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そんな感じの日々 ~今はこれが精一杯~

アメリカ旅行記、思い出して書き始めてみました。
よろしければ御覧ください。(現在休止中)

バレンティンはアジャコングに似てる。

2011-10-27 00:05:30 | 野球コラム
10月は2週連続でテニス合宿。
特に2週目は4面で2日間たっぷり。
休憩時間もお昼休みもひたすら壁を友達にして。
おかげで自分なりに劇的に改善されたボレーに手応え。
常に力でゴリ押しを試みて結局自滅してきた自分も、
少し考えてプレーすることをようやく覚えてきた気がする。
まぁ、それでもなお「もっと力を抜いて」と言われてしまうのだけど。



残念2割、でも8割は納得。
しょうがない。今年の勝者に相応しかったのは、
誰がどうみても中日だったということ。
前半戦これだけの強さを見せながら、
最後の最後に中日に圧倒されたヤクルト。
リーグ最強のチームというのは、ああいう負け方はしないものだ。

チームリーダーの青木が事あるごとに言うように、
今年のヤクルトは紛れも無い「最高のチーム」だった。
宮本や青木、石川らを軸に、実績の少ない若手選手が、
全員で1点を必死でもぎ取って必死で守りきる。
後半の異常な故障者の連鎖にも、崖っぷちになりながら耐える姿しかり、
「耐」という言葉がまさにピッタリのチームだった。
15という引き分け数は、その証だと言ってもいい。

しかし、同じように優勝争いを繰り広げたとはいえ、
90年代優勝時のような圧倒的な力は感じられなかった。
彼らのように堂々と「最強」という冠を背負うには、
率直にまだまだ青く若いチームであることもまた、確かだったのだ。


個人的な思いとして、日本シリーズを制するチームは、
その年の誰もが認める最強チームであってほしい。
そして今季は"まだ"そのチームではなかったということ。
仮にクライマックスシリーズでの逆転優勝という、
ラッキーパンチ的な日本一フラッグを獲得したところで、
今季の「最強」が中日でありソフトバンクであったことは変わるまい。


だとすれば。
今からCSに向かう選手達には失礼極まりないが、
もう今季は潔く2番目のチームでいいんじゃないかと思う。
このチームなら正真正銘の最強になれる日は遠くないはず。
勝手ながら、いちファンとして、
久しぶりの優勝の感動はその時に取っておきたいのだ。

祐ちゃんフィーバーについての何か。

2011-01-30 17:47:25 | 野球コラム
風邪ひいた。それもスキー場で。
乗車前の飲み会と恐ろしく狭い夜行バスも手伝って、
到着までほぼ一睡もできず体調不良。
滑り出してまもなく変な咳が出始めたからマズイなと思ってたら、
滞在の半分くらい休憩所で寝ておくはめに。

まぁ、昔から夜行バスは寝れないタイプだったんだけど、
今回で自信から確信に変わりました。

もう夜行バスは使うべきでない、と。
特に4列シートは絶対に。



ここまで騒がれるとちょっと心配にならざるをえない。
まだキャンプイン前だというに、連日連夜の斎藤フィーバー。

荒木にしろ、野茂にしろ、松坂にしろ、
プロ入り前から高評価をされたり、
一時の人気で注目を集めた選手は数あれど、
ここまで神格化されてしまったルーキーは初めてだろう。
本人の発言もイチイチスマートでカッコイイこともあって、
もはや、最後にはヒーローになることを誰もが知っている
漫画の主人公のような状態だと言っていい。


単に前評判の高いだけの選手なら構わないのだ。
仮に成功することなく球界を去ったとしても、
2、3年もあれば人々の記憶から無かったことになるのが世の常。
これからのヒーロー"候補"であれば、幾らでもいるのだから。

ただし、既に「ヒーロー」役として
連載が開始されてしまっている彼の場合はそうはいかない。
(ある意味、自分で連載しているともいえそうだが・・・)


時に強敵に苦戦したり負けようとも、
必ず最後にはリベンジするのが漫画のヒーロー達。
物語序盤で敵に負けてそのまま「完結」、なんてわけがない。
"もし"あろうものなら、漫画史に残る駄作として語り継がれてしまう。

だから、勝手ながら心配になってしまうのだ。
彼以上に評価され、いつしか消えていった選手は数しれない。
消えていくのならまだしも、恐らく彼の"もし"の場合には、
野球史と世間の記憶に深く刻み込まれることになってしまうだろう、と。
当然ながら良い意味ではなく、嘲笑のネタとして。


