キョンシー太郎の日誌

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

嘘のようなほんとの話〜阪神優勝の立役者は私?笑

2023-11-10 14:19:00 | 日記
今年は阪神タイガース完全優勝🏆
ほんとに凄かったですね。ペナントレースを見てみると3割バッターがゾロゾロってこともなく、ピッチャーもスーパーヒーローがいない。なのに、なのに、こんなチームがほんとによく頑張ってくれました。まあ、岡田采配の素晴らしさなのかな?選手にプレッシャーをあたえない、のびのび野球。⚾️今回の日本シリーズでシリーズ打率4割8歩3厘という素晴らしい活躍をみせた近本選手。。なにを隠そう、彼は私の大学の体育会硬式野球部の後輩になります。(ちょっと自慢)ただし、私の場合は、玉拾い1年して、退部してしまってますが、💦
当時はグラウンドをアメリカンフットボール部🏈KGファイターズと野球部⚾️がフェンスもないグラウンドで共存して練習って感じでしたが、一年坊主(ほんとに坊主)の私は主に当時日本一、二位を争う実力のアメフトの練習の邪魔にならないよう。ライト側のフェンスがわりをしていました。網のないグローブに硬球一つ挟み込み、ボールがくれば、補給と同時に持ってた球をコロコロ、、いわゆるフェンスがわりです。(当時はT監督が就任したあとで、お前ら皆グラブの網はずせ、と、いわれ、網なしで硬式野球してました。まあ、ゴロをとる意外は意外に捕球できるものです💦)そんな、虐げられた野球部時代でしたが、ある寒い日の夕方、フリーバッティングのときでした。
私はネクストバッターズサークル、当時同僚のYくんの打撃練習のときのこと、、
『バンドお願いします』と、フリーバッティング時には1球目はバンドすることになっていました。その後、カキーン。少し鈍い音で打球は詰まりながら前方へ、、
当時、私たち一年のへたくそは、バットの芯になかなか当たらず、たまにバットを折ったりしていましたが、今はなき難波の大阪球場のところにあった、『たまざわ』で、あっ、野球部仲間ではたまざわのバットはちょっと人気だったのですが、そのお店で私は普通の硬式用バットと竹バットを購入していました。このフリーバッティングでも、とばないですが折れにくい竹バットは超人気笑。Y君は私の竹バットで打撃練習。そんな場面でした。普通のバットなら折れてたかも、の打球。。。
その後、彼は続けてバッティング。
『バントお願いします』
『バントお願いします』
『バントお願いします』
ん??私が不思議に思っていると、
ついに3分の打撃練習終了。。
私は、戻ってきた彼に、、
『なにしてんねん』当然ききます。
『1球打ったときに手が痺れて、バットなんてふれない、なので、ずっとバントしてた』と、、笑笑。
それからしばらくして、私は野球部やめてしまったんですが、彼は最後の4年まで、必死で頑張ってたみたいです、最後の年、当時、関西の二位だったのですが、近畿リーグで優勝、そして、京滋リーグと阪神リーグの覇者との闘い。そして勝ち抜き、ついに1部の最下位と入れ替え戦。。
終盤まで緊迫した場面がつづいたようですが、最後の最後に代打Yくん。。
そして、、スクイズバンド。成功。。
そして、1部昇格。。。
いいぞ〜Yくん。。。
あのときのバンドお願いします、が役にたったのか笑。。
この年、関西学院1部昇格と同時に、関西六大学は関東のように固定制に。。
非難轟々、だったとも。。
このあと、セレクション復活。。
大リーガーになった田口選手など輩出したあと、、
今回の近本選手入学。。そして、実業団を経て我が阪神タイガースへ、、
あのとき、私の竹バットをY君が使わなけば、、普通にバットも折れ、手もそこまで痺れることはなく、バントのエクスパートになれたかどうか、、
そう、私のたまざわの竹バットがあったからこそ、学校が1部に昇格、そして有名選手がとれるようになり、近本選手が誕生したわけです。。
今回の阪神タイガース日本一の立役者は、、ひょっとして、、あの、、
『タマザワの竹バット』??笑