みなさま
プロ野球の日本シリーズが西武ライオンズの優勝で終了しました。このシリーズが始まる前は、戦力などが優位な巨人が優勢と言われていました。それだけでなく西武はシリーズ途中で捕手と遊撃手が負傷し・・・・そのような中で、渡辺監督の果敢な采配が光りました。彼は優勝インタビューの中で「後悔をしたくなかった」と述べたのが印象的でした。
最初から不利、そして途中から起こる問題を前に途方に暮れてしまうことがあります。けれどもその中で最善を尽くして前へ進むこと、与えられた駒やチャンスを最大限に活用することを考えることは、主の働きでも同じではないでしょうか。
第7課 「象徴に見る贖い(2)」 11月15日
暗唱聖句「わたしたちは主のいます所に行き御足を置かれる所に向かって伏し拝もう」詩編132:7
今週の聖句 レビ記16章、民数記18:1~8、詩編28:2、132:7、138:2
今週の研究:今週の研究では、贖罪日の象徴的な意味について、また神の天の住まいであり、宇宙の謁見室であるイスラエルの聖所について学びます。
さらには、旧約聖書における祭司について、また天の聖所における私たちの仲保者・仲裁者キリストの働きを予表する祭司の執り成しの働きについて学びます。
火曜日:贖罪日の儀式は、罪の問題が解決すること、すなわち日ごとの儀式によリ経験されていた救いの完成を例示していました。聖所の全体、つまり聖所と至聖所は清められねばなりませんでした。「イスラエルの人々のすべての罪による汚れと背きのゆえに」(レビ16:16)、それらは清めを必要としていました。
これらの罪は悔い改めた罪人の携えてきた犠牲を通して神の住まいに移されてきました。贖罪日の間に、聖所はもとの清く、聖なる状態に回復されました。
年に一度のこの日、地上の一角がエデンの園のように、罪と汚れのない場所となりました。年の終わりに祝われるこのエデンへの「回帰」は、イスラエルの民にとって新たな出発となりました。それは宇宙的な調和の新しい始まりを示していました(ダニ8:14比較)。
贖罪日が国民全体を含む集団的な出来事であるとはいえ、各人には主に全的に献身する上で果たすべき役割がありました。この日、主にあって安息し、主の前に苦行をしない者たちは「民の中から断たれ」ました(レビ23:29)。いかに厳格に思われようとも、その要点は救いの業の厳粛さを強調することにありました。これらの聖句はとりわけ、忍耐して主と共に歩むことの大切さを教えています。
水曜日:「アザゼルの山羊」は救いの手段ではなく、罪と汚れを荒れ野に運ぶための輸送手段です。それはどこからわかるのでしょうか。
・第一に、この動物への罪と汚れの移転は、大祭司が贖いの業を終えた後でなされています。
・第二に、この山羊は犠牲としてささげられていません。それは屠られていないので、贖いのための血は流されていません。
・第三に、人々の罪を「運ぶ・負う」とはいえ、イエスのような代理者として、あるいは身代わりとして罪を運ぶわけではありません。
アザゼルの山羊の儀式は、いわば除去のための儀式です。言い換えるなら、アザゼルの山羊はイスラエルの宿営から、あってはならないもの、つまり罪と汚れを除去する、あるいは取り除く手段です。
贖罪日の間、主ともう一つの勢力との間に対決がありました。主のための山羊は神を代表しており、アザゼルのための山羊は反対勢力、悪魔、罪と汚れの根源を代表していました。
贖罪日は、神聖と清めが罪と汚れ、悪の勢力に対して最終的に勝利することを象徴的に宣言していました。
神はこの儀式を通して、キリストの力によって、死と苦しみから解放され、罪の力からも解放された、新しい被造物が出現する将来を指し示すことによって(黙21:3、4)、御自分の民に希望を注いでおられたのでした。
木曜日:レビ記においては、祭司が仲保者として贖いの儀式を執り行いますが、彼らが罪を贖うわけではありません。儀式が完了した後で、神は赦しをお与えになります(レビ4:26──受動態の動詞は、神が赦しをお与えになる方であることを暗示)。贖いは神が御自分の民のためになされる行為です。神は「その土地と民を贖う」お方です(申32:43、新国際訳──詩編65:4、79:9参照)。贖いを通して、神は御自分の愛を罪人に注がれます。
贖うという動詞はまた、レビ記の中でさまざまな儀式に関連して用いられていることから、それがたった一つの行為を意味するものでないことは明らかです。
つまり、贖いはある時点における出来事というよりも、むしろ一つの過程を意味します。年間を通してなされる聖所の活動の全体、つまり日ごとの犠牲(レビ5:10)から贖罪日(16:34)、そしてそれらの間におけるすべての儀式が贖いとして理解されていました。
言い換えるなら、贖いとは、犠牲の行為、祭司の執り成し、贖罪日における罪と汚れの最終的な処理を含めて、年間を通してイスラエルのためになされた神による清めの行為の全体をさすものでした。このようにして、キリストが私たちのために行っておられる贖いの業の包括的な性質が予表されていたのでした。
旧約聖書の時代の「贖罪の日」は、どんな一日だったのでしょう。それは第7の月の10日でした。今日の9~10月ころのことです。
そしてこの5日後からは仮庵の祭が始まります。この祭は「収穫祭」と呼ばれて、荒野で主が導かれたことを思い出しながら、今年一年の収穫を感謝する喜びの祭でした。その前に贖罪の日が設けられていたのです。
農業のサイクルで考えると、秋蒔き小麦を蒔くことが一年の始まりと考えたら、収穫が一年の終わりとなります。神さまは一年間の働きを終えて、喜びと感謝の時を、罪の赦しが与えられた後に設けられたのでした。
この日は安息日と呼ばれて、第七日安息日とは別の意味での特別な一日、安息日でした。話しが飛びますが、コロサイ2:16で「安息日のことで批評されてはならない」とパウロが勧めているのは、第七日安息日が廃止されたのではなく、旧約聖書の中の様々な儀式のための安息日のことを指しています。この贖罪の日の安息日などがコロサイの勧めで示されている安息日です。
この日は、仕事を休んだだけではなく、苦行をするように命じられています。(レビ16:29参照) この苦行は、聖書の他の場所を見ると、断食であることがわかります。(イザヤ58:5参照) 旧約聖書の律法の中で、断食を求めているのはここだけです。
そして一年間の様々なことを、一年の農作業の終わりに、神さまの前で思い返し、赦しを求めるのでした。
その中には、まだ和解していない罪があったかもしれません。また、あやまっておいた方が得策だと思われるものもあったでしょう。何よりも、心の中だけで思った罪は数知れません。そして気づかない罪も山ほどあるでしょう。
きっとこの時は、あの罪とこの罪を赦してくださいという祈りでは到底終わることが無い自らの罪深さに気づき、最終的にはすべてをおゆだねすることしか解決策が無いことを教えられるときだったのかもしれませんね。
北海道 安河内 アキラ