どうあれ、既に斎藤祐樹物語は、今後の展開未定のまま、
大々的な宣伝とともに連載が開始されてしまったのだ。
これが、30巻を越えても読者に支持され続けているのか、
それとも活躍シーンに辿り着くこともなく打切りになってしまうのか。
こればっかりはわからない。

現実の世界には、結果的に"持っていた"人はいても、
"持っている"と約束された主人公などいないのだから。

大人達は心を捨てろ捨てろというが

2010-10-04 23:19:39 | 野球コラム
最近ひっさびさにカラオケ行って、
しかも、続けて2回も行ってしまった。
実はというか、今でも結構好きな部類なんだけど、
一方で年々周囲からは「もうカラオケはええわ」という声。
それにつられてすっかり足が遠ざかっていた。

まぁしかし、相変わらず、
懐メロスペシャルになってしまう自分。
というか、大学1年の時点で「懐メロ好きなやつ」だったのが、
年月だけ過ぎ、今なおそのまんまなのだから、
もはや、”懐かしい”を超えて”古い”になりつつある。
だって、これからは90年代の曲が年々「20年前」になっていくのだ。
20年前の歌を歌うやつは、どうみたって古いだろう?



しつこいが、今年も一応言っておこう。
もう、これでシーズン終了でいいじゃないかと。
今年の日本シリーズ資格者は中日とソフトバンクだ。
それでいいじゃないか。

「巨人、V4の夢ついえる」
というニュースの見出しをみて驚いた。
一体いつのまにV3もしていたんだ?と。
必ずしもリーグ覇者同士にならない日本シリーズでは、
もはやその勝者に大した意味は見出せない。
さらには、優勝しても日本シリーズに出れないかもしれないという、
シーズン制覇の意味もまた、年々薄れつつある。

だから今年のクライマックスシリーズも
リーグ3位のチームを激しく応援しようと思う。(観ないけど)
それによって、このシリーズ自体がなくなることを願って。
うん、たとえそれが球界のヒール・巨人であっても。


あ、あと今年のヤクルトは非常によくやったと言ってあげたい。
4位という順位でありながら、これほど納得感を感じたシーズンは、
その昔1位と4位を繰り返してた頃からみても初めて。
絶対的成績を残したのは青木くらいだったけれど、
気持ちいいくらいに若手の伸びが楽しい1年だった。

それでいて、優勝した中日にも15勝8敗。
タラレバ議論は反則かもしれないが、
それでも春先さえ除けば、貯金はゆうに20以上。
小川スワローズの安定力はリーグ最高だったと拍手を送りたい。


そんなわけで、シーズン全日程終了をもって、
自分の中での今年度のプロ野球は終了。
あとの"消化試合"には、大波乱だけを期待して。

高校野球の夏に、あえて思う。

2010-08-24 00:40:06 | 野球コラム
  
高校野球はやはりいい。
どこのチームが出ているとかは調べたりしないけれど、
純粋に野球を観る楽しさを得られる場所なのだ。
どちらが勝とうと構わない。
それはプロにはない魅力といえるはずだ。

しかし、一方で。

甲子園強豪といわれる常連高校の存在には、
違和感を感じてしまう自分もいる。


そもそも、20世紀初頭のプロ野球の誕生には
ひとつの大きなキッカケがあった。
当時人気を高めていた大学学生野球の"汚れ"である。
本来修学が第一目的であるはずの学生を
大学が自らの広告のために金で引き抜き、時には金を渡す。
当時、学生達は学業そっちのけとなり、
野球さえやっておけば、という風潮になっていったという。

これに立ち上がったのが、
早稲田大学野球部草創期の名投手にして、
日本スポーツジャーナリズムの先駆であった河野安通志。
彼はプロという職業野球の創設によって
札束の世界から学生から断ち切ろうとしたのだ。
この精神は、日本のプロアマ野球界の原点だと言ってもいい。


ところが、特待生システムに代表される、
今の高校野球甲子園の姿は果たしてどうだろうか?


