びぼーろぐ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

湖北 菅浦

2012-10-31 | お出かけ
かくれ里探訪シリーズ

湖北 菅浦

 琵琶湖は単に日本一大きな湖ではないのである。古くは、日本海から京・奈良の都に至るもっとも便利な交通路でもあった。朝鮮から船を出せば、眠っていても数日で、若狭に到着するという。つまり、渡来人たちの玄関口としても、大きな役割を果たしたと思われる。湖東のある村には、渡来の文化のなごりが見られ、信楽焼の技術なども、大陸ならではのものである。



 菅浦という集落がある。湖北はつづらお崎の根元。背後は斜面、西の入り口から入れば、東は行き止まりである。まさに隠れるようにひっそりとした小さな集落である。竹生島は目と鼻の先にある。郷土資料館が休館であったため詳しくは語れないが、琵琶湖を往来する船が行き交う通過点であることから、中世の朝廷ともゆかりのある趣深い歴史を持つ。ごく最近まで排他的な村として知られ、村の入り口には、四足の門という、監視のための門がしつらえてあり、何やらただならぬものを感じる。



 ここに一風変わった神社が祭られている。「須賀神社」



貴人の陵墓と思しきものが存在し、祭神は淳仁天皇となっている。いわれは「かくれ里」に詳しいので割愛するが、驚くのは、参拝に際しては履物を脱ぐという真摯さである。もっとも神聖な場所に参るのだから、当然と言えばそうだが、2012年の現代には、幾分面食らう。神を畏れる気持ちや信仰心の篤さとは、まず、こういう小さな所作にあらわれるものである。



湖岸ならではの静かな浦は、物音も無く、まるで時間がとまったようでした。



渡岸寺(どうがんじ)の十一面観音

2012-10-31 | お出かけ
渡岸寺(どうがんじ)の十一面観音

かくれ里探訪シリーズ 

 白洲正子さんによると、こちらの十一面観音は、近江でもとりわけ美しいということで、出かけてみた。





 時は、聖武天皇の治世、疱瘡が蔓延し人心がすさんだ世の中を立て直そうと、泰澄大師により観音像が彫られ、桓武天皇の折、最澄によって伽藍を整えられたのがこの寺の始まりである。
 浅井・織田の戦乱の世に至っては、寺領召し上げとともに兵火に遭い、伽藍は焼け落ちたが、この十一面観音像は、信徒により土に埋められることで難を逃れたという。





 室生寺の十一面観音に比して、お顔は、鼻筋が通り、かなりエキゾチックな様相である。少しひねった腰はほっそりとくびれ、後ろ姿は実に官能的だ。衣の流れるようなラインは、空気をはらみまさに西域的と言っていいだろう。ローマの彫刻群を彷彿とさせる。頭上の化物はどれも精巧で、中でも注目すべきは、背面の暴悪大笑相だ。


ポール・ボキューズの店

2012-10-31 | グルメ
ポール・ボキューズの店

 ヌーベル・キュイジーヌの先駆けと言えばこの人。リヨンのレストランは43年間三つ星であり続け、フランス料理界のトップに君臨している。

 グローバル化の流れか、憧れのポール・ボキューズが日本でいただける巡りあわせに感謝。60年代初頭、リヨンのメゾンには、わざわざパリから駆け付ける著名人が数多くあったという。
 リヨンとは、農業国フランスの中でももっとも実り豊かな土地柄である。日本でいえば、江戸に対する尾張・上方に近いものを感じる。とかくうまいものは、地方都市にあるものだ。何しろ地方は、豊饒な大地に抱かれ、新鮮な食材には事欠かないのであるから。

 さて、システマティックな経営で、名前の安売り感も否めないポール・ボキューズのブラッスリーだが、かつて実存主義にかぶれた団塊のおじさん・おばさんたちは、どんな感慨をもって味わうのだろうか・・・



 本日のランチ。

パンには、オリーブオイルと鶏肉のリエットがつきます。


 
スモークサーモンのムニエル オレンジソース



牛肉のパイ包みキノコ添え



どちらも目新しくはないけど、ボリューミーで、文句なしの完成されたお味でした。デザートは、名物クレームブリュレ。カラメルの焦げ具合が大満足です。

 お店にとって、オペレーションって、大事ですよね。温かいものを温かいうちに、新鮮なものを新鮮なままで、提供するには、効率的な厨房が必須です。でもね、食器洗浄機って、お皿を傷めるんですよね。グラスも、手触りでわかっちゃうんです。ナイフ・フォークだってそう。せっかくのお料理が、ガストのお皿と同レベルになってしまう。手を抜いてるわけじゃないのかもしれないけど、がっかりなんです。そのシステマティックな「おもてなし感覚」が。

血と骨

2012-10-30 | レビュー
血と骨 梁石日(ヤン・ソギル)
1998年 初版 山本周五郎賞受賞作

 著者は、映画「月はどっちに出ている」の原作者。小説を書く前は、タクシーの運転手であった。

 戦前、済州島から出稼ぎに来日した実父の人生を軸に、彼を取り巻く在日家族・同胞の歴史をフィクションを通して描く。

 朝鮮では「子どもは母からその血を受け継ぎ、父からは骨を受け継ぐ」といわれるそうである。

 まるで怪物のごとく暴力的な男、金俊平。誰をも威圧する巨体で、頑健な体躯を持ちながらも、蒙昧ゆえ、暴力によって周囲を押さえつけ、オレ様を貫く男の一代記である。全編が血生臭く、視覚的には耐え難いであろう表現の連続である。その欲望たるや、けだもののような金俊平ではあるが、わずかながら人間的な良心なるものをを見せる部分もないではない。息子の名付けで、儒教にこだわる点や、蒲鉾職人としてのプライドなどである。珍妙な滋養強壮料理を作る場面などは、哄笑を誘う。しかし、読み手が息をつくのもつかの間、「生々しい」圧倒的な生の物語は、常に切迫し、緊張感をもって進んでいく。

