イラスト講義日本史

旧「歴史のじょーせき」。日本史が好きになってほしいという気持ちから、イラストつきで講義するよ!

(続)浦賀に来たのはペリーだけでない

2011年03月31日 08時12分08秒 | 幕末

昨日の記事「浦賀に来たのはぺりーだけでない」の続きです。

浦賀っていえば、ペリー。ペリーっていえば「黒船」。
浦賀のある横須賀には、上のようなご当地キティちゃんがあります。


しっかり「黒船」。

楽天などでは品切れですが、横須賀中央駅に隣接するモアーズのキティちゃんショップにはちゃんと売ってます。

ペリーが来航したのは1853年ですが、
その7年も前にビッドルというアメリカ人が来航している。

肩書きは、アメリカ東インド艦隊司令長官
ペリーとまったく同じ。

なのに、なぜ、こんなに無名なのか?
(入試では出るけど)

それは、簡単に帰ってしまって、何の成果もあげなかったからである。

ビッドルの浦賀来航は1846(弘化3)年。
その4年前に、かの有名なアヘン戦争1840年~)が終結している。

アヘン戦争に勝ったイギリスは、負けた清(中国)に、「南京条約」という不平等条約を清(中国)に押しつけた。
それは有名だが、このあとアメリカもちゃっかり清に同じ内容の不平等条約を押しつけるのに成功した。

なんと、ビッドルは、アヘン戦争に何の関係もない日本にも、
不平等条約を押しつけようとしたのである。

当然、日本は拒否するよね
ってか、そもそも
鎖国”を「祖法」としているのだから、開国自体、拒否だけどね。

これに対し、もし、ビッドルが、イギリスのようにいちゃもんつけて、
日本に戦争をしかけるようなことをしていれば、
ビッドルは日本史上著名な人間になっていただろう。
(…ってか、日本がなくなってたかもね

ところが、彼は、「辛抱強く、敵愾心や米国への不信感を煽ること無く」交渉することが求められていたため、結局、すぐにあきらめてしまったため、
日本史上、著名な人物になり損なってしまったワケだ(入試には出るよ)。

ところが、この年、難破したアメリカ捕鯨船の船員が日本人に捕まり、長崎に抑留される事件が起きる。
アメリカ海軍は、この船員の引き渡しに対して、かなり強引な姿勢をとる。
そうすると、かたくなに“鎖国”を「祖法」と言っていたハズの日本人が、
いともかんたんに折れたそうだ。
(詳細は、「wiki「東インド艦隊(アメリカ海軍)『グリンによる…』」参照)

勇ましそうに見えて、実は腰砕けの日本人の姿をみて、アメリカ側は、日本への対応を改める。
敵愾心や不信感などあおっても構わない、
力をもって、脅しにかかろうっていう対応にね。

そのような前提があったから、
1853年に浦賀に来航したペリーは、軍艦の大砲を使った脅しの姿勢をとったわけだ。
これを「砲艦外交」と呼ぶんだそうだ。

黒船、ペリーをもじったアクセサリーやキャラクターをつくったり、
黒船、ペリー来航を記念するお祭り(久里浜ペリー祭よこすか開国祭など)をするけど、

黒船の砲艦の圧力の下での開国は、日本にとっては屈辱の歴史なんだよね

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浦賀に来たのはペリーだけではない

2011年03月30日 06時43分36秒 | 江戸時代と現代


ここは神奈川三浦半島。
向こう岸は房総半島。
浦賀水道」という海峡である。
(なお、海峡と水道には特に厳密な差はない)

でも、ここは東京の玄関口だから、実にたくさんの船が行き交う。
江戸時代も、花のお江戸の玄関口なので、中期以降、浦賀奉行という役所が置かれた。

だから、外国船が江戸に迫るなら、まず、この幕府の出先機関に訪れるわけである。

1837(天保8)年には、アメリカの商船モリソン号が浦賀に来航して、打ち払われている。
この事件を「モリソン号事件」と呼ぶ。

このモリソン号は非武装だし、日本人の漂流民を連れてきてくれているし、
相手は善意なんだよね。
それをよく調べもしないで、打ち払っちゃうなんて、ひどいよね

やっぱり、江戸時代でも、そういう「お上」の姿勢を批判した人たちがいた。

それが、渡辺崋山高野長英である。

しかし、幕府は、その批判を受け入れるどころか、「お上を批判するなどけしからんっ」と、ふたりを処罰してしまう。
(1839(天保10)年の蛮社の獄

相手の善意を簡単に袖にしたっていえば、
福島第一原発の事故処理について、フランスが原発事故処理専用ロボットの提供を申し出たのに、東電がことわったそうだ。(記事概要はこちら