学校がプロのスカウトのように選手を探し回り、
普通の学生にはない授業料免除であったり、
野球さえできれば成績にも眼を瞑ってもらえたり。
真偽は定かではないものの、
球団と選手、監督らの間で札束が回るという噂も未だに耐えない。

そして、毎年聞き覚えのある高校が出場しているということ。
何千というその他大多数の"普通の"高校の球児達にとっては、
甲子園など最初から手の届かない世界となりつつある。
結局、ほとんどは各県上位の顔馴染同士による争いなのだから。


強豪校が有名選手をかき集め、
その中でも抜き出た者がレギュラーとしてチームを作り、
また、そのようなチームが一同に集結する甲子園。
実は野球界としてみれば、この現状のメリットは非常に大きい。

なぜなら、もし、特待生制度等もなく有力選手が散り散りになれば、
全国全校的に戦力は均衡するかわりに、抜けたチームもなくなる。
つまり、飛び抜けた無敵のチーム同士が激しく身を削りあう、
今の甲子園のようなプレーレベルは望むべくもない。
松坂大輔、ダルビッシュ、田中将弘・・・
昨今の完成度の高い高卒プロ選手達、特に投手達は、
この環境でこそ極限まで磨かれることのできた珠玉なのだ。


しかし、それを理解した上で疑問を呈したい。
やはり、高校はあくまで高校、学校なのだと。
弱肉強食、勝てば官軍、学校の財力差。
ある程度それらの要素はスポーツには必要だとしても、
そういった"強さ"と結果が全てのプロとは一線を画すべきだ。
しかし、今の甲子園はある意味で、
プロよりもプロらしくなってしまっているようにすらみえる。

1世紀前、ゼロからのプロ創設という難業を成してまで、
河野氏が守りたかったアマチュア野球と、学校という教育の場。
今の姿は、本当にその期待に応えているのだろうか。

風前灯火の関西独立リーグ

2010-06-21 01:34:39 | 野球コラム
梅雨。
いつもならソフトに行こうかテニスに行こうか、
それともちょっとバイク走らせるかと悩む週末も、
突如、土日ともやることがなくなって困る季節。

アウトドアの趣味を見つけたいという声は聞くけど、
自分の場合はインドア趣味が欲しいかもしれない。



短い歴史に終止符が打たれるのも、遠くないかもしれない。
関西独立リーグ3球団、選手給料全額カット。
独立リーグの選手は一応プロ選手だ。
プロとは、それで飯を食っていける人達のこと。
ボランティアでプレーする選手達をプロとは呼べない。

選手達に大きな非があるとは思えない。
短期間でこれだけ資金面でどうしようもなくなる経営とは、
そもそも一体どのような採算を目論んでいたんだろうか。


例えば、この明石にあるチームもそのひとつなのだが、
1000円という入場料(大人)に驚いた。
社会野球にも届くか届かないかというプレーレベルに、
設備も整っていない地方のグラウンド。
それでいて、プロ野球に引けをとらないこの値段設定では、
観客数がほとんど数十人止まりなのも頷ける。

野球好きな自分でさえ、行こうとは思わないのだから。

人が入らないから広告的魅力も無く、スポンサーが撤退する。
資金のないチームには入団希望もなくなってレベルがさらに落ち、
魅力のないプレーにファンが離れ、人がさらに球場に来なくなる。
その悪循環に完全にはまってしまった。


その流れに楔を打つためにも、強く提言したい。
今からでも、入場料を半額にすべきではないだろうか。


「感動できるプレーでお客さんを呼び戻す」
選手達からはそういう声も聞こえるようだが、
ハッキリ言って、実際はそういう問題じゃない。
そもそも、プレーの質でお客さんを呼ぶ類のリーグではないのだから。
プレーの質ならプロやメジャーで事足りている。

夏の甲子園をみればいい。
高校生のプレーにも関らずあれだけ観客がはいる要因は、
外野入場料無料という要素が、間違いなく大きい。
入場料こそ直接収入にならないかもしれないが、
そのおかげで観客が席を埋め尽くして大手スポンサーがついている。
おそらく、もし入場料を外野1000円もとっていたら、
この国民的イベントでさえ、観客数半減では済まないはずだ。


無料、もしくはせいぜい数百円程度で
地元の人がフラッと立ち寄れる憩いの場。
自分達の息子のプレーを近所まで応援しに来るかのように、
気軽に覗き寄れる場を、まず、目指して欲しい。
初期投資だと思って、数試合無料にしたっていいじゃないか。
そうすれば、観客数は一気に数倍にはなるだろう。
(どうせ、1000円×数十人の数万円の小金にしかならないのだから)