 戦前・戦後からの「在日」が、現在の状況に至る流れがよくわかる。

本日のパン

2012-10-28 | グルメ
本日のパン ハードロール

ようやく涼しくなり、パンをこねる気になりました。

外はカリっと、中はふんわりもっちりとしたパンです。



~材料(クッペ6個分)~

強力粉 210g
薄力粉 90g
ドライイースト 6g(大さじ1弱)
塩 小さじ1
砂糖 大さじ2/3
水 180g
バター 10g

~手順~

粉類を混ぜ合わせたところに、水を入れこねる。
まとまったところにバターを混ぜ、さらにこねる。

1次・2次発酵後、切り分け、ベンチタイムを取り、成形後、最終発酵

表面にクープ(切れ目)を入れ、バター少々のせ、全体に霧吹きしてオーブンに入れる。

190℃で約20分

大須観音

2012-10-22 | お出かけ
大須観音
寺号 北野山真福寺宝生院



 本尊は聖観音。
1333年、開山能信上人により、岐阜羽島に北野天満宮の別当寺として開山。1612年に徳川家康の命令で、ともに現在地に移転。
遷座400年記念での本尊御開帳ということで、参拝をしました。



 寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」があり、近々名古屋市博物館の大須観音展でみられるらしい。



 大須は、東京でいう浅草・巣鴨・秋葉原・下北沢が合体したような町。食もコリアンやブラジリアン・トルコにメキシコ・B級グルメと多彩。ナゴヤ流サブカルの発進基地であると同時に、危うさも秘めた魔窟だ。



グロテスク

2012-10-10 | レビュー
グロテスク 上・下  桐野夏生 初出2001年

「東電OL殺人事件」で、誰も真相を知りえなかった被害者女性の心の闇。著者は、実にまことしやかな状況を設定して複眼的にグロテスクなるものを描き出す。
 事件そのものは今から15年前の1997年。1958年生まれの主人公が高校生になったのが1973年頃と思われる。女子高の中でのやり取りは克明で、まるで古さを感じさせない。エリートを排出することで有名なQ大学付属女子高校。そこはまさしく、社会の縮図、美醜・貧富・学力のヒエラルキーに支配された世界である。
 主人公が企業に就職するのが「男女雇用均等法」前夜の1980年。まだまだ世の中が悪しき慣習にとらわれていた時代である。キャリアウーマンとして生きるには、いくつも乗り越えるべき壁が立ちはだかっていたに違いない。男性社会の論理によって疎外され、次第に人格を崩壊させていく。つまり「昼は堅気の会社員、夜は娼婦」という二つの顔を持つことで、自分の存在意味を見出す。
 歪んだ魂をを巨大化させ、男と交わることで、虚しさを暴き出し、男性の作ってきた戦後資本主義社会そのものに復讐する物語である。果たして、主人公は「怪物」なのか、はたまた「聖女」なのか。

ヒトラー・ユーゲントの若者たち

2012-10-10 | レビュー
ヒトラー・ユーゲントの若者たち―愛国心の名のもとに
スーザン・キャンベル バートレッティ 日本初版2010年
ノンフィクション

 1930年代から第2次大戦中に、ヒトラー・ユーゲントとして活動した少年少女たちがいかに行動し、考えていたかを 膨大な研究資料と当事者達へのインタビューをもとにまとめられたもの。証言者が高齢になり、語らずして亡くなった方も多い中、生の声を個人レベルで聞ける最後のチャンスであるかもしれない。

 第三帝国の未来を「希望にあふれる10代の若者に託す」やり方は、その純粋さゆえに、あまりにも痛々しい。驚くべきは、子をして親を密告させるような状況である。ユーゲントの教育の徹底ぶりがうかがわれる。戦闘においても、無私の精神で総統のために命をささげる一途さは、まさに殉教者のイメージですらある。

 著者は、戦後彼らがどのように生きてきたかにも焦点を当てる。騙されたとはいえ、大量殺戮に加担した加害者としての苦しみの方が、彼らの魂を大きく損なったという。

 経済の低迷からファッショへ、ナショナリズムに至る道のりは、当時の日本の状況と恐ろしいほど酷似しており、止めように止められない人間の定めのようなものが見えてくるだけに、現代にも通じる空恐ろしさを感じる。どうやったら、この「他罰的」心性のスパイラルから国民全体が抜け出せるのか。解決は、経済にのみゆだねられることなのだろうか。経済でいう「景気」とはまさに人の気分のことを言ううらしいけれど、それはつまり「いい気分・いい機嫌」を作り出すことで、ブレイクスルーできたりするのか。

伊吹山

2012-10-08 | お出かけ
紅葉が始まりつつある初秋の伊吹山



ドライブウェイの終点は標高1260メートル。付近の琵琶湖ビュースポットはなかなかです。



1377メートルの山頂まで約1キロを徒歩で。



軽装の方は西遊歩道がお薦めです。中央遊歩道はサンダルとか無理ですから。



ヤマトタケルの像に会う