みなさま
5月31日は世界禁煙ディです。札幌では毎年、北海道の嫌煙団体が集り、世界禁煙ディに最も近い土曜日に街の中をパレードします。今年は、ちょうど禁煙ディにあたります。禁煙嫌煙運動が健康改革と言うよりも社会運動の要素が強くなったのは30年くらい前でしょうか。そのころには飛行機や列車だけでなくタクシーまで禁煙になる時代が来るとは思いませんでした。
そこに至るまで、わたしたちの教会が大きく関わったことは事実ですが、市民からの声で変革が始まり、ここまで大きく成長した数少ない運動の一つではないでしょうか。
第9課 「イエスの愛の優しさ」 5月31日
暗唱聖句 「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」マタイ 9:36
今週の聖句:マタイ5:44~48、19:13、14、23:37、ルカ10:38~42、ヨハネ8:2~11、使徒言行録6:7
今週の研究:イエスは御自分の聴衆を知っておられました。彼らの必要と痛みを共感されました。その上、御自分と同じ者になるように、あるいは同じことをするようにとは要求されません。イエス御自身、40日間、断食しておられたにもかかわらず、わずか3日間、食べ物がなかった(全くなかったわけではない)人々の健康を心にかけておられるからです。
今週は、個人の生き方のうちに、またイスラエル民族の生き方のうちに表された、そのような愛に満ちた憐れみについて学びます。
日曜日:イエスのご品性は完全な義の美しさに輝いている。イエスは、罪を軽く見たり、不義の意識を弱めたりはされないが、罪に定めようとしないで、救おうとされる。
世の人たちは、過失を犯しているこの女を軽蔑し嘲笑することしかしなかった。だがイエスは、慰めと望みのことばを語られる。罪のないお方は、罪人の弱さを憐れみ、彼女に助けの手をさしのべられる。偽善的なパリサイ人は攻撃するが、イエスは、彼女に『お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように』と命じられる」(『各時代の希望』中巻249ページ)。
この物語を注意深く読むなら、イエスが悪意に満ちた者たちでさえ憐れんでおられることがわかります。この不運な女と同じくらい、彼らもキリストの招きに心を開いていたら、どれほどよかったことでしょう。
水曜日:真の意味において、キリストの生涯と死は、自分の敵を愛し、自分を虐待する者たちにすら善を行うというこの原則の現れであったと言うことができます。
たとえば、ペトロが切り落とした大祭司の手下の耳をいやされたイエスの行為はどうでしょうか(ルカ22:50、51)。あるいは、かたくなな弟子が罪から立ち返るさらなる機会を与えるために、ユダの裏切りを予見しておられたことを彼に啓示されたイエスの行為はどうでしょうか(マタ26:25)。
言うまでもなく、最大の模範は十字架につけられておられたとき父なる神にささげられた次の祈りでしょう。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)。多くの点において、それは受ける資格のない者たちに対する究極的な愛の模範です。自分たちが何をしているのか知らなかったとしても、彼らには言い訳の余地がありませんでした。
地上におられたとき、イエスはユダヤ人にもローマ人にも、御自分がだれであるかを、あるいは少なくとも御自分が刑罰を受けるに値することは何一つしていないことを知る十分な機会を与えておられました。それにもかかわらず、イエスは彼らに憐れみを示されました。
金曜日:救い主は人間の弱さを譴責されなかった。救い主は恐れることなく偽善や不信仰、不義を非難されたが、容赦ない非難の言葉を語るときにはその声に涙があった。
救い主は決して真理を無慈悲なものとせず、つねに人類に深い優しさを現された。すべての魂が救い主の目に尊かった。救い主は神の威厳を備えておられたが、へりくだって神の家族の一人ひとりに心からの同情と敬意を表された。救い主はすべての人のうちに、御自分の救霊の対象である魂をご覧になった」(『福音宣伝者』117ページ)。
今週の学びはイエス様の愛と優しさについてです。イエス様の愛情の深さ、そして互いを活かす判断などを見ていると、とても人間の業とは思えません。
たとえばドラマなどを見ていると、だれかの一言で人生が変わるような場面があったり、先生が心に響く言葉を語ったりします。けれども準備していない人間が、なかなかそのような言葉を語ることができません。ドラマは作り物だからこそできるわけです。脚本家のすばらしい言葉があるからこそなのです。
またわたしたちは不可抗力で何か痛みが与えられてもゆるすことができないでしょう。ましてや故意に殺そうとしている相手をゆるすなんて・・・。考えただけでも不可能なことです。
こどもたちの讃美歌に「だってイエスさまは、神さまだもの」という歌詞がありますが、これしか答えが見つかりません。
日曜日の研究の最後に書いてありますが、わたしたちはその愛を受け入れないとその愛の中で生きることができません。あなたが受け入れなければ、その福音に預かることができません。このすばらしい祝福を拒むことの無いようにしたいものです。そしてこれをまわりの人たちにもお伝えできればと願っています。
北海道 安河内 アキラ