『ファンあってのプロ』とはよく言ったもので。
そのファンは、金を払ってでも観たい高レベルのプレーか、
レベルは高くないがついつい立ち寄りたくなる親近感か、
そのどちらかの上にしか成り立たない。
もういちど、"本当の地元チーム"を目指してスタートし直してほしい。

帰ってきた” がんばろうKOBE ”

2010-06-03 01:38:07 | 野球コラム

朝から近所の大型ゴルフ打ちっぱなし。
ここは250ヤードの広さもさることながら、
何といっても、スウィングスピード&推定飛距離計測機能付という凄さ。
東京でこの施設なら間違いなく2倍以上の値段はついてる。
そして、54m/sを計測した俺は思った以上にやるなと思った。自画自賛。
そして、相変わらず抜群に安定感はない。当然。

ゴルフが飛距離だけ競う競技ならいいのに。



ファンも選手もBlueWaveのロゴの入ったユニフォームを纏い、
スタッフの背中には「がんばろうKOBE」。
3万4000人超満員に膨れ上がったスタンドからは当時の応援歌がこだまし、
選手の登場時には90年代中頃の曲が流れ、
あの特徴的な男性DJのアナウンスが響く。
そのノスタルジックな空間に、少し胸が熱くなった。


日曜日、神戸にブルーウェーブが帰ってきた。


特にファンではなかった自分にとっても、
オリックスは今でもブルーウェーブ。
本拠地は京セラドームでもスカイマークスタジアムでもなく、
今でもグリーンスタジアム神戸と呼びたい。
投手は金子や平野ではなく、野田や小林だし、
助っ人外国人なら、カブレラではなく二ールやD・J。
彼らが一番輝いていた90年代中頃は、
自分が一番プロ野球に夢中になっていた時代だった。


普段ガラガラのスタンドが、突如、
日本シリーズでもないんじゃないかというくらいの混雑。
長蛇の列の先に辿り着いた球場は結局満車で、
わざわざ最寄の駅に行って電車に乗ることになろうとは。
自分達みたくイベントを知らず球場に来た人は、
オリックスに一体何が起こったんだと驚いたことだろう。
それも、よりにもよってヤクルト戦で。

逆に言えば、あの頃夢中になりながら、
この15年でメガホンを置いたファンがこれだけいたのだ。
地元の人達がこうやって球場を埋め尽くし、
ブルーウェーブを応援する光景は、一瞬だけ帰ってきた古き良き思い出。
それはちょっと感動的で、ちょっと寂しい儚さでもあり。

いつまでも阪急ブレーブスを懐かしむ人達の気持ちが、
自分にも痛いほどわかった気がした。


それにしても、どうでもいい話だけど。
この日の相手チームの弱さは一体・・・

不況の中で、野球選手の年棒に。

2010-01-18 21:30:17 | 野球コラム
野球シーズンオフの年末年始。
誰がピッチング始めただとか、
誰が誰と何処でと自主トレしてるだとか、
そんなことまで気になっていたのは昔の話。

その代わり、今年は、
例年特に気にならないことが、すごく気になってしまった。
選手の契約更改だ。


例えば、サラリーマンが死ぬほど働いて、
実際に営業成績トップで貢献しました!と訴えたところで、
むしろ賃金DOWNにボーナス無し。
しかたがない、そういう御時世なのだ。
クビにされないだけでも良かったくらいだよ、と。
それが今、普通に社会で働く人の感覚だと思う。


しかし、彼らだけは、
いつ何どきにおいても特別な存在のようである。

「希望額との開きにガッカリしました」
「サイン?勿論しませんでした」
そういう彼らの姿に、これまでは、
それほど違和感を覚えたことはなかったのだが、
今年ばかりは、その異様さを感じられずにはいられなかった。

いや、正直にいおう。
ちょっと怒りにも似た感情だっただろうか。



彼らの世界が雇用保証のない完全実力主義であり、
他の職業よりも影響力が大きいことは理解している。
だからこそ、自分もこれまでは、
ヒット1本・奪三振1個で数百万だとかいう異常な世界にも
それなりの価値のあるものだと思ってきたのだ。

しかし、彼らのその馬鹿げた年棒を支えているのは、
ファンの入場料であり、中継受信料であり、
親会社で汗水垂らしてサービス労働に耐える、何万もの労働者達である。
その労働者は、成果を出しても何の恩恵もないどころか、
今や、生活の域にまで保証のない苦境に立たされている一方で、
「3割打った」「沢村賞とった」から当り前だ!
と言わんばかりに、何千万何億もの給料アップを要求する。

