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この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

縄文人はとんでもない冒険者だった

2025-04-16 12:31:08 | 日本人は何処から来たのか
国立科学博物館に於いて「古代DNA~日本人のきた道~」展が3/15~6/15まで行われている。そのためでもないだろうが、古代に関するテレビ番組が目白押しだった。
「FRONTIERS~80億人人類繁栄の秘密~」、「ヒューマニエンス~グレートジャーニー~」、「FRONTIERS~日本人とは何者なのか~」、「サイエンスZERO」、「木村多江の今さらですが・・・縄文時代~DNA研究と考古学から見た最前線~」等々。
DNA解析の技術が向上したことから、新事実がつぎつぎに発見されていることが大きいようだ。

興味深い事実・仮説に触れながら、おさらいしていこう。

「FRONTIERS~80億人人類繁栄の秘密~」で、計算生物学者(遺伝子の突然変異の発生率をもとに計算する学問というのがあるらしい)ワン・ジーフによると、81万3,138年前、人類(といっても原人ホモエレクトス)が一時1,280人まで減少したことがあると言っている。
原因は氷河期だという。生き残ったのは火の利用を知っていたために生きながらえたようだ。
われわれ人類も一時絶滅危惧種だったという話だ。

新人類(ホモサピエンス)がアフリカから出たのが、5万年前と言われれていたが、今回約6万年前としている。(国立科学博物館篠田健一館長)そして、日本列島に到達したのが4万年前ぐらいらしい。
縄文人のDNAに、途中で交雑した形跡がないことから、まっすぐ日本列島に到達したようである。縄文人のDNAがどんなものなのか詳しくしてなかったけどね。(詳しく解説されてもよけい混乱するかもしれないけど)
当時、日本列島はユーラシア大陸と地続きになっていて簡単にわたってこれたようだ。
その後、氷河期が終わり温かくなるにつれて、海面が上昇し現在のように日本列島が孤立した。
そのため大陸の他の人類との交雑はしばらくなかったようだ。

「FRONTIERS~日本人とは何者なのか~」では、古墳人になぞのDNAが入っていると驚いていたが、じつは東アジア(中国・朝鮮半島)からの渡来人のDNAが交じっているということだった。そんなことは当たり前の話で驚くには当たらない。
むしろ驚いたのは、弥生人の中に縄文人のDNAと東北アジアのDNAが半分ぐらい入っているということだった。縄文人はおそらく南方系の人たちだと思われるが、さらに北方系の人たちのDNAが早いうちから加わっていたということだっだ。
一旦アジアの北に向かった新人類が、しばらくして北海道の方から南下して、南方から日本列島に入っていた縄文人と交雑したというわけ。

2010年に発見された白保4号(八重山郡石垣市白保竿根田洞穴遺跡)に、やはり東北アジアのDNAが半分入っていたというのだ。およそ2万7千年前の人骨だという。
それを考えると、ずいぶん早くから南方系と東北アジアとの交雑は始まっていたのだと驚く。
さらに驚くべきことは、はるか南の果ての石垣島までその縄文人の子孫が渡ってきていたことである。

日本列島が陸続きであったとしても、琉球列島が陸続きだったかどうかまではわかっていない。
飛び地のように島々があったと考えるのが普通だが、八重山群島と言う名称を考えると、ひょっとすると大きな陸地が続いていたのかもしれない。
そうでなければ、八島とか、八重島という名称になりそうなものだ。
陸続きで行き来できていたかもしれないし、そうでなかったとしても、島づたいにサバニなどで渡ってきたとしたら、縄文人はフットワークが軽いと言うより、かなりの冒険心の塊だった言うほかない。
そして縄文海進で孤立していた日本列島に、魏志倭人伝の頃からはじまって、白村江の闘いで倭が敗れたことをピークに多くの集団が日本列島に流れ込んで、古墳時代を迎えるということなのだ。

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