放射線量の多いところで、生身の人間に「決死」の作業をやらせるくらいなら、
遠隔操作できるロボットを使った方がいいに決まっている。

もしかして、東電幹部にはフランス語の説明書を読める技師がいなかったのか?

それこそ、「決死」の覚悟で訳せ!

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「輪番」ってどうも仏教用語だったらしい

2011年03月29日 04時12分36秒 | 古代・中世と現代


これは、わが地元の町会の掲示板に貼ってあった計画停電の表。

5グループでぐるぐるとまわり持ちするので、「輪番停電」ともいう。

ところで、この「輪番」って言葉を『広辞苑』で調べたら、寺院社会で用いられた言葉なんだそうな。

要は、寺院の事務を司る僧の役職を、複数でぐるぐるまわりもちすること。
そして、その事務を司る僧の役職そのものも指すらしい。

ネットで「輪番 寺院」で検索するといろいろヒットする。
どうも、寺院世界では「輪番」という用語は、現在もごく自然に使われているみたいだ。

彼岸寺β」という、インターネット寺院がひっかかったが、そこでは、複数の僧が交代で記事を書いている。
フツーなら「新メンバーのごあいさつ」と書きそうなところを「新輪番のごあいさつ」と称するところが、
なんか、妙にお寺ちっくで、ワラエてしまった

 →該当記事「日々是好日」はこちら
 →彼岸寺βトップページペはこちら(これ、存在自体、超面白い。一見の価値あり

 みてくださった方はおわかりになったと思うが、
 日記的記事「日々是好日」のトップイラスト…口から棒つきの阿弥陀様5体が出ているイラストなんだが、このモデルは、平安時代の僧
 空也(くうや)上人である。

 なお、「空也上人像」は受験生泣かせの作品である
 (おっここで、がぜん、受験日本史くさくなった

 空也ご本人は、平安時代の「国風文化」に属するが、
 彫刻としての「空也上人像」は「鎌倉文化」に属するからである

 作者康勝は、かの有名な運慶の子である

 運慶一派(正式には「慶派」と呼ぶ)には、長男の湛慶、三男康弁、四男(前述の)康勝…と、運慶二世が沢山入っている。
(しかも上記の三人はみな単独で入試に出る

受験生の方に申しておきたいが、日本史で受験する以上、
文化史というものは逃げられない。
しかも、古代・中世の文化には、美術作品にまで仏教思想の影響が大である。

どうせ、やらなきゃいけないのなら、
「オレ、仏教キレーだから」って言って逃げるより、
「仏教って、オサレかもー」って姿勢の方が楽しいと思う。

そんなワケで、ちょっと異色のサイトを紹介してみた。

「彼岸寺の人々」(関わっている僧侶の方々)が、高学歴のがそろっていることも、
受験生の君たちには、モチベ・アップにつながるのでは
→「彼岸寺の人々」の該当ページは こちら

 最後に言いたい。

 知性ってのは、それで就職有利にしようとかそういう小さいことで終わるのではない。
 「真の知性は、それをそなえる者を真に幸福にするものである。」

 …えっ誰の言葉だって?
 私の言葉だよ。

 ほら、「彼岸寺の人々」の表情みたまえ。
 みなさん、幸せそうではないか?
 
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江戸時代の水道(上水)

2011年03月28日 14時13分58秒 | 江戸時代と現代


水道水の放射能物質のこと、取りざたされている。
だから、うちでは、愛するワンコたちには、市販のミネラル・ウォーターをあげている……

な~んてのはウソ!

