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さよなら「いいとも!」 タモリさん「お昼の顔」32年間…台本なし

2014年03月26日 | インターネットニュース
さよなら「いいとも!」 タモリさん「お昼の顔」32年間…台本なし(産経新聞) - goo ニュース



さよなら「いいとも!」 タモリさん「お昼の顔」32年間…台本なし

産経新聞2014年3月26日(水)08:03


さよなら「いいとも!」 タモリさん「お昼の顔」32年間…台本なし
(産経新聞)

 フジテレビ系の生放送バラエティー番組「笑っていいとも!」(月~金曜正午)が31日、32年の歴史に幕を下ろす。司会のタモリ(本名・森田一義)さん(68)は、数々の名場面とスターを生んだ「お昼の顔」。放送初期から番組作りに参加した元プロデューサーの荻野繁さん(65)と、平成18年からレギュラー出演しているタレントの劇団ひとりさん(37)に、長寿番組の今昔を聞いた。(三品貴志)

 ■元プロデューサー 荻野繁さん さよなら「いいとも!」

 〈タモリさんは「いいとも!」以前、深夜番組でイグアナの形態模写など独特の「密室芸」を披露していた。そんな夜のイメージが強い演者に、プロデューサーの横沢彪(たけし)さんが目を付け、昼の帯番組司会に抜擢(ばってき)したのが始まりだった〉

 「横沢さんは『タモリさんはマニアックだと思われているが、幅広いトークができる』と言ってました。タレントを生かし、その人にしかできない色の番組を作るのがバラエティーの本筋。横沢さんが夜のネオン街にいたタモリさんを、昼の公園に毎日連れ出したようなものです。タモリさんもメガネと髪形を変えて昼遊びにきてくれました」

 〈荻野さんは「ひょうきんディレクターズ」の一人。前身番組「笑ってる場合ですよ!」を担当していた縁で「いいとも!」の立ち上げ会議にも参加した〉

 「実は、最初に決まった企画が『テレフォンショッキング』なんです。ラジオ番組がヒントでした。仮に次のゲストが繋(つな)がらないときは、それも『生』でいいと。それ以前のトーク番組は、司会者が紙に書いた質問を読むようなものが多かった。でも、タモリさんは毎日、自分の知識を使い、その場の空気で面白くしゃべってしまう。『いいとも!』は台本のない新しいトーク番組の形を作ったんです」

 〈「オレたちひょうきん族」専任になった荻野さんは6年後の昭和62年、ディレクターとして「いいとも!」に“復帰”。後にプロデューサーとして計9年間携わった。番組で人気に火が付いた芸能人も多い〉

 「自分の時なら久本雅美やキャイ~ン…。63年ごろ、コント赤信号の師匠で浅草芸人だった杉兵助さん(当時72歳)に毎週出てもらったら、すぐ人気者になった。杉さんは離婚し家族と別れ、一人で老年を過ごされていました。あるときスタジオアルタの楽屋に杉さんの娘さんが訪ねてきた。何十年ぶりの再会。それから娘さんが杉さんの世話をするようになって、最期もみとられた。もし生放送でアルタでやってなかったら、あの再会はあったのだろうか。感慨深いものがあります」

 〈数々の名場面を生んだ番組も、終了まであと1週間を切った〉

 「タモリさんには『お疲れさまです』としかいえません。サラリーマンとしてよくやってくれました(笑)。ただ定年後が心配です。勘違いしてある日アルタに来ちゃったりしないか? ボケたらあるかも?」

 ■劇団ひとりさん 教わった「みんなで楽しむ」精神

 〈8年前から番組にレギュラー出演してきた〉

 「『いいとも!』でレギュラーになるのは、どの番組よりもうれしい。でも、最初は自分をどう出すかということばかり考えて悩んでいたら、タモリさんに『頑張るんじゃない』と言われたんです。『俺、頑張るやつは嫌いだ』と。『俺が俺が』ではなく、大事なのはみんなでどう楽しむか。最近になって、タモリさんの言わんとしたことが分かってきた気がします」

 〈印象深いのは、昨年秋に始めた自身の企画「負けず嫌いマッチ」。毎回、マニアックな題目で出演者が対決するコーナーだ〉

 「クイズをしながら(スタジオの)セットを食べていく回は、自分でも新しい試みだったと思いますね。いい思い出が『即興芝居をしながら先に相手を殴った人が勝ち』という回。タモリさんにスイッチが入ったのか、予定外で急にウエーターとして芝居に入ってきた。最終的にはタモリさんと殴り合いになりました(笑)。一瞬でも同じリングの上で、拳を交わした仲になったという感じがありました」

 〈自身も出演した21日の放送では、安倍晋三首相がゲスト出演した〉

 「タモリさんは、まじめな顔もふまじめな顔も違和感がないんです。総理としゃべった後にサルのまねをしていましたが、それが不自然じゃない。こびを売らず、でも総理を立てながらお話しするのはさすがでした。もしかしたら世界で一番、いろんな人とおしゃべりした人かもしれません。寂しいですが、歴史的番組の最後に立ち会えるのは名誉なことだとも思っています」

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