イラスト講義日本史

旧「歴史のじょーせき」。日本史が好きになってほしいという気持ちから、イラストつきで講義するよ!

浦賀に来たのはペリーだけではない

2011年03月30日 06時43分36秒 | 江戸時代と現代


ここは神奈川三浦半島。
向こう岸は房総半島。
浦賀水道」という海峡である。
(なお、海峡と水道には特に厳密な差はない)

でも、ここは東京の玄関口だから、実にたくさんの船が行き交う。
江戸時代も、花のお江戸の玄関口なので、中期以降、浦賀奉行という役所が置かれた。

だから、外国船が江戸に迫るなら、まず、この幕府の出先機関に訪れるわけである。

1837(天保8)年には、アメリカの商船モリソン号が浦賀に来航して、打ち払われている。
この事件を「モリソン号事件」と呼ぶ。

このモリソン号は非武装だし、日本人の漂流民を連れてきてくれているし、
相手は善意なんだよね。
それをよく調べもしないで、打ち払っちゃうなんて、ひどいよね

やっぱり、江戸時代でも、そういう「お上」の姿勢を批判した人たちがいた。

それが、渡辺崋山高野長英である。

しかし、幕府は、その批判を受け入れるどころか、「お上を批判するなどけしからんっ」と、ふたりを処罰してしまう。
(1839(天保10)年の蛮社の獄

相手の善意を簡単に袖にしたっていえば、
福島第一原発の事故処理について、フランスが原発事故処理専用ロボットの提供を申し出たのに、東電がことわったそうだ。(記事概要はこちら

放射線量の多いところで、生身の人間に「決死」の作業をやらせるくらいなら、
遠隔操作できるロボットを使った方がいいに決まっている。

もしかして、東電幹部にはフランス語の説明書を読める技師がいなかったのか?

それこそ、「決死」の覚悟で訳せ!

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