この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

師匠の競馬Ⅱ

2021-01-29 08:07:10 | たかが競馬、されど競馬
昭和55(1980)年の第82回天皇賞秋である。
府中3200m。やはり東京競馬場の3200mというより府中3200mというのがぴったりくる。春は当然、淀3200mである。この名称を口にするだけでワクワクしてくる。
ケイキロクでオークスを取ったその秋昭和55(1980)年11月23日のことである。
88kkの好調にもよるが、師匠がその前の週に上京してきた。菊花賞だったかマイルCSだったか覚えていないが、競馬場からの別れ際「天皇賞はプリティキャストと思うんだ」という言葉を残して帰って行った。

驚いた。そのレースはカツラノハイセイコが1番人気になり、あの「大きなイチモツ」で名を成したホウヨウボーイとの2強対決というが前評判だったのである。
当日は重馬場。プリティキャスト(柴田政人)が大逃げを打った。向こう正面からスタートし正面スタンド前を通過してもう一周するのである。
スタンド前で10馬身ぐらい、向こう正面で30馬身以上の大逃げである。こりゃいかんと3コーナーあたりから慌ててカツラノハイセイコが追いかけて、ホウヨウボーイもしかけながら5番手をついていく。ところが時すでに遅し、直線でもプリティキャストの逃げ脚は衰えず、むしろ両頭が脚をなくし馬群に沈んでいった。人気薄のメジロファントムが仕掛けを遅らせて2着確保。プリティキャストに遅れること7馬身差である。カツラノハイセイコ6着、ホウヨウボーイは7着だった。
枠連は外したと思うが、単勝1,790円はバッチリ仕留めている。

師匠はやはり天才なのだろう。わたしのように能書きを垂れない。
突如閃くのだろう。ただ浮かんでくるだけというか、天から降りてくるというか。
確かに誰でも理由もなくこの馬だ!と閃くことがある。凡人にはまれなことだが、天才には頻繁に起こるというのではないか。
少なくともこの1980年の師匠は神がかっていた。

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