この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

計画停電は「行き当たりばったり停電」

2011-03-30 15:37:28 | 東日本大地震
長男の大学進学のためアパート探しに東京へ行ってきた。
実際住むのは埼玉から利根川を越えてすぐの群馬県の方だが、学園都市を目指した駅前はまだまだ移住者が少なく、まるでゴーストタウンのようだった。
しかし、考えてみれば気を散らすようなものもなく、勉学に勤しむには最適なのかもしれないと感じた。

それはさておき(閑話休題)
水道の放射能汚染問題は放射性ヨウ素131が検出されたと報道されたのが23日。24日の朝、吉祥寺のサンロード商店街を歩いていたら、西友前に並ぶ、30名ほどの行列が目についた。ペットボトルを求める人たちだとすぐわかった。
道々気づいた自販機はすべてミネラルウォーターだけ売り切れになっていた。
並んでいる人たちを良く見ると、ほとんどが高齢者、ニュースで言われている飲料を自粛すべき乳幼児の母親には見えなかった。
都では乳幼児を抱える世帯にペットボトルを配布すると言っていたから、並んでいるのは自分たちのためだけに並んでいるのはみえみえだった。不謹慎ではあるが、この先どれだけ生きようと思っているのかと問いただしたかった。

放射能のことを知らないから慌てふためいているのではない。自分たちだけは助かるようにという自己保身だけで走りまわっているようにしか見えないのだ。
都内ではお米が手に入りにくいようだし、このようにミネラルウォーターもわれ先に買われて無くなっている。
にもかかわらず、義捐金がこれほど早く、しかも多く集まるのを知らない。待ってましたとばかりにボランティアも被災地に駆けつけている。
人間の良心と醜い心がともに浮き出ているように見える。
しかし、このまったく正反対にしか見ないふたつの現象の根っこが、じつはひとつのような気がしてならないのだ。よく説明できないが。

わたしが拠点にしていた吉祥寺は武蔵野市になっている。ここは計画停電から除外されていた。東京電力では計画停電から除外している東京都23区と国分寺市や国立市などの東京近郊には重要な施設があるから対象外としていると言っているのだが、それでは八王子は重要な地域ではないのかと問われたらどう答えるのだろうか。
何をして重要であり、何をして重要でないかと言い切るのは難しい。その基準がはっきりしていれば我慢もするが、問い詰められて答えに窮するとしたら許せない。

じつはこの計画停電、よくわからないのだ。
5グループをさらに5組に分けているようだが、自分たちの地域がどのグループのA~Eに入っているかは、なんとか各自治体のホームページで知ることはできるが、実際に停電になるのかならないかというのは東電側を待つしかないのだ。
それも2時間前になってみないとわからないというのではまったく計画が立たない。

グループ分けし細分化した地域で、不公平にならないようと、前回停電にならなかった地域を対象にすると言うが、前回A、Bが停電したとしたら今回Dの停電はあるのかないのか、そこがはっきりしないのだ。
それこそ計画的に発表してもらいたい。そして発表したら必ず実施してもらいたい。
なぜなら、今日の3時20分から予定していた停電が中止になったら、明日の夕方6時20分から停電になるというのでは商売にならないからだ。
むしろ予定していた3時20分から停電になってくれれば、明日や明後日、停電の対象にならないだろうから店を開けるという計画も立つ。

東電では一週間なり二週間なりしっかり計画停電を実施しながら、消費電力の動向を見極め、次週の計画を立てて欲しい。実施しないという結論は本当に実施しないという時に限って欲しい。計画停電は取り止めますが電力消費の動向によっては停電することもありますというのでは何も計画できないでしょう!?
計画停電と言うにはおこがましい。「行き当たりばったり停電」と言うしかない!!
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