これは、入れ物こそミネラル・ウォーターのボトルだが、中身はれっきとした水道水

さて、水道の歴史といえば、やはり、神田上水玉川上水である。

上水」というのは、飲用できる清水という意味で、井戸によらず飲用水を得た例は、
現在わかっている限りでは、戦国大名北条氏が早川から小田原城にひいたものが初見であるそうな。

有名な豊臣秀吉と当時配下にあった大名たちは、
かの有名な1590(天正)年の「小田原征伐」の際、この北条氏の上水に影響を受け、
その後の領国経営の際、上水をつくるようになったようだ。

徳川家康は、旧北条氏領国であった関東の大部分を継承したが、
なんせ、居城と定めた江戸は、海岸に近い湿地帯。
井戸を掘っても、塩分の濃い水しか得られない。

そのような背景から神田上水がつくられたと考えられる。

ところで、この上水は一般の家庭にまで届いていたのだろうか?
実は届いている。
しかし、当時は蛇口などない。

実は、「上水井戸」という井戸に送られ貯蔵されたのである。

この上水井戸は、大名屋敷や各町人の屋敷に、めいめいに設けられている。
…いや、たいしたもんだ。一戸一井戸か~………と、思うのは早い。

受験日本史の世界では、江戸時代の「町人」というのはかなり限定された存在で、
家持(いえもち)」と呼ばれる、自分の家を持つ階層だけを指す。

それに対して、土地を借りて家を建てる者を「地借(じがり)」
長屋などの部屋を借りる者を「店借(たながり)」と呼ぶ。

彼らは厳密な意味では「町人」には入れない。

長屋、特に表通りに面してない「裏長屋」などに住む「店借」の場合は、
さすがに一戸一井戸ではない。

長屋の奧に共同の井戸を使う。  →その様子はこちら

いわゆる「井戸端会議」の舞台になっているのは、このような井戸なのである。
地下水ではなく、上水であるというのはちょっとびっくりである

しっかし、さすが、身分制社会だねぇ。
水道の利用にも階層があるとは………

最近、垂涎のミネラル・ウォーターも、
特定の所には余るほどあるらしい

とあるメーリングリストで、
「私どものところにはおわけできる程たくさんあります。ご入用なら、一言おかけください」というメールが投稿されてあった。

私宛ではない。
だが、その当事者は、きっと、

「誰が、一言おかけするかいっ」って思うだろう。

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歴史に残る飲み会

2011年03月27日 10時53分45秒 | 古代・中世と現代


昨夜は土曜日。
趣味の囲碁関係の飲み会がありました。

最近、余震や誘発(?)地震などで「地震恐怖症」気味の私。
意外に気が小さい私は、
恐怖感を和らげ、気分を高揚させてくれる「飲み会」は大好き。

日本史で出題される「飲み会」に、
鹿ヶ谷の陰謀(事件)」がある。

これは1177(安元3)年に行われた後白河法皇の近臣たちの平氏打倒計画。

平家物語』でも出てくる
このとき、お酒を入れた口がすぼまった壺が倒れた。

この壺を「瓶子(へいし)」と呼ぶので、
その瓶子を“平氏”とみたてて、
「へいしが倒れたー」って大喜びする(はっきり言っておばかな)場面が有名である。

飲み会での謀議はだいたいうまくいかない。
密告者が出やすい。

この謀議も多田行綱という者の密告によって露見した。

入試に出るのは露見後の処罰者、特に藤原成親とその処罰の種類。

 ●西光(さいこう)→死罪
 ●藤原成親→備前国配流後死罪
 ●俊寛ら→鬼界ヶ島流罪

教養的には「俊寛」の後日談(「足摺」)の方が知られているが…。


さて、冒頭に飲み会の良さを書いているが、
飲み会というのはえてしてハメを外しやすいし、酔えばどうしても感覚が鈍くなる。

地震に限って言えば、
その不安を紛らわして九はくれるが、
一方でお酒に酔っているとき大地震が来れば………、

助かる者も助かるまい

不安っていうものは消したいけれど、
不安があるということは、それだけ慎重になっていることでもある。

お酒は控えたい。
(昨夜、飲み過ぎて電車を乗り越してしまったし

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