まるで、世の中など自分達には全く関係ないかのように。



お金の話になると、決まったように彼らは言う。
自分達の年棒がドンドン上がることで、
野球選手という「夢」を子供達に与えたいのだ、と。
だから金額にも妥協するわけにはいかないのだ、と。

思い上がりも大概にしてほしい。

ならば、年収数百万に過ぎないその他99%の仕事は、
子供達に夢を与えていないというのだろうか。
グラウンドの少年少女達は、何億もの金を稼ぎたいがために、
毎日毎日必死で白球を追っているのだろうか。
また、副業無しでは生活すらできない独立リーグの選手達や、
何年間もの努力の結晶で日本中を沸かせながら、
ほぼ金銭見返りのない五輪選手達は、一体何なのだろう。



ほとんどの球団経営は真っ赤にも関らず、
奇妙にも選手達の人件費や待遇は、不釣合に上がり続ける。
親会社で一般労働者が懸命に稼いだ汗を
広告費という名で、当然のように流してもらっているお蔭だ(※)

どうしても高給水準が譲れないというのなら、
親会社の一般職員の屍の上にアグラを掻くのではなく、
自主的に街頭でビラを配るなり、毎日全員でサイン会をやるなり、
必死こいて自分達を自分達で売り込んで、
球場を連日満員にしたらどうなんだ、と言いたくなる。
できなければ自分達の給料を甘んじて抑える。
薄給の独立リーグの選手達でさえ、そうやっているじゃないか。



今はまだ、そこまで厳しい声は少ないかもしれない。
しかし、もしこんな日本の状況が長引いても尚、
王様待遇を当り前とするような姿がTVに映し出され続ければ、
ファンの目は冷めたものとなっていくだろう。

それでも彼らは、自分達を、
「皆に夢を与える存在」だと言い続けるつもりだろうか。



(※ 親会社の支援に頼らない完全独立採算制をとっているのは広島カープのみ。
  そのことで、数少ない黒字経営球団でありながら、
  給料が"一般常識の範囲内"に留まってしまうのだが・・・)

松井=にしこり、らしい。(ヒント:顔)

2009-12-15 18:22:28 | 野球コラム
松井秀喜がLA・エンジェルスと契約合意。
1年契約650万ドルというのだから、
これでもしもMVPを獲ってなかったら
どんなけ安売りされていたのだろうか、というもの。

というわけで例のごとく、
MLB公式HPの本ニュースのコメント欄を覗いてみたところ、
LAファンからは熱烈な松井歓迎っぷり!
・・・とまでは、残念ながらいっていないようである。



というのも、今回の松井移籍に伴い、
今年契約切れ状態のゲレーロの移籍が決定的となったからだ。
このゲレーロという選手を簡単に紹介してみると、
「ドカベン岩鬼」と「ストⅡブランカ」を足して割ってほしい。
そしてそれを190cm100kgのドレッドヘアにしてもらえば、
ほら、怪人ゲレーロの出来上がりである。

つまりは、超怪力、超バカ肩、超悪球打ちの真正野生人なのだ。
(選手間の強肩外野手投票で唯一、ICHIROの上にいた選手)
クソボール球だろが何だろうが、お構いなし。
本能的に何でも超フルパワーで振りに行く。
だから投手も3分の2以上はボール球で勝負してる、ハズなのに、
毎年30本塁打どころか3割3分も残す、規格外モンスター。
超ド級の強肩も、どこに飛んでくか本人にもわからない、
やはり規格外モンスターなのだ。

と、いうのは、しかし全盛期の話で、
30を過ぎてからは徐々にスケールダウン、最近は専らDH専門。
今期は12年(!)続けていた打率3割も.295で切り、
本塁打も2年目以来となる10本台に終わっている。
確かに、投手にしても野手にしても、
超人運動能力タイプの下り坂は傾斜がキツイ、という傾向を考えれば、
エンジェルスの判断は英断となりうる、ような気もする。

( とはいえ、今年を除けば、昨年の.303 27本がいずれも
3年目以降11年間のキャリアワーストだったのだから凄まじい。。)



そんな選手だけに、

 " 松井・・・?なんでVlad(ゲレーロ)と再契約じゃないんだ!"
 " yankeeの箱庭での成績だろ?Vladとじゃ比較になんないよ!"
 " トニー(GM)!今すぐペンを置け!サインするんじゃない!
   ラッキー(エース)獲られんのに松井獲ってる場合か! "

