みなさま
オリンピックが始まり、テレビをつけるとオリンピックか高校野球という毎日ですね。ある先輩が、かつてのスポーツは「○○道」と言って、スポーツを通して人格を磨く場所だったはずなのに・・・・と嘆いていらっしゃいました。
その過程において、磨かれて行くのは、スポーツに限らず、わたしたちの歩みも同じではないでしょうか。優秀な選手の業を見ながら、わたしたちも自らを少しでも高めるために、できることを積み上げていかねばと考えさせられています。
第7課 「使徒ヨハネ」 8月16日
暗唱聖句「自分の子供たちが真理に歩んでいると聞くほど、うれしいことはありません」ヨハネの第三の手紙:4
今週の聖句:マタイ8:21、22、マルコ10:35~45、Iヨハネ、IIヨハネ、IIIヨハネ
今週の研究:ヨハネの3通の手紙の中に、愛によって生き方を変えられた人の本心を見ることができます。それはまた、次のような励ましに満ちた聖句で満ちています。「わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます」(Iヨハ2:1)。
今週は、初代キリスト教会の柱であったヨハネの生涯と働きについて、さらに詳しく学びます。
日曜日:イエスに従う人たちは心から、完全に献身する必要があります。すべてのものの主であるイエスは、すべてについて責任を負っておられます。
しかし、イエスは決して利己心から出た心を求められません。イエスは、私たちの参加している戦いがどのようなものであるかを知っておられます。もし私たちのうちに何らかの弱み、放棄されていない利己心があるなら、悪しき者はそれにつけこみ、それを利用して、私たちを滅ぼそうとします。だからこそ、私たちは完全に主に献身する必要があるのです。
ヨハネは完全に献身しました。彼は魚をとる漁師をやめて、天国のために人間をとる漁師になりました。これからは、全世界がヨハネの伝道地でした。
彼は必要としている人々に希望といやし、福音を伝えるのでした。彼は厳しい教訓を学ばねばなりませんでしたが、イエスに献身していたために、どれほど苦しくても、そこから教訓を学ぶことができました。
水曜日:永遠の命についてのこれらの約束が重要なのは、人間だけが永遠という概念について考察することができ、地上の短い生存と永遠の時間との計り知れない隔たりを理解することができるからです。しかも、この冷酷な隔たりの現実は私たちの人生、いつ何時、動脈瘤や酔っ払い運転などで閉じるかもしれないこの人生の一瞬一瞬において、私たちの上に重くのしかかっているのです。
死が終わりではないと知ることは素晴らしい希望です。死は単なる眠りで、一瞬の出来事です。目覚めた瞬間、私たちは永遠にイエスと共にいるのです。
木曜日:ヨハネには、イエスから学ぶべきことがたくさんありました。憐れみ深いイエスと交わっていながら、ヨハネは相変わらず自分のことしか考えず、他人に対して不寛容でした。
あるとき、ヨハネはイエスの名を使って悪霊を追い出している人を見て、やめさせています。その人が正式な弟子でなかったからです(マコ9:38)。イエスは優しく彼を諭されます。「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」(40節)。ヨハネはイエスのそばで品性の力を養いました。
ヨハネの手紙を読むと、随所に親切心と優しさ、同情心を読み取ることができます。福音書に記されているヨハネとは大きな違いです。何か目覚ましいことが起こったに違いありません。そうです。彼はイエスと交わり、その経験によって、生き方と品性が決定的に変わったのでした。
数週間前の暗唱聖句に、ヨハネ第一の手紙が用いられていました。そこでいくつか注解書を調べていたら「ヨハネ第一の手紙には晩年のヨハネが、すべてのクリスチャンに語りたいことが3項目書かれている」と教えられていました。
1)ヨハネ第一1:4 「あなたがたが喜びに満ちあふれるように」
2)ヨハネ第一2:1 「あなたかたが罪を犯さないように→弁護者キリストがいる」
3)ヨハネ第一5:13「永遠の命を受けていることを悟らせるため」
1)は、現在のわたしたちが、ほんとうの幸せをつかむための勧めです。それは罪が赦されることです。そのことにより、心から喜ぶことができます。
2)は、わたしたちの過去の問題です。律法は、わたしたちに罪が何かを示します。そして現在のわたしたちに正しい道を教えますが、それだけでなく過去の罪も指し示します。けれども今さら、どうしようもできません。
けれどもわたしたちには救い主キリストがおいでになります。過去の罪をすべてぬぐってくださいます。
3)は、未来への導きの約束です。これは計り知れない大きな祝福です。それが確実に与えられる約束をわたしたちが悟って、安心して今日の歩みができるように、神さまは道を開いてくださっているのです。
ヨハネは、わたしたちがこのようなまことの喜びを、すべての人がつかむことのできるように願っています。
北海道 安河内 アキラ