イラスト講義日本史

旧「歴史のじょーせき」。日本史が好きになってほしいという気持ちから、イラストつきで講義するよ!

江戸時代の水道(上水)

2011年03月28日 14時13分58秒 | 江戸時代と現代


水道水の放射能物質のこと、取りざたされている。
だから、うちでは、愛するワンコたちには、市販のミネラル・ウォーターをあげている……

な~んてのはウソ!

これは、入れ物こそミネラル・ウォーターのボトルだが、中身はれっきとした水道水

さて、水道の歴史といえば、やはり、神田上水玉川上水である。

上水」というのは、飲用できる清水という意味で、井戸によらず飲用水を得た例は、
現在わかっている限りでは、戦国大名北条氏が早川から小田原城にひいたものが初見であるそうな。

有名な豊臣秀吉と当時配下にあった大名たちは、
かの有名な1590(天正)年の「小田原征伐」の際、この北条氏の上水に影響を受け、
その後の領国経営の際、上水をつくるようになったようだ。

徳川家康は、旧北条氏領国であった関東の大部分を継承したが、
なんせ、居城と定めた江戸は、海岸に近い湿地帯。
井戸を掘っても、塩分の濃い水しか得られない。

そのような背景から神田上水がつくられたと考えられる。

ところで、この上水は一般の家庭にまで届いていたのだろうか?
実は届いている。
しかし、当時は蛇口などない。

実は、「上水井戸」という井戸に送られ貯蔵されたのである。

この上水井戸は、大名屋敷や各町人の屋敷に、めいめいに設けられている。
…いや、たいしたもんだ。一戸一井戸か~………と、思うのは早い。

受験日本史の世界では、江戸時代の「町人」というのはかなり限定された存在で、
家持(いえもち)」と呼ばれる、自分の家を持つ階層だけを指す。

それに対して、土地を借りて家を建てる者を「地借(じがり)」
長屋などの部屋を借りる者を「店借(たながり)」と呼ぶ。

彼らは厳密な意味では「町人」には入れない。

長屋、特に表通りに面してない「裏長屋」などに住む「店借」の場合は、
さすがに一戸一井戸ではない。

長屋の奧に共同の井戸を使う。  →その様子はこちら

いわゆる「井戸端会議」の舞台になっているのは、このような井戸なのである。
地下水ではなく、上水であるというのはちょっとびっくりである

しっかし、さすが、身分制社会だねぇ。
水道の利用にも階層があるとは………

最近、垂涎のミネラル・ウォーターも、
特定の所には余るほどあるらしい

とあるメーリングリストで、
「私どものところにはおわけできる程たくさんあります。ご入用なら、一言おかけください」というメールが投稿されてあった。

私宛ではない。
だが、その当事者は、きっと、

「誰が、一言おかけするかいっ」って思うだろう。

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