:5~6)だから、死んだ人の霊と会話することは、全くありえません。しかし、それらはサタンが人々をだましてやっているだけのことです。
最近、スピリチュアルカウンセリング等が普通にテレビや雑誌などで取り上げられていますが、死んだ人を通して、或いは前世が・・・などということで、病などが奇跡的に癒されたり、将来に希望がもてたりして、すごく魅力的な解決方法のように見えるようです。しかし、聖書はそのような死んだものとの交信を硬く厳しく禁じています。(レビ記19:31)
ぼくらの救い主であるイエス様は、人の死を「眠っている」状態であると、はっきりと言われました。(ヨハネ11:11~14)そして、神様だけが、死んで眠っている状態の人間を生き返らせる、復活させることのできる力あるお方なのです。この復活はイエス様がもう一度この地上においでになるときに起こるのです。救われて死んだ多くの人々が、もう一度、新しい体を与えられて蘇るのです。そして、それから、永遠にイエス様と共に生きることができるのです。(テサⅠ4:13~16節)
この世での虚しいスピリチュアリズムの霊魂不滅説に頼って、一時の満足感を得ることよりも、イエス様が私たち一人一人に、いつの日か、すばらしい永遠の命を与えてくださる。そのような復活信仰をしっかり持つことができれば、つらい現実の世界においても、ひるむことなく、星のように輝くことができるのです。(ピリピ2:15)
また聖書は、二度目の死についてのことが書かれています。これは永遠の死を意味します。もう一度眠っている状態に戻るのではなく、永遠に滅ぼされるということです。(黙示録20章)イエスの救いを受け入れない人々は二度目の死の直前に復活して、天から火で滅ぼされて、第二の死を迎えるというのです。一度目の死はだれも避けられないのですが、二度目の死は絶対に避けなくてはいけないのです。そして、ぼくらがイエス様を信じて、生きることを選ぶことによって、それは避けることができるのです。
最後に、この世界の終わりがだんだん近づいています。みんなもそのように感じませんか?サタンはこの世が終わることを気づかせないように霊魂不滅というような巧みな説などで多くの人々をだまして、この世には終わりはないと安心させようとします。しかし、それが、まったくの間違いとして気づいたときには、もうすでに遅く、大変惨めな生活を強いられるということにもなりかねません。
ですから、SDAクリスチャンは自分自身が2度目の死から免れ、救われることを喜ぶと同時に、世の中の多くの人が「死」について、だまされていることを気づかせて、死から復活なさったイエス様のすばらしさを聖書的に正しく伝えること、そして、イエス様を迎えるための準備をするようにと注意を促し、人々を整えさせることを神様から託されている集まりなのです。その託されたタラントをぜひ、多くの人のために使って、天国で神様から「忠実なしもべよ、よくやった」と言われたいですね!
フィリッピン 森田栄作牧師