今週の『聖書研究ガイド』(教課)の学びは、「堕落」でした。罪を犯した人間がこうむる罪の結果についての学びでした。
罪を犯して永遠の命に死んだ私たちは、本来なら当たり前のように出来ていたことが出来なくなりました。
神の国の原則が当たり前ではなくなったのです。罪を犯す前、アダムとエバは当たり前のように神の国の原則を行っていました。「神様を愛し、互いに愛し合う」という神の国の原則を行うことは、彼らにとって、何よりの喜びでした。それは彼らにとってごく自然なこと、当たり前のことでした。わざわざ文字の律法に表す必要もありませんでした。
ところが、彼らが罪を犯した瞬間、彼らの永遠の命は死にます。体はまだ生きていましたが、神様の心に死んでしまいました。その日より彼らは神の国の原則を自然に行う力を失ってゆきます。彼らは、神の国の原則をあらためて教えられなければならなくなりました。放っておけば、神様から離れてゆくのです。
罪の結果、私たちが招いた第一の損失は、神様に関する無知でした。神様のご性質を正しく理解することができなくなります。神様の愛が分からなくなります。神様が近づくと、彼らは神様を恐れて身を隠すのです。
やがて人類は神様ご自身さえ見失ってゆきます。
それまで神様のご性質を雄弁に語っていた自然界の美しさや巧みさは、やがて彼らによって礼拝の対象となってゆきます。神様によって作られたものを神として拝むのです。
それまで神様を知るために与えられていた人間の知性や力は、やがて彼らの礼拝の対象になってゆきます。知性や力をあらわすお金や名声を自分たちの神とします。
やがて人間は自分自身さえ神とするようになるのです。
そのため、神様は十戒(文字に表された神の国の原則)の初めにそのことを明記しておかなければなりませんでした。
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト20:3)。
1992年5月3日に開かれた「モントリオール地球環境国際会議」の席上でインド代表の老爺が語った「チプコ!」というメッセージを思い出しました。
私たちはチプコと呼ばれている
チプコはインド語で“抱きつく”という意味
私たちは木が切られないように木に抱きつく
木と共に切られてすでに200人が死んだ
今、あなたがたの国からたくさんの人が来て、たくさんの木を切り、
たくさんのダムを作ろうとしている
ダムができると森が沈み、私たちは生きていけない
このようなことが行われないために、
私達10万人のチプコは水に沈む覚悟をした
よく聞いて欲しい
私たちは決して貧しくない、私たちは豊かだ
私たちは何も欲しくない、ダムも電気もお金も
あなた方の宗教は経済
あなたがたの神はお金
あなたがたの儀式は開発
あなたがたの生けにえは地球
あなたがたの神からの贈物は飢えと公害と戦争
開発は自然を殺し、一時の富をもたらすが
永遠の生活と幸せを失う
私たちは開発ではなく、幸せを求めている
小さな土地と小さな水、そして小さな食べ物で十分なのだ
幸せはお城の中ではなく、自然の中にある
悩みは欲の中にあり、幸せとは欲から解放されること
あなた方はどうして、その当たり前のことを
忘れてしまったのか
あなた方はどこに行くのか。
Yes To life! No To death!
大阪 藤田昌孝
(No.625,08,10,18.大阪センター教会牧師室便りより)