びぼーろぐ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

夜と霧

2011-10-28 | レビュー


夜と霧 新版 
ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳

原題「心理学者強制収容所を体験する」

ナチス政権下、強制収容所に送られたユダヤ人心理学者の体験記。
収容時のショックから、収容所生活の苦悩、解放後の失意まで、個々の人々の精神状態を克明に描き出している。
収容所の中での生活、それは想像を絶するほどの過酷さと陰惨さである。殴られ、糞尿にまみれ、家畜のごとく労働を強いられる。
飢え・疾病・苦痛・死が常態化した中で、肉体的にも精神的にも追いつめられると人はどうなるのか。
あきらめ・逃避・堕落・自暴自棄・・・
このような極限状態の中でも人としての尊厳を失わずにいることは可能なのか。

まさに人間の真価は、収容所の中でこそ発揮された、と著者はいう。
精神的主体としてどのように振る舞うか。
内的よりどころのないものは脆弱であったと。

どんなに悲惨な生であっても、その苦悩も死も、かけがえのない自分の運命として引き受ける勇気を持つこと。
その唯一性が生に意味を与える。

「人間とは常に何かを決定する存在だ。人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもある。」

まさに地獄から帰還した者だからこそ語れる真実なのだろうと思う。


ブログタイトル

2011-10-22 | 日記
「旅日記」から「びぼーろぐ」にあらためたよ。
ちなみにノミネートされてた候補をあげてみた。

「サイレント・マイノリティー」
カッコつけすぎだろ!尊敬する塩野七生さんのエッセイより。

「サブ・ストリーム」
「亜流」ってこと?的を得すぎて、若干自嘲気味。最有力候補ではあったが・・

「うたかた」
演歌歌手かよ!かつ消え、かつむすびて・・・方丈記より。高尚すぎ。

「草枕」
路上派、ではないよね。

「備忘録」
直接的で、笑えない。

「びぼーろく」っん?なかなか・・

変換違いで「美ボーログ」これでは「美story」的マダムな感じで誤解をまねく。

で「びぼーろぐ」。びんぼーみたい?ちょっと微妙だけど。60・70年代フォーク的印象も否めないが
毒はなさそう。

というわけで、しばらくは、これでお付き合いくださいね。

荒子観音

2011-10-21 | お出かけ
古寺巡礼シリーズ

 荒子観音寺を訪ねてみました。尾張四観音(笠寺、甚目寺、龍泉寺、荒子)の一つで正式名は、浄海山円龍院観音寺。
聖武天皇の天平元年(729年)に開基ということで、かなりの古刹ですね。

 開祖である泰澄和尚は、北陸の霊峰白山を開いた名僧でもあり、北陸、近畿、東海を遊歴し各地に寺院を開いたそうです。当観音寺もその一つで、本尊の聖観世音菩薩像(33年に1度開扉の秘仏!)は泰澄和尚の作と言われています。何度も焼け落ちた本堂は、天正4年(1576年)に前田又左衛門利家が再興したそうです。
 観音寺十世円盛と親しかった修験・遊行僧 円空が、仁王像を初め、約1240体もの円空仏をここに残しています。円空仏は、毎月第二土曜日の午後に開示されるということで、今回は、仁王門の仁王像だけの拝観でした。運慶・快慶のような鎌倉彫刻に比べて何と朴訥で親近感の湧く仁王像でしょう!



 多宝塔は名古屋最古の木造建築(天文5年1536年)として、国指定重要文化財となっています。
上層は唐様、下層は和様で、室町末期の禅宗様式の特長を表わしています。



 荒子観音より南西200mの天満天神宮境内に、戦国武将前田利家の生誕地の碑があります。
名古屋市内とは思えない、昔のままの区画で仕切られた集落の中に、バサラな「またざ」が
そこに息づいてる感、確かにありました。



