この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

5歳の頃は悪童だった。

2023-08-14 13:43:00 | つれづれ記
遅れ盆のこの時期、ニュースで名古屋に帰省する母子にインタビューしていた。
「おばあちゃんちにプールがあるので泳ぎたい」と7歳くらいの男の子がニコニコしながら答えていた。
家にプールがあるなんてお金持ちのおじいちゃんおばあちゃんだね。
そう云えば、わたしが5歳の頃わたしの家の屋上にもプールがあった。

父が普天間で当時にしてはめずらしい3階建てのビルを建てた。文化堂と名付けて電化製品を取り扱っていたのだ。その屋上の奥半分くらいに1.4mくらいのコンクリートの囲いがあった。
そこに排水のための穴があったが、雑巾か何かでその穴に蓋をしたのだ。
雨が続いたある日満々と雨水が溜まりプールができた。
近所の子どもたちに声をかけたらたくさん集まってきた。苔で緑色のプールであまり衛生的ではないかったが、コンクリートのヘリから飛び込んだりして、みんな喜んで遊んでいた。
あまりの騒々しさに祖母が気づいてやってきた。近所の子たちは三々五々に散り、わたしは父に絞られた。

1階の電化製品のお店の奥に6畳ぐらいの座敷があって、そこに手提げ金庫が置かれ、お金を入れたり、お釣りを取ったりしていた。
それを見ていたわたしはいつしかダイヤル番号を覚えた。ある時、ダイヤルを回して金庫が開いた。ご褒美のように感じたわたしは、金庫の中のお金をわしづかみにして近所のおもちゃ屋に行った。
近所の子を集めて好きな刀や鉄砲等を買ってあげた。もちろんわたしも背中に刀を差し、機関銃を持っていた。
おもちゃ屋の親父が通告したのか、兄が「お父ちゃんが起こっているよ」と呼びに来た。
まったく罪の意識はなく、意気揚々と帰ったら父にこっぴどく怒られた。いつの間にこんな悪党に育ったのかと思ったのかもしれない。何度も何度もお尻を叩かれた。ここまで叱られたのは初めてだった。「お父ちゃんごめんなさい。お父ちゃんごめんなさい」とワンワン泣きながら謝った。
さすがに祖母が止めに入らなかったら、いつまでも終わらなかっただろうし、わたしの尻もどうなったかわからない。
この想い出話をしたら7歳ぐらいの息子は涙を流しながら大喜びしていた。

当時のわたしはこんな悪童だった。それがいつの間にかこんなに丸くなって、不正義を憎む常識人になってしまったのかね~。

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