みなさま
明日は今年のイースター(キリストの復活祭)です。イースターは毎年、春分の日を過ぎ、最初の満月を過ぎた、最初の日曜日と決まっています。例年は4月中旬が多いのですが、今年は最も早いパターンですね。
キリスト十字架、復活に心を向ける安息日にして行きたいと願っています。
また転任される牧師・教師のみなさまは、おそらく今週の安息日を最後に新任地へ異動されることと思います。ご無事で新しい任地でのお働きが開始されますようにお祈りしています。
第12課 「使命と宣教命令」 3月22日
暗唱聖句 「言われた。『次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け、3日目に死者の中から復活する」』」ルカ24:46
今週の聖句:マタイ25:31~46、マルコ16:14~20、ルカ24:36~53、ヨハネ3:14~19、ローマ5:6~10、第一コリント5:7、15:3、4、ガラテヤ1:4、ペトロ第一2:22~25
今週の研究:エレン・ホワイトは、私たちの使命の中心が信仰による義認を宣べ伝えることにあると考えていました。これは、救いが私たちの行いによってでなく、不相応な罪人に注がれる神の恵みによってのみ与えられるという大いなる知らせです。今週は、福音を大宣教命令との関係の中で、見つめます。
日曜日:「このようにキリストは、オリーブ山で、大いなるさばきの日の光景を、弟子たちに描写された。しかもこの決定は、一つの点にかかっていると、主は言われた。国民が主の前に集められる時、そこには二つの階級しかないのであって、彼らの永遠の運命は、貧しい者や悩める者を通して主のためにつくしたか、それともつくすことを怠ったかによってきまるのである。
その日には、キリストは、ご自分が人々のあがないのために生命をささげて彼らのためにつくされた大いなるみわざを彼らの前にお示しにならない。主は、人々が主のためになした忠実な働きをお示しになる」(『各時代の希望』下巻107ページ)。
火曜日:私たち自身、弟子として、自分たちが宣べ伝えるように求められている福音にしっかりと根ざしている必要があります。世は罪のゆえに、有罪宣告を受けています。しかし、イエスは御自身において、余すところなく、この有罪宣告を負ってくださいました。この驚くべき備えによって、イエスを信じる者はだれでも、罪のもたらした有罪宣告を受ける必要がなくなりました。それどころか、人は神の測りがたい恵みによって、いかにその過去が罪深いものであっても赦され、イエスによって義とされます。このメッセージは、私たちが世に宣べ伝え、教えるすべての事柄の中心になければなりません。
水曜日:ここに(ルカ24:26~53参照)、重要な原則が教えられています。確かに、経験や物理的啓示、奇跡なども、それなりの意味を持っていて、イエスに対する信仰を強める上で重要な役割を果たします。しかしながら、同時に、聖書は私たちのあらゆる信仰の基礎でなければなりません。奇跡を行うだけでなく、それをさらに効果的なものとするために、聖書を用いて、イエスは彼らの信仰を確認しておられます。イエスが聖書を用いられたのは、御自分の身に起こったすべてのことを確証するためであり、弟子たちに言われたすべてのことを補強するためでした。イエス御自身が聖書を用いて御自分のすべての御業を根拠づけられたのであれば、私たちはなおさらそうすべきです。
このキリストの言葉と行為は、教会の生き方と私たち弟子の働きにおける聖書の影響を弱めようとするあらゆる試みに対する強力な叱責です。
キリストの復活を信じないキリスト教は考えられません。正統的なキリスト教は、この教えをみな信じています。ここにこめられた神さまの愛、そしてこの尊い犠牲によって払われた代価によって与えられる福音がキリスト教の真髄といっても過言ではありません。
わたしたちの教会は、あまりイースターという日程には関心を払っていませんが、復活を聖書に書かれているとおりに信じています。そして他のキリスト教会も同じでしょう。
ところが「天地創造が一週間でなされた」とか、「キリストが雲に乗って再臨される」となると、多くの教会の見解が異なってしまいます。
わたしたちは聖書を理解するにあたり、解釈をしなければなりません。背景を理解し聖書記者が伝えたいこと、そして神さまのみこころの真意を汲み取らなければなりません。
けれども解釈にあたり、人間の頭で理解できるように、その内容を変容することは大変なまちがいを生み出します。その典型は、創造論と進化論を混同されたような、神さまが生命を創造されたけれど、その後の世界は何千年もかけて進化したという考えです。
聖書は「神さまは種類に従って創造された」(創世記1:25参照)と教えています。そのとおりに動物、植物は種類に従って存在しています。
すべて聖書のとおりだとしたら、そして超自然的な復活を信じるのなら、創造も再臨もそのまま信じるべきではないでしょうか。そして創造と再臨が、聖書の書かれているとおりだったら、再臨の後に再創造されて購いが完結するという希望も、わたしたちが願っているとおりになるのです。
北海道 安河内 アキラ