秋の花 秋明菊とリンドウ

2011-10-18 | flowers
秋明菊と竜胆


秋明菊(キンポウゲ科)
Japanese anemone
anemoneはギリシャ語の「風」が語源
花言葉は「忍耐」

花なのに何故か飾らない飄々として素朴な印象。
鄙びた田舎によく似合う。

竜胆(リンドウ)
Gentiana scabra var. buergeri
Gentiana(ゲンティアナ)は、紀元前の頃の
イリリア王「Gentius 」の名前にちなむ
根が薬用になり、苦味健胃剤として広く使われている
花言葉は「正義と共に、勝利を確信する」

「民さんはリンドウのような人だ 」(「野菊の墓」より)
地味だけど芯の太い、まっすぐな強い人、という意味だろうか

彼岸花

2011-10-18 | flowers


木漏れ日。印象派風に撮れたかな?
お彼岸になると唐突に咲くよね。

彼岸花(ひがんばな)科。
Lycoris radiata
Lycoris(リコリス)は、ギリシャ神話の海の女神

根には毒があるんだって。
ネズミよけに田畑のあぜ道に植えられているそうです。

別名 「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)。
”天上の花”という意味。
おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天から
ふってくるという仏教の経典による。

「路(みち)の辺(へ)の 壱師(いちし)の花の
灼(いちしろ)く
人皆知りぬ わが恋ふる妻」
万葉集 柿本人麿(かきのもとひとまろ)
(壱師の花=彼岸花、といわれる)


ハンス・ペーター・リヒター 「あのころはフリードリヒがいた」

2011-10-12 | レビュー
ハンス・ペーター・リヒター 「あのころはフリードリヒがいた」

 シュナイダー一家はユダヤ人の家族。「ぼく」と同じアパートに住んでいて
フリードリヒとは幼なじみだ。
時は1920年代、「ぼく」の父さんは失業しており、「ぼく」の家は、シュナイダー家のような裕福な暮しはできない。
シュナイダー家の人々はは明るく、幸せそのものと思われた。
 ところが、時代の波に押され両家の立場は逆転する。党の躍進で「ぼく」の父さんは仕事を得るが、やがて
理不尽なユダヤ人差別が目に見えて横行するようになる。 
 ある日「ぼく」はドイツ少年団の集会にフリードリヒを連れていく。ナチス党員の制服やそのたたずまいは
純粋に少年たちの憧れだったから。そこで自ら口にすることになるユダヤ人批判。
 一方でフリードリヒは、差別の中でもなお誇り高く生きようとするユダヤ人の中で、成長していく。13才になり、
教会行事の重要な役目を与えられている。
 ユダヤ人排斥が激化し、フリードリヒのお母さんは亡くなり、お父さんもすっかり元気をなくして、おびえる毎日をすごすようになる。そんな中でもフリードリヒはドイツ人の娘に恋をする。彼女は、ヒステリックなドイツ社会の中で冷静で、フリードリヒを一人の人間として扱う。
お父さんが連行され、フリードリヒは一人になる。ドイツは空爆を受け、フリードリヒは孤独な死を迎える。
 当時の狂気に向かうドイツ社会を子どもの視点で淡々と描いている。フリードリヒと「ぼく」が純粋であるがゆえに、
それを汚す大人の醜さ、戦争の愚かさ、残酷さがひしひしと伝わってくる物語だ。

姜 尚中 「在日」

2011-10-11 | レビュー
姜 尚中 「在日」

在日2世として生まれた著者の自叙伝。
これまで生きてきた中で出会い、姜氏の人生を方向づけることになった人々の生きざまを描き出しながら進んでいく。

熊本の朝鮮人集落の中で生まれ、底辺で生きる人々の悲哀に満ちた暮らしを目の当たりにし、貧しくて弱い朝鮮人であるという自己認識を持つ。
文盲であった母の情緒不安定気味な行動や、おじさんとの触れ合いを、貧しい中でも何か温かみのある思い出として語っている。

青年期に、もう一人の伯父さんに成功者としての朝鮮人のイメージを持つ。この実の伯父は日本の大学を出、戦時中は憲兵であったという。
日本で結婚もしていながら、戦後韓国に帰還し、弁護士として成功を収めている。時代に翻弄され、孤独な最後を迎えることになる伯父ではあるが、在日として自己矛盾を抱えながら生きた例として、氏に少なからぬ影響を及ぼしているようだ。

