この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

ビワハヤヒデとナリタブライアン

2022-01-23 12:46:00 | たかが競馬、されど競馬
平成5(1993)年の皐月賞は2番人気のビワハヤヒデを狙っていた。
新馬からの3連勝が根拠。もみじS1600mを1.34.3秒のレコード勝ち。次走デイリー杯1400m1.21.7秒のレコードが光っていた。
東上して朝日杯を2着(エルウェーウィン)に敗れ、共同通信杯も2着(マイネルリマーク)と足踏みしていたが、それまで騎乗していた岸滋彦から岡部幸雄に乗り替わり若葉S2000mを快勝して皐月賞に臨んできた

ビワハヤヒデの単勝を2万円。連勝の本線は弥生賞を勝った1番人気のウイニングチケットへ3万円とした。抑えは1万円ほどバラバラ買ったが、ほぼ一点勝負と考えていた。
レースはビワハヤヒデが先行して直線中程までは良かった。ところが外からナリタタイシン(武豊)が猛追しきてゴール前でクビ差交わした。ウイニングチケットは4着。
馬券は完敗だった。

ダービー前のオークスに東上した。ワコーチカコ(9着)が絶対の狙いだったが、勝ったのはベガだった。ダービーの資金も残り少なくなって2万円だけになっていた。
ダービーはやはりビワハヤヒデ。そして3番人気以下だろうと予想していたウイニングチケットとの1点を勝負しようと考えていた。
ところが豈はからんや、前売りオッズでウイニングチケットがまさかの1番人気になってしまった。
そして勝ったのはそのウイニングチケットだった。ビワハヤヒデは2着。
名手柴田政人がようやくダービー騎手になれたとサークルは祝賀ムードだったが、わたしは元気がなかった。連勝⑦⑩は720円でチャラだった。

菊花賞はビワハヤヒデが5馬身(0.9秒差)で圧勝した。2着には9番人気のステージチャンプ(南井克己)だった。何を狙ったか記録がないが、ウイニングチケット(3着)は買っただろう。結局、取ったのはビワハヤヒデの単勝240円1万円だけだった。
三度目の正直にしてはあまり報われていない。

その後ビワハヤヒデは有馬記念をトウカイテイオーの大駆け(フロックではないが)の2着に敗れた後、天皇賞春、宝塚記念(レコード)を快勝するなど向かうところ敵なしの様相だった。
有馬記念では弟のナリタブライアンとの兄弟対決に期待が膨らんでいたが、オールカマー快勝後臨んだ天皇賞秋のレース中に故障が発生して5着。岡部が思わず下馬をした。残念ながらそのまま引退となっている。

ナリタブライアンはシンボリルドルフ以来の3冠馬だった。その場面に立ち会ったこともわたしの宝ではあるが、残念ながらナリタブライアンとの思い出はそれほど楽しくはなかったのである。
皐月賞、ダービーの記録がないのだ。仕事面でそれどころじゃなかったこともあったが日記にすら何も書いていない。馬券ぐらいは買っていたはずだが反省も喜びもない。
皐月賞でナリタブライアンは単勝1.6倍の1番人気。ダービーは1.2倍の1番人気だった。おそらくナリタブライアン以外の馬を狙って負けたのだろう。思い出したくもないから記録がないのだ。

唯一菊花賞の記録が日記に見つかった。
当日は雨が降っていて稍重だった。ナリタブライアンは1.7倍の1番人気だったが、さすがに外せなかったようだ。馬場適正からヤシマソブリンを中心とした。⑫ヤシマソブリン(6.1倍)の単1万円。ナリタブライアンへの連勝④⑫1万円。あと3点に計1万円という購入だったようだ。

レースはスティールキャストがスタート直後からハナに立って2角から仕掛けて3角では10馬身の差をつけていた。これはヤバいなと思った。さすがに4角でバテてきて、代わりにヤシマソブリンが伸びてきた。さらにナリタブライアンも上がってきて3頭が並んだ。
スティールキャストはもうおつりがない。一瞬3頭叩き合いのシーンと思ったが、南井克己が2、3度ナリタブライアンを押して、1発、2発、3発と鞭を放つと異次元の脚が飛び出した。
7馬身の圧勝である。しかも3.04.6秒のレコード。お兄ちゃんのビワハヤヒデのレコード3.04.7秒を0.1秒上回り、2着との着差も5馬身からさらに2馬身離していた。

ナリタブライアンはビワハヤヒデの弟である。賢兄愚弟とは言えない。なぜならビワハヤヒデは1冠だけだったが、弟のナリタブライアンは3冠を取っている。優秀な兄弟の成功物語と言った方がいいだろう。
ビワハヤヒデは真面目な努力家で学生時代は成績優秀。名門大学を出て一流会社に就職したが、二度ほど出世争いで敗れる。三度目に挽回して役員に加わった。真面目で努力家の彼はいくつも新規事業を成功させる。しかし無理がたたってついには病に倒れリタイヤせざるを得なくなった。

一方、弟のナリタブライアンは腕白で勉強が苦手、三流大学に進むが、そのとき起業して大成功を収める。そんな大器晩成型だ。
幼いころから成績優秀。真面目でコツコツ努力する兄。その兄と比較され続けていた弟が、ようやく兄のビワハヤヒデと有馬記念という事業で競うところまで行ったのだが、兄のリタイヤで勝負はお預けになってしまった。
病床を見舞ったナリタブライアンは兄の枕もとで何を話したんだろうね。

兄ビワハヤヒデ(父シャルード)は菊花賞、宝塚記念を含めてレコード勝ちが4戦あるが、弟のナリタブライアンも京都3歳S、共同通信杯、皐月賞、菊花賞をレコード勝ちしている。共にスピードの勝った名馬だった。ビワハヤヒデの父はシャルード、ナリタブライアンはブライアンタイムズ。彼らのスピードは大いに母パシフィカスのお陰だろう。

ビワハヤヒデとナリタブライアンはこれといった産駒がなく種牡馬としては成功したと言えない。
ナリタブライアンは腸閉塞を発症して1998年8歳の若さで亡くなった。一方ビワハヤヒデは2020年に30歳の長寿を全うした。現役では兄を上回ったナリタブライアンだが、長寿では兄に負けたのかもしれない。
まぁ、長生きが勝ち負けというわけではないが。

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