なんて、風潮の声が多いのも仕方がない。
一方で時々、ヤンキースファンから、

 " 天使モタもちつけ!
  おまいら にしこりはやれないと思っているのか?
  ゲレーロ翁はもうだめぽ...ι´Д`|っ
  にしこり逝ったら漏れ糞かなしす ノシ"
                   (※注 テキトー○ch語風訳)

みたいな惜別の声もあったりもする。
もちろん、HPの書き込みなど一部の声に過ぎないのだけど、
もし、日本のメディアがLAは松井歓迎ムード一色!
という報道をしていたら、それは嘘だと思った方が良さそうだ。
新天地では結果が全て、これからだろう。

ただ、個人的に危惧することがひとつ。
松井に赤って激しく似合わないんじゃないかと・・・。

Baseball is just a Game

2009-11-22 21:40:15 | 野球コラム
"Baseball is just a Game"
(野球なんてただのゲームに過ぎないんだ)

これは自分が今年、
MLBの記事で強く鮮明に覚えている一文だ。

今年4月、開幕まもなくの頃、
エンゼルスのNick Adenhartという弱冠22歳の投手が、急死した。
6回無失点というキャリア最高の投球を披露し、
自分も周囲もこれからがスタートだと信じた矢先、
見知らぬ飲酒運転ドライバーの暴走による悲劇だった。


翌日、多くの選手が彼の早すぎる死を悼み、
ファンは次々と哀しみと憎しみを言葉にした。
そんな中、同僚のトリー・ハンターはクラブハウスでこう話したという。

"A lot of these guys in here have never lost anybody in their family
that's close to them. I hate that this happened, but this is part of life.
This is the real deal.That's why you've got to kiss your kids,
kiss your family every day when you get up in the morning and before you leave for work."

『皆の多くは、身近な家族を誰1人失ったことなんてないだろう。
 こんな出来事は、絶対に起こってほしくなんかない。
 でも、これも人生の一部なんだ。起こりえる現実なんだよ。
 だから、皆、家族や子供達に毎日キスをするんだ。
 毎朝目覚めた時にも、家を出て仕事に向かう前にもね』


"Baseball is just a Game"
人の命の前では、ただの球遊びでしかない野球。
メジャーリーグ公式HPのトップとして
大きく載せられていたこの言葉の何かが、自分の心に残った。
野球、いや、多くの人間に置き換えれば『仕事』となるのかもしれない。
命の前では、その『仕事』がどれほどチッポケな存在なのか、
一番最初に大事にしなきゃいけないものは何なの?

そう問うてるようにも感じた。

他の国は知らないけれど、
少なくとも日本では結婚式にしても葬儀にしても、
個人を賞賛する時に先ず出てくるのは「仕事」なのだろう。
「仕事は優秀で会社に貢献し、人望も厚く・・・」
また、不幸にも事件や事故で子供の命が奪われれば、
学校は「成績は優秀で・・・」と判を押したように応える。


元マリナーズ・城島の突如の日本帰国のように、
「家族」という理由で野球を突然やめたり、
チームをあっさり移籍することは、米国では珍しいことではない。
そして、ファンである国民も、
そんなことは当たり前のことだと思っている。

当然、仕事もその人の人生の大きな一部であるし、
人格の形成だって大きな影響を与えるだろう。
生きていくためには欠かせないものであり、
懸命さなくして決して成功しないのも、そのとおりである。
しかし、それでもやはり、所詮は命の「一部」に過ぎないのだ。

命そのもの、もしくは、それに限りなく近い家族の存在。

それに比べれば、決して、
『人生の全て』なんてものはないだろう。
いや、そもそも比べることが間違ってはいないか。

そんなアメリカ人の意志を、ここに感じられた気がした。

岩村移籍。と、季節外れ。

2009-11-05 20:16:35 | 野球コラム
1泊2日の寒波とはよく言ったもので。
前日の最低気温が、翌日の最高気温。
そんな日にも袖無し・短パンでテニスに向かうのは、
別にやせ我慢をしているわけじゃない。
どうしても運動の際には、
腕にも足にも袖があると早く動けない気がするのだ。

暑ければ涼しげな、寒ければ暖かな格好を。
そういう懸命な判断を下せる社会人の年齢にもなると、しかし、
こういう格好は"少々"浮いてるような感は否めず。
そして実際、動きが止まったときは"少々"寒いわけで。