韓国の軍事政権に対する抗議行動を日本で行う。韓文研という組織に属し、祖国の活動の後衛として活動することに自らのアイデンティティを見出そうとする。
金大中氏の誘拐事件・キンキロウ事件・同じ在日2世の自殺。日本が経済成長し豊かさをわがものとする半面、在日たちの暮らしは常に闇を抱えたままであった。在日をどう生きるか、その手掛かりをマックスウェーバーの宗教社会学に求め、学究の徒となる。

ドイツ留学時にギリシャ移民の子としてドイツに暮らす学生と交流を深める。ドイツの中のトルコ人やギリシャ人、またはユダヤ人といったマイノリティである人々のあり方に在日を重ね合わせる。

日本に戻り、在日朝鮮人の指紋押捺反対運動の先陣を切る。その中で支援活動をする牧師と出合い、
洗礼を受けるきっかけにもなる。
「何にでも時がある」と教えられた言葉が印象的だ。

その後は、大学の講師や助教授を務めつつ、著作やメディアを通じて持論を展開する。日朝関係やイスラム主義への共感など、ナショナリストから煙たがられる論客ではあるが、そこにはマイノリティとして生きる「在日」の視点があり、グローバル化した現代、さまざまな民族問題を避けて通れない日本に必要な視点を提供している。

現東京大学大学院教授。

姜 尚中氏 講演会

2011-10-11 | お出かけ
姜 尚中氏 講演会 2011年10月5日 
「受け入れる力」

 テレビの討論番組では辛口の論客、NHK「日曜美術館」ではその穏やかな語り口で
おなじみの多才な政治学者 姜 尚中氏 現在、東京大学大学院教授
著書に「在日」「母」「悩む力」「愛国の作法」「日朝関係の克服」「政治学入門」「ナショナリズムの克服」
「マックスウェーバーと近代」「オリエンタリズムの彼方へー近代文化批判」など

 雨にもかかわらず満席の講堂。ほとんどが女性ということで緊張されているとの前置きで
いつもの静かな口調で語り始められました。
 講演会の内容について。 

 震災・原発事故・世界的不況 世の中不安なことだらけで、先が見えない私たちは、いかに生きるべきか
文盲であったお母さんの在日1世としての苦労や生き様、言葉を手掛かりに、姜さんの思いを話されました。
 不確実な時代に不安とどう向き合うか、その答えは、受け入れること。自分の出自や、どうしようもない不幸、悲劇を受け入れる。不安は常に付きまとうもの。不安が消えてなくなるというのは似非預言者。どんなに不幸な現実から逃れようと悩んだところで、結局はすべて「死」が洗い流してしまうのだから。(ブリューゲル「死の勝利」)
人間は科学の子であると同時に、自然の子でもある。自然界の大きな連鎖の中で、人間を生き物としてとらえたとき
そこに生きる力を見出すことができる。例えば、熊田千佳慕氏の描く絵に見られるような、昆虫たち。
昆虫は、ただひたすらにたくましく生の営みを続けている。その、命を輝かせている瞬間こそが美しい。
現実を受け入れて懸命に生きる。今ここで輝くことが、不安を抱えながらも生き抜く力になる。
不幸な現実を目の当たりにして暗い中に私たちはいるけれど、こうこうとした光の中よりもむしろ、
ほの暗い中での方が希望の光を見つけやすいのでは?

参考
ブリューゲル「死の勝利」「母」「祈る手」
デューラー「自画像」
熊田千佳慕
V.E.フランクル「夜と霧」
トルストイ
夏目漱石
白土三平

聴衆がPTAということもあり、専門的な難しい話は控えめで、わかりやすく、姜 尚中氏の、キリスト教を土台とした真摯な生きざまに触れる、実り多い講演会でした。
著書「あなたは誰?私はここにいる」(集英社新書)の販売と購入者へのサイン会があった。先週買って家に置いてきた私は、残念。