みなさま
このところのニュースは政治と金、日本航空、ハイチの大地震ばかりですね。先日のシャロームの朝祷会で、ある方が「彼らは見るには見るが、認めず」(マルコ4:12)を引用して、これらのニュースになっていることは、まさにこの聖句のような状態ではないでしょうかと語っていました。日本航空は、あそこまで 負債が膨らむまで、誰も気づかなかったのでしょうか。親の愛と言ってもあれだけの金額を知らなかったのでしょうか。地震のおそろしさを知っていながら、国は対策を立てたり、建築基準についてh指導してこなかったのでしょうか。
まさに見てはいても、問題意識をもっていないか、先送りしている結果の惨事と言われれば納得していまいました。
上記の聖句は、このように問題を見過ごしにしている人の結末は「立ち返って赦されることがない」と書かれています。問題と向かい合わねば、解決はありません。そしてそのことを通して、神さまの救いを求めて歩むようになるのです。
第4課 霊の結ぶ実は平和 1月23日
暗唱聖句「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」ヨハネ14:27
今週の聖句 マタイ8:23~27、11:28,29、ヘブライ12:14、ローマ5:1~11、12:9~21、コロサイ3:13~15
今週の研究:今週の研究を進めながら、私たちは次のように自分に問いかけてみる必要があります。「私はキリストの十字架上で勝ち取ってくださった平和を自分のものとしているだろうか。私はこの平和を毎日の生活に取り込んでくださる聖霊にどれだけ協力しているだろうか。
月曜日:不安を生じさせるのは自分を愛する心である。
キリストをみことば通りに信じ、自分の魂をキリストの守りにゆだね、その生活をキリストの命令に従わせる者には、平安と穏やかさがある。イエスがその臨在によって彼らを喜ばせてくださる時、この世のどんなものも彼らを悲しませることができない。ただ黙々として従うことに完全な休みがある。「あなたは全く平 安を持ってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである」と主は言われる。(イザヤ26:3)
火曜日:イエスが弟子たちに平和を与えようとされたのはなぜだと思いますか。「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(ヨハネ14:27)。世が与える平和は、イエスが与える平和とどのように異なっているの でしょうか。
私たちがしてはならないことは、平和や悩みのない人生と同一視することです。たとえ忠実なクリスチャンであっても、試練や悩み、苦しみのない人生を送る人はめったにいません。苦しみの度合いは人によって異なることは確かです。しかし、平和は状況そのものより、その状況にどのように対処するかと関係がありま す。
平和は愛と憐みの神に心から信頼することと関係があります。神はあなたの歩む道を知り、どんなときにもあなたを見捨てることはないと約束しておられます。
木曜日:私たちが考えている以上に、イエスは私たちの人間関係を重要視しておられうように思われます。教会員同士の間に、何年も恨みや憎しみが続いていることも珍しくありません。もし私たちがみなこの教えに従うなら(マタイ5:23,24)、事態はずっとよくなるはずです。I
今年の新年に選んだ聖句は「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる」(詩編55:23)を選びました。
この詩編を歌ったのはダビデです。勇敢な信仰者であった彼が「わたしは悩みの中にあってうろたえています。わたしは不安です。」(詩編55:3)と神さまに訴えているのです。
そしてその不安の原因について彼は「自分の友、知りあった仲、楽しく、親しく交わり」(詩編55:14,15)という人との人間関係だと述べています。
わたしたちにとって人間関係での問題は、大きな不安の原因になりますね。それは相手の心を、わたしたちが変えることができないからです。またわたしたちが予想したとおりに、相手が動くとは限らないからです。
こちらが礼を尽くし、最善の対応をしたとしても、それがうまく伝わらなかったり誤解されてしまうこともあります。
このために心が不安で波打つことは多々あるのではないでしょうか。
注解書を読むと、この詩編55編では、ダビデは息子アブサロムによって引き起こされたクーデターの時のことを歌っているのではと説明していました。
だとしたら最愛の息子に王座と生命を狙われて、彼はどんな思いでいたでしょうか。そして彼がなぜこのようなことをしてしまったのだろうと親として悲しんだり後悔もしたことでしょう。
彼は悩み苦しんだ末、最初に掲げた23節「あなたの重荷を主にゆだねよ」という想いに到達したのでした。
イエスさまは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)と招いてくださっています。
すべての人間は、この罪の世にあって悩みや苦しみに遭遇しないことはありません。けれどもそこにあって、イエスさまはわたしたちを助けてくださるのです。導きを与えてくださいます。その中にあって、わたしたちはイエスさまに出会うことができます。
悩みのうちにあるとき、それはイエスさまに見捨てられた時ではなく、イエスさまが最も近くにいてくださる時なのです。そのことに気づく時、状況は何も変わっていなくても、イエスさまがともにいてくださるだけで平安に歩むことができるのです。
東京 安河内 アキラ