早く夏が来てほしいと思う秋。



"class"という単語は名詞で、「クラス・階級」。
しかし例外的に形容詞的に使うと、
「優秀・品格高い」という意味で使われる。
今回の岩村の電撃移籍のニュース。
球団HPコメント欄には、彼へ向けたこの単語が溢れている。

決して優秀とまではいえない成績の岩村が
地元で評価を上げたのは、そのチームプレー精神からに他ならない。
当初三塁手として自負をもって渡米し、成績も残しながら、
チーム事情から突如セカンド転向を打診された時にも、
「チームのためなら何でもやりたい」と快諾。
そうした姿は、掛値抜きの賞賛を浴びたという。


個人主義と言われるアメリカだが、
だからこそ、時に日本以上に、
自己犠牲や謙虚という言葉に敬意が払われる。
松井秀や井口、田口、岩村の地元人気が
絶対的な成績を残すイチローにも引けをとらなかったのは、
そういう姿によるものなのだろう。

(逆に、イチローは真逆のイメージが強い。
 が、実力と実績で認めさせてしまっている感がある。)


ただ、個人的には、
このまま自己犠牲の選手では終わって欲しくないと思う。
数こそ少ないながら、時に見せる、力ある流し打ちをみれば、
本塁打もヤクルト時代の半分は打てるはずだ。
昔から走力の割にあまり積極的ではなかったが、
盗塁も稼ぐ気さえあればもっといけるだろう。

悪気はないのだろうけど、向こうの記事で
彼の日本時代の華々しい成績を載せてくれているのをみると、
「メジャーでもこれくらい打てるってとこ、見せてやってくれ!」
と、口惜しく思ってしまう自分がいる。
しょうがない、日本人なのだから。


わずか10年ほど前、
向こうで少しでも通用すれば歓喜のあがった時代とは、違う。
イチローが初安打を記録しただけで騒がれた時代とは、違う。
海を渡る選手達へのファンの期待は、
申し訳ないことに勝手に膨れ上がってしまっているのだ。

class player、模範的プレーヤー。
日本人としてある意味誇らしい響きでもあり、一方で、
「いい人」に似た、どこかで突抜けきれない物足りなさも感じる。

それはファンのエゴ。
でも、新たな環境で、もっと応えてくれることを期待したい。


Ichiroにはみえない、引き際の美学。

2009-09-14 23:24:13 | 野球コラム
ふと思った。
もしもこれが、もしあの新庄ならば、
ひょっとするとここで宣言するんじゃないだろうか、と。

スーパースターの去り際には2つある。
ボロボロになって引退する人と、
絶頂期のまま枯れた姿をみせることなく引退する人。
その大きな違いは、人々の記憶の中でどういう姿で生き続けるか。
絶頂期で引退した山口百恵や、若くして亡くなった夏目雅子は
今なお、人々の中で若きアイドルのままであり、
反対に、何十年も活躍し続ける元アイドル達はいずれ老い、
アイドルというイメージでは語られなくなる。


王貞治は最後も31本の本塁打を放ち、
大野豊は晩年にして抜群の防御率と140キロ以上の速球で
打者を完璧に封じながら、グラブを置いた。
他競技では、あの中田英寿もまた、
スーパースターとしての姿を永久に残したまま去った。

一方で。こちらは枚挙にいとまがない。
かつて三冠王を二度もとった落合は、
最後は2割3分 本塁打も2本の打者として現役を終えた。
わずか数年間で伝説的な活躍を見せた、
伊藤智仁の最後のストレートの球速は、わずかに109キロ。
史上に残る強肩・古田はセカンドまでもボールが届かなくなり、
清原は140キロに振り遅れて掠りさえしない姿を残し。
そしてあの野茂英雄もまた、最後は18.69という防御率、
そしてヒッソリと表舞台から姿を消した。


どちらがいいというわけじゃない。

ただ、イチローがもし今引退を表明すれば
彼はどのようなイメージで残っていくのだろう?
ふと、そう思ったのだ。

"もし"ならば、恐らく。
2001年嵐のように現われ、その全てのシーズンで
200本安打にゴールドグラブ賞にオールスター、
その他数々のアンタッチャブル・レコードを打ち破るだけ打ち破って、
颯爽と去った神秘的な日本人選手として記憶されることだろう。


