まもなく「終戦の日」(8月15日)。同じ過ちを繰り返すまいと、ことしも平和を語る集いや戦争遺跡巡り、戦争関連の資料展などが各地で企画されています。
僕も、戦地に散った兵士たちの遺品などが常時展示されている「愛知平和記念館」(名古屋市中区3の丸1丁目)を訪ね、平和への誓いを新たにしてきました。
「愛知平和記念館」は、愛知県護国神社そばの桜華会館3、4階にあります。4階の展示室はさして広くありませんが、戦没者の遺族から寄せられた遺品や、サイパンやレイテ島での遺骨収集で発掘した品などが並び、戦争の悲惨さを生々しく伝えてくれます。
日本軍が玉砕したフィリピン・レイテ島で使われた92式重機関銃、船首部分に爆薬を装填して敵艦に体当たりした水上特攻艇「震洋」の模型、弾丸が貫通した穴の空いたヘルメット、軍刀、銃剣、拳銃、防毒マスク、手榴弾、鉄兜、軍靴、カメラ等々。
大本営が連合艦隊に対して、1941年12月8日にハワイ・真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃することを命令した暗号電報「新高山登レ 一二〇八」(にいたかやまのぼれ ひとふたまるはち)や、奇襲作戦が成功したことを報告する略号電報「トラ・トラ・トラ」のコピーも展示されています。
展示物の一つひとつを厳粛な思いで見て回りましたが、中でも重く受け止めたのは戦死した兵士たちが戦線で身につけていた遺品です。
腕時計、軍隊手帳、万年筆、水筒、茶碗、飯盒(はんごう)、軍服、軍帽、腰巻、数珠、それに奥さんや肉親、友人たちからの武運長久を祈る日の丸や寄せ書き、慰問袋など。遺品のいくつかは、いまだ消えない血で染まっています。
遺品のそばには、それらの持ち主だった兵士の戦死通知が。辞世の歌も胸を打ちます。
指先でつまめそうな金属片らしいものがありました。説明書きによれば、軍旗の竿頭に付いていたもので、玉砕戦の中でも「部隊の命」は守り通した証(あかし)というわけです。
ここに展示品の写真を掲載することはできません。
戦争遺品の写真は、これまでに僕も何度か目にしたことがあるので「撮影禁止」の文字に一瞬がっかりしましたが、すぐ納得しました。
展示品のひとつ一つを絵画展の作品などを見るよりも、はるかにじっくり見ている自分に気づいたのです。沖縄、長崎、広島などの資料館でも実感した「実物を目にすることのすごさ」を改めて知った次第です。
また、ここでは展示品の説明なども基本的なデータだけで、過大な文章などは見当たりません。
これも納得です。遺品そのものから平和への訴えが伝わってくるからです。
大空襲や戦後の生活困窮など戦争被害を思い起こすことと同様、遠い戦地に散った兵士たちの命に思いを馳せることは、極めて大切なことだと改めて思いました。
愛知平和記念館のある名古屋市中区3の丸地区は名古屋城などに近く、強い日差しから守ってくれる緑も豊かです。
入館料は無料。土曜・日曜・祝日は休みです。
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