イエスさまに最も愛された弟子といわれているヨハネはイエスさまのことを「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」(ヨハネの黙示録1:4,8)と表現しました。
ヨハネにとって過去のイエスさまとは、寝食を共にした3年半が挙げられます。イエスさまの素晴らしい奇跡を目の当たりにし、いつもイエスさまのメッセージを間近で聞き、それは素晴らしい3年半だったことでしょう。
ヨハネにとって将来のイエスさまとは、ヨハネ自身が書いた福音書で何回も言及しているようにやがて再臨なさるイエスさまです。イエスさまと再会できる希望があります。
ヨハネにとって現在のイエスさまとはどのようなものだったのでしょうか。
ヨハネの黙示録を書いている今、ヨハネはイエスさまを信じているために迫害に遭い、島に流されていました。かつて仲間であった弟子たちはそれぞれ迫害に遭い、既に殉教している。弟子の中でたった一人生き残っている自分は島流し。
普通の感覚でいうならば、ヨハネの現在は、過去・将来と比べて最も辛く孤独なときといえるかもしれません。
「イエスさまに献身してきたのになぜ今このような生活なのだ?」とつぶやき、イエスさまの存在を疑ってもいいかもしれません。
けれどもヨハネは、イエスさまのことを「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」と言いました。歴史は過去、現在、将来と進んでいきます。ヨハネはまず最初に「今おられ」と言いました。人生の中で最も辛く孤独なときにもイエスさまはおられる、と告白したのです。ここにヨハネの信仰をみる思いがします。
読者の皆さん、今までどのような信仰の旅路を歩んで来られたでしょうか。
そして今どのような信仰の状態でしょうか。
「バプテスマを受けた頃の熱い思いが段々と薄らいできてしまった」
「日々の忙しさの中で何か大切なものを忘れかけてしまっているように感じる」「今とても苦しく、この苦しみを分かち合う友もいない」という人もおられるかもしれません。
ヨハネが告白したように「今」イエスさまが共におられるということをいつも覚えていたいと思います。そして私たちの信仰の旅路、現在も過去も将来もイエスさまが共にいてくださることを喜び希望をもって歩んでいきましょう。
柴田俊生
天沼(東京)、釧路(北海道)、三育学院(千葉)、ロマリンダ日本人(米国)の各教会を経て、2006年春から教団青年部担当部長・東京中央教会協力牧師。全国行く先々において献身的で素晴らしい青年たちに出会い、教会の現在、将来は明るいと感じている今日この頃です。