こんなことを今から言うと、怒られるかもしれないが、
彼も必ず、いつか200安打を打てなくなる日が来る。
打率も3割をいずれ切るだろうし、盗塁も一桁に落ちるだろう。
エリア51と呼ばれた面影は大人達の昔話となり、
イチローといえば1塁やベンチ選手、となる時もくるかもしれない。
そしてマイナー落ちや戦力外通告すらも、或いは。

そうなってから辞めた時。
そしてそうなってから長ければ長く続けていたほど、
イチローという響きからスーパースター性は失われていくだろう。
もちろん、記録として残った数字をみれば
そうであったことは"一応知識として"知りえるのだが。


そこでもし、あの新庄ならば。
そんな去り方はしないんじゃないだろうか、と。
普通、この絶頂期でバットを置くなんてできない。
だからこそ、"常人離れ"というカッコよさを極限に求めた彼ならば、
「今が最ッ高の引き際じゃない!」と言うのかもしれないのだ。
そしてそんな引き際もまた、決して否定はできないと思う。

もちろん、50歳まで現役でいたがっているこの選手が
万に一にも、ここで引退宣言などするはずもないのだが(笑)

小林雅英にみるセーブの意味

2009-05-18 16:18:11 | 野球コラム
インディアンス・小林雅英の戦力外。
多くの人が不安視していた通り、
もともと、特に制球がいいわけでもなく、
縦や緩い変化球もなく、150キロ"近い"直球と両横の変化のみ。
流石に向こうでは苦しかったということだろう。
日本では200セーブという数字を残しているにも関らず。



「セーブ数自体は、あまり多くの意味を持たないのかもしれない」
野球データ先進国アメリカでは近年、そんな声も出始めている。

いきなり結論からいってしまえば、
チーム貢献度が最も高いのはクローザーではない。
間違いなくセットアッパーだ。
何故なら、彼らの出番は"常に"過酷だからである。
僅差リード・ビハインドでの登板は言うまでもなく、
同点かつランナー付でバトンタッチされることも多々。
つまり、失点、いや、往々にして安打や四球すらも許されない。
3点台程度の防御率では、決して務まらない役割なのだ。


それに対して、
極論、クローザーは勝てさえすればいいのである。
失点の有無自体はさほど問題ではない上、
そのセーブ数の大半は、実は2点以上リードの登板によるもの。
さらには、ほぼ9回限定、それもイニングの頭からだ。
登板のタイミングが日に日に異なる上に
ロングリリーフも求められるセットアッパーと比べてしまうと、
かなり好待遇な登板と言わざるを得ないと思う。



球団数の多いメジャーでは、
リベラやパペルボン、LA時代の斉藤隆のように、
真の意味で絶対的なクローザーがいる一方、
防御率4点台、時に5点台のクローザーも少なからず現われる。
それでも案外、チーム力次第で30S程度は残せてしまうので、
FA市場でそれなりの評価を得たりもしている。

しかし、考えてみたい。

先発でもなく防御率3点台4点台の投手といえば、
ごくごく平凡な中継ぎ投手だ。
さらに5点台にも近いともなれば、本来は、
ギリギリ敗戦処理で残れるレベルと言わざるを得ない。
が、セーブ数という数字がついているだけで、時に一流と評される。
貧乏球団アスレチックスの名オーナー・ビリーは言う。

「クローザーなんて大体誰にだってできる。
 ならば、無名投手にやらせてセーブ数だけ荒稼ぎさせてやれ。
 それだけでオフには、"実は平凡レベルの投手"が数億で売れるのだ。」



やや大袈裟に表すなら、
セットアッパーは、ガンガン燃え盛る炎の鎮火役。
クローザーは、ほぼ消えかかった小火の完全消火役。
勿論、小火も油断すれば大火事になりかねないが、
そのチーム貢献度の差は比べるべくもない。


小林雅英は、日本では常にクローザーだった。
何年かを除けば、彼は「劇場型」と揶揄されるように、
決して絶対的に相手を封じる投手ではなかった。
ある意味で、失点や安打を許されるという条件のもとで、
ようやく数字を残せる投手だったのである。
ところが、彼がメジャーに求められた役割が
セットアッパーに近いものだったことが、不運だったように思う。



昨年、半世紀前にセーブという概念を考案した、
ジェロム・ホルツマン氏がこの世を去った。
このセーブという基準によって、
初めてリリーフ投手にも光が当てられたのは事実であり、
その功績により、彼のレリーフは野球殿堂に飾られている。
しかしその一方で、
彼は晩年、このような言葉も残していたという。

" セーブという無意味な基準を、私は作ってしまったのかもしれない "